2003年9月21日



 運動会も各地で開催され、旬を迎えた食材が市場を賑わし、秋を実感する季節の到来です。さて、本日の友達の話には久喜北陽高校の英語教師をされている石田雄三さんよりご紹介いただきました「ほっかほっか弁当甲子園幸手西店」の及川健三さんにご登場いただきます。今回の友達の輪でいよいよ一九九人目となりました。

ほっかほっか弁当甲子園幸手西店
オーナー 及川 健三さん
本紙取材
木康夫

【高木】こんにちは。及川さんの次男が高校時代に石田先生にお世話になったご縁でご紹介いただきました。卒業後も教え子と交流されている生徒と先生の関係はとても魅力的ですね。


【及川(敬称略)】石田先生には次男が久喜工業高校に入学したときからお世話になっております。たまたま、幸手・鷲宮地区のPTAの支部役員さんが退任される時期に次男が入学したものですから、次の役員の選考で石田先生から大任を仰せつかったというのが先生の印象に残られたのでしょう。支部長を三年間務めましたがとてもいい体験をさせていただきました。そのご縁で息子共々長いお付き合いとなりました。次男の結婚式には先生にもかけつけていただき、現在、子供も二人になりましたが、先生との音信も卒業以来行き来しているようで喜んでいただいているようです。及川健三さん

【高木】縁というのは不思議ですが、素敵ですね。お仕事のことを伺いたいのですが?お弁当屋さんをはじめられたのはどうしてですか?

人と人が
  触れ合うお店をやりたい!

【及川】私は雪印食品に二十六年間務めていたサラリーマンでした。仕事柄、年末になるとお取引先であるデパートやスーパー、変わったところでアメ横などに雪印食品の製品拡売の応援にお手伝いに行くのです。特にアメ横に行ったときは、とても活気があってその活気に魅せられて、いつかはこういう「人と人が触れ合う活気あるお店」をやりたいなと感じていました。そんな折り、転勤を命じられ船橋まで通うことになったのです。五年間通いつづけましたが、通勤時間もかかり体の疲れも残るようになり、自分自身に活力がわいてこない事に気がつき始めたのです。ある時、家内の友人から「お弁当屋さんのチェーン店」の話が舞い込んできたのです。当時は幸手に二ヶ所くらいのお店しかありませんでしたし、現在のようにコンビニも少なく、お弁当もほとんど扱っていませんでした。自分の夢とタイミングが合致したので清水の舞台から飛び降りるつもりで脱サラしたのです。

【高木】夢に向かっての第一歩ですね。いかがでしたか?

夢と現実の
  ギャップに負けず

【及川】そうですね。百八十度転換ですから思ったよりも大変でした。当時のチェーン本部の基本方針がお正月の三日間を除いて年中無休でしたから、生活パターンがまるっきり変わりました。今までの会社勤めですと隔週二日の休みはありましたから、ライフスタイルを変えないと対応できませんでしたね。開業には夫婦で一ヶ月間営業中のチェーン店に入って実地研修がありました。家庭料理と違い味付けやその加減、仕込みの量などがわからなくて大変苦労しました。それと、私は昭和六十年四月に「ほっかほっか弁当」のチェーン店に加盟したのですが、加盟してから二年くらい経過した頃、チェーン本部自体の運営が不安定になったのです。脱サラし開業前は夢を膨らませていたのですが、難しい問題が次々起こりました。それで生き残りをかけて、独自で食材やパッケージなどを直接仕入れ、独立店にしたのです。今まで存続してこられたというのは、その転換も良かったと思っています。

【高木】店名の由来はなんですか?阪神優勝で注目されているでしょうね!

人が集まる場所に
    あやかりたい

【及川】今年は阪神が優勝して、シーズン中にもお客さんから「阪神ファンなの?」と良く聞かれるのですが、野球に関しては根っからのジャイアンツファンです。甲子園という店名の由来は、甲子園といえば高校野球ですよね。高校球児をはじめ全国からたくさんの人が集まります。その集まる場所にあやかりたいというのが由来です。特に今年は阪神優勝にからめて甲子園のネーミングを活かしたいですね。また、開業して十八年になりますが開業以来、来てくださるお客様も多く感謝にたえません。それと、開店からお客様との触れ合いも大切にしたいと考えて店内にはカウンターでお弁当を食べられるコーナーがあります。広くはありませんがお客様とのコミュニケーションの場にもなっており喜ばれています。及川健三さん

【高木】お弁当業界も激戦のようですが?

冷夏で
  お米の不作が心配

【及川】そうですね。開店当初はお弁当屋さんも少なく、コンビニでも扱いが少なかったのですが、今ではお弁当競争が激化しています。これから更に大変になるでしょうから頑張らなければと思っています。それから、本年も冷夏でお米が不作と言われていますが、一九九三年の冷夏のようにお米が取れなくて、日本米が手配できずやむなくタイ米を使うこともありました。しかし、お客さんが離れてしまうのを感じました。あの時は二、三ヶ月続き売上も半減してしまい、このまま続いたらつぶれてしまうと思いました。あれ以来、コシヒカリしか使いませんが、お米には更に気をつかうようになりました。

【高木趣味や夢などは?

【及川】趣味はドライブです。自然を見ることが大好きで、夫婦で出かけます。休みが少ないですから日帰りがほとんどですが、関東一円を走っていますね。夢ですか?そうですね、長男が栃木県に住んで家庭を持っているのですが、調理師の資格も取得して「何かあったらいつでも手伝うよ」と言ってくれています。私の仕事を見ながら育ちましたから、商いに興味がないわけではないようです。息子があとを継いでくれたらもう一店くらいお店を出したいですね。あくまで、夢ですけどね。(笑)


【高木それでは、お友達をご紹介ください。

【及川】息子の同級生で、地元でおいしい豆腐をつくっている木村豆腐店の木村典朗さんを紹介します。とてもいい人ですよ。

【高木ありがとうございました。木村さんは記念すべき二百人目となります。

(及川さんは人当たりの良い方で、ご商売が本当に好きな方と感じました。益々のご繁栄を祈念いたします)




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