2004年2月22日



 今日は二並びの二月二十二日ですね。特に縁起を担ぐほうではありませんが、なんとなくうれしくなってしまうのは不思議なものです。さて、本日の友達の輪には要約筆記者である栗田年子さんよりご紹介いただきました川俣文吉さんです。川俣さんは大工さんで貴重な体験をされている方です。

カーペンター川俣
代表 川俣 文吉さん
本紙取材 木 康夫

【高木】栗田さんから手話の講座でご一緒だったとご紹介いただきました。本日はよろしくお願いいたします。


【川俣(敬称略)】十一年ほど前になりますが、幸手市で手話講座が開催され、栗田さんは同期生です。川俣文吉さん

【高木】手話講座に参加されたきっかけは?

聴覚障害の方に
   役立ちたい

【川俣】私の仕事は大工で、現在はリフォーム中心の仕事を行っております。改築や増築などはお客様の希望を充分に聞いてから作業に入るのですが、聴覚障害のお客様からも仕事などを受注することがありました。そんな時、お客様の希望される増改築内容のやりとりで手話が使えたら、もっとコミュニケーションが図れるのにと感じたのです。そんなおり、手話講座が開催されるというので参加したのです。全十回の講座でひと通り勉強して、「四季の歌」や「幸手」の歌などを手話で表現したりすることも出来るようになりました。家族や友達にも手話を使って話したりしましたが、現在は使う機会があまり無いものですから、次第に忘れかけています。でも、機会があれば聴覚障害の方へ少しでもお役に立てればと思っています。

【高木】大工さんはいつ頃からされているのですか?

増改築から
   釘一本にいたるまで

【川俣】三十九年になります。小さい頃から物を作ることが大好きでした。きっと「おじいちゃん子」だったのでしょうね、おじいちゃんが器用に日曜大工をしたりしているのを、見ながら遊んでいましたので、いつの間にか大工の道を歩んでいたように思えます。そして、就職時に迷うことなく木造建築の見習となり在来工法を学びました。当時は月二回のお休みしかなく、給料も大学卒業で初任給が三、四万円の時代に月一万円くらいだったと思います。寮に入り一番若い自分が食事の係を勤めました。先輩のお弁当まで作るのです。相撲部屋のようでしたね。おかげで、ご飯を作るのが得意になりました。結婚したときに家内にはお米の磨ぎ方も水かげんも私が教えました。今でも目分量で量れますよ。(笑)現在は「カーペンター川俣」として増改築からちょっとしたリフォームまで、また家屋に関しての困りごとなど「掛け時計の釘一本」に至るまで対応しております。

【高木】リフォームを望む家庭が増えておりますから消費者にとってはうれしいお仕事ですね。テレビに出られたことがあると伺いましたが?

竹馬なら
  誰にも負けない

【川俣】「頭よりも体に自信あり」(笑)というタイプですから、自分の遊び道具もみんな手作りでした。生まれが栃木県で昔はよく雪が降りました。竹を曲げて一本足スキーを作ったり、坂道から走らせるハンドルつきの木製自動車も作りました。得意なひとつに竹馬があるのですが、昭和五十七年に「びっくり日本新記録」というテレビ番組があり、「竹馬の二人三脚」という種目があったのです。竹馬には自信がありましたので友人と二人で挑戦しました。竹馬を縛っての二人三脚で障害物もありましたから、簡単なはずもなく途中で転倒してしまい成績を残せませんでした。その翌年、高さ3mの竹馬を作り、お隣の二階から竹馬に乗って歩いたのですが、これがテレビに取り上げられ、竹馬に関するイベントや番組企画に声を掛けられるようになったのです。

川俣文吉さん

【高木】竹馬で有名だったのですね。

落下の恐怖
 0.1秒の僅差で!!

【川俣】それほどではありませんが、竹馬では六回テレビ番組に出演しております。その極めつけが熱海の寸又峡温泉にある釣り橋(100m)を何秒で渡れるかという選手権への参加要請でした。釣り橋ですから中央の歩く部分が木製の板状で、幅70cm程度の両サイドは絶壁となっており、竹馬で渡りますので一歩一歩揺れるのです。さらに、竹馬で重心位置が高くなりますので両脇にある釣り橋のロープも超えてしまい、倒れると谷底に落ちてしまう感じで恐怖心は数倍でした。当日はあいにくの雨で、釣り橋が滑るのです。全国から集まった竹馬自信の四人で決戦となりました。最初の人が一分二十二秒九でとても早く感じました。次の人が一分二秒六とかなり飛ばし、次が私だったのですが、最後の人が大本命とされていましたので、思いっきりダッシュしました。滑って倒れそうになりながらゴール地点を通過して、結果は五十秒八、そして最後の人のスタートです。もの凄いスピードで飛ばしてきます。タイムもあきらかに上回っていますが、突然、竹馬が木製の板を超えて片足が落ちてしまったのです。立て直しをしてリスタートしたのですが結果は五十秒九とわずか0.1秒差、リハーサルなしの本番一発チャレンジでしたが、優勝することが出来ました。今でもビデオに残っていますが、本当に怖かった挑戦でした。

【高木】すごい体験ですね。ご家族も感激されたでしょうね。それと、クラシックカーにお乗りとか?

【川俣】古いものが大好きで、二十年前に当時十五年経過していたスバル360(通称てんとう虫)を購入しました。家内には「なんでそんな古い車を高額で買うの」と大反対されましたが、中古車センターに飾ってあった車を見て一目ぼれでした。「てんとう虫の会」という全国組織があってクラシックカーの大会などに参加しております。空冷で暖房やエアコンが付いておりませんから乗る季節を選びますね。小学校二年生の孫が大きくなったら乗りたいと言うので、大事にしていきたいと思っています。

【高木】では、お友達をご紹介願います。

【川俣】山崎雅英さんをご紹介いたします。山崎さんは表具店を経営されております。

【高木】ありがとうございました。
(川俣さんはご夫婦で趣味も多彩で、空手、ミニテニスなどのほかハーモニカやオカリナを楽しみ、将来は老人ホームなどで演奏したいと夢を持っていらっしゃいます。また、奥様はアートフラワーの指導者としてご活躍され、毎日元気でやることがいっぱいな楽しい方でした。)




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