今年の夏は異常気象に入るのでしょうか?季節感のはっきりしない八月も終盤になって猛暑が来たり、体調を崩さないようにお気をつけいただきたいと思います。さて、いつの間にか子ども達は新学期を迎えましたが、本日の友達の話には編物教室を主宰されている中西和子さんよりご紹介いただきました久喜北陽高校の英語教師をされている石田雄三さんにご登場いただきます。石田さんは、同じ自治会仲間だそうです。
久喜北陽高校
英語教師 石田 雄三さん
本紙取材
木康夫
【高木】こんにちは。中西さんから伺いましたが、地域のイベントにいろいろ関っているそうですね。また、中西さんのガーデンパーティにも英語のALTの先生などもお誘いになって国際交流も豊かと伺いました。英語の先生になられたのも国際的な観点からですか?(ALT:外国人語学指導助手:日本の中高生が苦手とするオーラルな英語能力の向上を図るため、カナダ・英国・米国・オーストラリア・ニュージーランドの現職教師を招致。)
【石田(敬称略)】はじめまして。中西さんとはご近所で、地域のことやガーデンパーティなどでいろいろお世話になっております。国際交流という意識はないのですが。ALTの先生も久喜工業高校に在籍中に親しくなった人です。日本に来たことがきっかけで日本女性と結婚され、庄和町に住んでいますが、とてもすばらしい家庭を築いています。実は、私は英語の先生になろうと思ったのではなく、専攻が文学でしたから就職活動中に、「これでもなるか、これしかないか」といった「でも、しか動機」で英語の教師になったのです。(笑)
【高木】本当ですか。(笑)
【石田】でも、最初に赴任した学校が大宮工業高校で、いわゆる技術を専門にしている学校でした。当然、教師の中には金型、木工、精密機械など専門の技術者がたくさんいて、生徒にものを教えるのも技術の切り売りではなく、誇りを持って指導しているのです。当事の時代背景は、技術を持った人たちが活躍する場がたくさんあったこともありますが、指導する環境がそのようでしたから先輩の先生や生徒からとても刺激されました。先生になってよかったと実感したものです。
【高木】何か思い出はありますか?
【石田】大学時代に山登りをやっていたこともあって大宮工業高校山岳部の顧問を引き受けたのです。登山というと北、南アルプスに行かれる方が多いのですが、子どもの頃、このあたりから見える山々にとても強い憧れがあって、登山をはじめて、ここから見える山々を中心に登っていました。三十代の頃、生徒を連れて登ったときのことですが、上越に平ヶ岳という山があるのです。利根川の源頭があるところです。昔は奥只見にある銀山平から船に乗って登山口まで行くルートが一般的でした。しかしこの時は「恋の岐沢」を遡行したのです。沢の水はとてもきれいで岩魚がたくさんいます。千五百メートルくらいまで岩魚も登るのです。生徒達も岩魚が見えるので釣ろうとするのですがまったく釣れません。とても不思議でしたね。登山から下山までの段取りを仲間の教師と行ったのですが、登山しながら生徒の成長を肌で感じた記憶が新鮮によみがえります。生徒には山登りの前にいろいろと指導しますが、山は行ってみてはじめてわかる事が多いのです。工業高校での技術習得も同じ事で、教えられたことを自分で体験して、そこで出来てこそ、はじめて自分の技術になるのです。
【高木】地域でもご活躍ですね。
【石田】私はこの地域に生まれ、育ったわけですが、この地域は昭和四十年代に区画整理事業として開発されたところです。私たちが子どものころは近所のおばさんやおじさんが私たちに話し掛けてくれました。今でも八十五になる母などは、私たちの世代に道で会うと話し掛けてきます。しかし、私たちが近所の子ども達を見てもどこの誰かわからないのです。子ども達もどう感じているのかわかりません。何か自分の住んでいる地域に無関心になってしまい、おかしなことになってしまうのではと不安を感じています。今さら六十年代の環境に戻すことは難しいですが、子ども達を中心にあいさつが通い合う環境の必要性を感じました。二つの小学校があって、卒業すると同じ中学校に通うようになります。小学校時代からみんなが知り合いだったらいいのにと思うことが原点です。そこで、「あいさつ運動」をはじめようと、いろいろな地域イベントを企画したのです。小学生とその保護者を対象に「親子映画会」や八月二十三日には「お祭り」がありました。地域防災の在り方として、九月二十八日には大人を対象に「心肺蘇生法の救急講習会」を開催します。自分達で出来そうなことは自分達でやっていけるような地域が望ましいですね。
【高木】温かさを感じる地域になるといいですね。夢などは?
【石田】夢は、いつか田舎に住むことですね。冬には雪が降るようなところで自然がたくさんあるところです。そこで、溜まった本を読んで過ごしたいですね。そういう場所はきっと不便なことが多いと思いますが、与えられたものの中で生きるということが大切なように感じます。あれがなきゃダメ、これもなきゃダメではなくて、あるものの中で有意義に生きることの良さを見直したいですね。中西さん宅のガーデンパーティで「ホタルを飛ばしたい」という話で盛り上がったのですが、そもそもは六十年代以前の環境が良かったという話からです。けっして六十年代は今と比べて貧しかったわけではないと思うのです。今のほうが失ったものが多く、本当にそういうものを失う必然性があったのだろうかと疑念を感じています。ノスタルジックに懐かしむのではなく、ホタルもそのひとつで、何を失ってどういう意味があったのだろうか検証していくことが大切だと思います。
【高木】では、お友達をご紹介ください。
【石田】大宮工業高校の次に久喜工業高校に赴任したのですが、その教え子の保護者でPTA活動など積極的にしてくださった幸手市の及川健三さんをご紹介いたします。及川さんは幸手市でお弁当屋さんを経営されているとても明るい方です。
【高木】ありがとうございました。これからも先生として地域でのご活躍ご期待いたします。
(石田さんは地元の公園に花の咲く木や実のなる木を植えて観賞会や収穫祭が出来たらと、夢の一編をお話下さいました。自主管理が出来たらいいですね)