桜まつりも盛大に終わり、幸手市内の交通渋滞も和らいでまいりました。今年は各地から桜見物の観光バスがたくさん来られ、権現堂の桜も関東の観光名所としてクローズアップされて来たようです。さて、本日の友達の輪には居酒屋を経営されている館野文彦さんにご紹介いただきました北川遠一さんにご登場いただきます。北川さんは堀中病院で診療放射線技師をされている方です。
堀中病院
診療放射線技師 北川遠一さん
本紙取材 木康夫
【高木】はじめまして。お仕事に支障が無いように取材させていただきます。よろしくお願いいたします。館野さんからご紹介いただきましたが、常連さんでもありお友達と伺いましたが?
【北川(敬称略)】こちらこそ、よろしくお願いいたします。館野さんのほうが私よりも若いのですが、三年ほど前に知り合い、意気投合して以来の友人です。館野さんがお店を開く前からのお付き合いですが、お店を開店されてからはお店の常連でもありますね。(笑)
【高木】北川さんは幸手ご出身の方ですか?
【北川】生まれは北海道なんです。旭川から奥に入った上川という所で二十歳まで育ちました。大雪山の麓で寒さが厳しいところですね。現在は人口五千人くらいの寂しい町になってしまいましたが、層雲峡という温泉地が有名です。五人兄弟の三番目として生まれたのですが姉、妹がそれぞれ二人という女兄弟の中で育ちました。山の奥に住んでいた訳は父が「木こり」だったのです。当時は営林署が二つもある林業の盛んなところで、私が小学生の頃には一万八千人位の人口があり賑わっていましたね。木材工場の親方は腹巻の中に札束を入れて歩いていたようでしたから、とても景気が良かったのでしょうね。雪国ですから趣味はスキーで、私の後輩にはジャンプの原田選手がおります。
【高木】どうして放射線技師になろうと思ったのですか?それと、幸手にはどうして来られたのですか?
【北川】雪国でしたが、景気の良い林業の町ですから働くところはたくさんありました。高校時代にはいろいろなアルバイトもしました。ヤマハスキーの下請け工場でスキーを作ったり、駅の弁当売りをしたり、ベニヤ工場でも働きました。でも、寿司屋さんでアルバイトをしていた時に景気のせいでしょうね、お客さんもたくさん来るんですよ。それで、寿司屋さんになろうと本気で思ったりしていました。そんな時、姉が嫁いでいる先の叔父から、医院の受付から雑用まで住み込みでやらないかと勧められたのです。その医院で、レントゲン技師というものに出会ったのです。高校二年の時に父がガンになり、一回の手術をしただけで三年後に五十五才でなくなった時期でしたから、なおさら医業に就こうと意識したのですね。それで、二十一歳のときに上京して、関東で一番歴史のある中央医療放射線技師養成所に入学したのです。ここを卒業すると国家試験の受験資格を得られるのです。幸い叔父が西新井で土木の仕事をしていましたのでそれを手伝いながら入学金や学費を稼ぎ学校に通っていましたが、その後助手を求めて学校の教務主任が都立大学の放射線科の医師でその親しい堀中前理事長を紹介され幸手に来ることになりました。
その後病院より学校へ通って卒業。国家試験にも合格させていただき、以来前理事長、現理事長その他の諸先生、先輩そして同僚にも恵まれまして以来、三十年お勤めさせて頂いております。
【高木】不思議な繋がりですね。放射線技師というお仕事はどんなお仕事ですか?
【北川】私たちの仕事は放射線を用いた機器を使い、医師に診療情報を出すことです。放射線は活発な細胞や未分化の細胞が影響を受けやすいので、放射線量の管理体制がとても重要で、私たち従事者においては七kgもあるプロテクターを着用しながら、ルクセルバッチと言いますが、それを体につけて被爆放射線量を二週間単位でチェックしています。また、放射線従事者健康診断を行っておりますし、放射線施設内は放射線を外部と遮断する造りになっています。レントゲン室にもガラスがありますが、これも鉛が入った併せ遮断ガラスです。放射線は電磁波の一種で波長が短いものです。X線、γ線、β線、α線など種類もたくさんあります。当院では一般的なレントゲン撮影はもちろん、CT(コンピュータートモグラフィー)と呼ばれエックス線を用いた診断装置で、コンピューターの応用により身体の横断面を描出できるものですが、それを進化させたHCT(ヘリカルCT)があります。これは寝台を動かしながらCT撮影を連続しておこなう撮影方法であり、一回の息止め(15秒程度)でたとえば肺全体の横断面を撮影することができます。また、MRI(磁気共鳴断層撮影)やバリウムを飲んで胃などを検査するX線テレビ、ビーム線といってあまり強くない放射線を使って行う骨密度測定、それとレーザーカメラなどをがあります。放射線機器を扱えるのは医師、歯科医師、放射線技師の三職業だけです。医療設備も進歩していますから私たちも常にスキルアップが求められます。当院では三六五日二十四時間、放射線技師が交代で常駐勤務しております。
【高木】お休みは何をされているのですか?また、趣味などは?
【北川】昔は日本画を描いていました。絵筆以外持ったことが無かったのですが、水墨画を始めるようになって、文字を書くことが必要になってきました。それで、北公民館で開催されている印田衛先生の書道講座に参加するようになりましたが、時間が取れなくて出席の悪い生徒です。今は昼間も外に出る時間がありませんが、時間がとれるようになったらゆっくり絵も描いてみたいと思っています。
【高木】お忙しい中ありがとうございました。では、お友達をご紹介願いますか?
【北川】内装業をされている村加芳雄さんをご紹介いたします。
【高木】ありがとうございました。これからも診療放射線技師としてご活躍お祈りいたします。
(とても真面目でやさしい方でした。「診療情報を提供する役割」と言われましたが、その撮影技術が後の診断に大切な情報と思うと責任重大で常に向上心を求められる職業と感じました)