2004年5月2日



ゴールデンウィークに突入し、行楽地は賑やかなようです。本日の友達の輪には診療放射線技師の北川遠一さんよりご紹介いただきました村加芳雄さんにご登場いただきます。村加さんは建具やクロスなどの内装工事材料の卸業を中心に増改築や内装工事全般をされている方です。

(有)三好
代表取締役 村加芳雄さん
本紙取材 木康夫

【高木】こんにちは。北川さんから飲み友達と伺いましたが?今日はよろしくお願いいたします。


【村加(敬称略)】突然で驚きました。北川さんとは、私が交通事故で堀中病院さんに入院したときにお世話になり、顔だけ存じあげていたのですが、三年ほど前に居酒屋で偶然再会して以来、飲み友達となりました。とても良い方ですね。

【高木】村加さんと言うお名前はあまり出会いませんが、どちらのご出身ですか?


【村加】そうですね。村加と言う姓は全国にも少ないですね。でも、元々幸手の人間です。歴史的には一五〇年ぐらい続いているようですが、代々女性が多くお嫁に出てしまうので村加姓が少ないのかもしれません。現在も男性は私以外に二人だけですから珍しい名前と言われることも多いですね。昔からの言い伝えによれば、私たちの先祖はこの地域に移り住んだ際にこの地域の農家であった沢村家に入って農業の手伝いをしていたようです。長い間の仕事ぶりなどから村の人間と認めてくれたらしく、「村に加わる」という意味で村加という姓を頂いて名乗るようになったとのことです。
村加芳雄さん
【高木】とても興味深いお話ですね。現在のお仕事は代々続いているものなんですか?

二十歳で独立!
 廃業から再度挑戦

【村加】いいえ、祖父はこの地域で木こりをしていたそうですし、父も一時建設関係の事業を興したことがありますが、現在の仕事は自分が創業したものです。高校卒業後、東京にある住宅の屋根などの板金業に就職しました。独立心が旺盛だったもので、一年間勤めて仕事を覚え、二十才のときに独立しました。景気も良く社員も八名抱えるようになり、順調な滑り出しだったのですが、若気のいたりと言うものでしょうね、現場の社員たちが思うように動いてくれないのです。三年間、頑張りましたが見切りをつけて辞めてしまいました。その後、何かをやろうということでもありませんでしたが、栃木県鹿沼にある建具センターに勤め、九年間現在の礎となる勉強をさせて頂きました。昭和五十年に現在の(有)三好を創業しましたので来年三十年を迎えますね。村加家の例にもれずに子供は娘ばかりですから、後継者が居ません。ですから、この仕事は一代限りかなと思っています。でも、二才と四ヶ月の二人の男の孫がいますから、少しは期待が持てるかなとも思っていますが、私の体がそれまで続くかが心配ですね。(笑)

【高木】景気はいかがですか?

本格的な住宅を
   作るのが夢

【村加】景気はまだ渋いですね。回復までにはあと数年かかるでしょうね。景気が良いと高いものが卸されるのですが、景気が悪いと安いものも叩かれてしまいます。私たちにとっては厳しい現実ですよ。バブルの再来は望みませんが、昔は建具だけでも数千万円という住宅を手がけたこともあります。門戸だけでも数百万円なんてものもありましたね。今ではそういう仕事は全くありません。逆に予算の中でやらなければいけませんから、材料の品質を下げたり切り詰めたりと苦労も多くなりますね。でも、仕事をしているといつかまた立派な材料を使った住宅を作ってみたくなるものです。良いものは本当に長く使えますからね。

【高木】趣味がおありと伺いましたが?

鉄道模型の
  ジオラマが

【村加】趣味はいろいろありますが、旅行が大好きで夫婦で旅することが多くなりました。国内、海外問わずいろいろなところに行きました。夫婦での旅行は思い立ったらすぐに出掛けられますので、最近は温泉が多くなりましたね。それと、コレクション的な趣味ですが、HOゲージの電車を集めることですね。最初は仕事先から廃物になった駅の看板を貰ったことがきっかけです。それから、鉄道に関するものを集めはじめ、続いて電車のプラ村加芳雄さんモデルに凝って集めはじめました。新幹線、山の手線などから始まって、関東の鉄道も集めました。今では電車の運転室にあるものとそっくりな運転レバーも揃い、ポイント切り替えも出来るようになりましたから本物と同じような動きが楽しめます。孫と遊べればいいのですが、孫が触ると壊してしまうので内緒ですが、現在は八畳間に一日近くかけて線路をひいて走らせて楽しんでいます。でも、いつかは大きな鉄道ジオラマを作りたいと思っています。今、会社を辞めたらこの事務所を改造して鉄道模型の部屋に出来るのですが、まだまだ、社員が頑張ってくれてますから私も頑張らなくちゃと思っています。(笑)

【高木】これからやってみたい事などありますか?

大空を自由に
    飛びたいが

【村加】当社の社員のひとりがパラグライダーに凝っていまして、私も一度乗ってみたいと思っていました。そうしたら、胸の前に金具でつながれるようにして二人で飛ぶことが出来ると言うのです。体験させてもらいに行ったのですが、背中に大きなプロペラが付いたエンジンを背負って、パラセールに風を入れながらエンジンを全開するのです。身体が宙にふわっと浮いたかと思うと徐々にではありますが高度五十メートル位まで上昇するのです。気分は最高で、講習会を受講すれば誰でも出来ると言うのでいつかは飛んでみたいと思っています。ただ、農業もやっていますのでパラグライダーにさく時間がないのが問題なんですが!(笑)

【高木】では、お友達をご紹介下さい。

【村加】幸手ライオンズクラブに入っているのですが、そこで一緒の柿沼義良さんを紹介いたします。柿沼さんは生コンの会社を経営されている方です。

【高木】ありがとうございました。ますますのご活躍を期待いたします。ジオラマが完成したら教えて下さい。

(とっても明るい方で、なんでも楽しみながらやってしまうタイプの方でした。事務所の壁に相田みつおさんの「一生勉強、一生青春」という言葉が飾ってありましたが、村加さんのお好きな言葉でしょうか?お話の中にこの言葉にピッタリ感じるものがありました)




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