2004年8月8日



 早いもので八月に入りました。今年の夏は局所的な大雨が降ったり、四十度近い暑さだったり、夏日の連続など生活する上では厳しさが続きます。読者の皆様にはいかがお過ごしでしょうか?さて、本日の友達の輪には知的障害者入所更生施設「庄内」の小河原正隆さんからご紹介いただきました大鱗山明王院宝聖寺住職である朝倉隆雅さんにご登場いただきます。朝倉さんは以前奥様が友達の輪に登場されており、ご夫婦での登場となります。

大鱗山明王院宝聖寺
住職 朝倉 隆雅さん
本紙取材 木 康夫

【高木】こんにちは。小河原さんから中学の時の恩師と伺いました。本日はよろしくお願いいたします。早速ですが、宝聖寺さんは歴史があるようですが?

六五四年と
四十三代の歴史

【朝倉(敬称略)当寺は創建以来、六五四年の歴史があります。そして、私は四十三代目の住職となります。宝聖寺は一三五〇年に総州葛飾郡現在地に光明山法身房として創建されました。一三五四年には法身山宝聖寺と改め、当時は七六か寺の本山として栄えたようです。一四三二年に山号を大鱗山と改め、これにより現在の大鱗山宝聖寺となりました。一五二〇年に田宮の城主一色宮内少輔満兼の庶子宥位和尚が当時の住職となり、現存する一五二五年の直末帳(じきまつちょう)によると一二三か寺を統括したことが記録されています。当寺は長谷寺の直末です。いわゆる本山より分家した寺です。長谷寺は真言宗豊山派の総本山として、 また西国三十三観音霊場第八番札所として、 全国に末寺三千余ヶ寺、 檀信徒はおよそ三百万人といわれ、 四季を通じ「花の寺」として多くの人々の信仰をあつめています。文京区音羽にある護国寺も同じ流れです。

【高木】大鱗山という名称は?

大魚を
 成仏させた逸話
朝倉隆雅さん

【朝倉】大鱗山の由来ですが、当寺の住職が神扇の仏事に出掛け、神扇沼を舟で帰ってきたそうです。その時に大きな魚が出てきて舟もろとも一飲みにしようとしたそうです。弘法大師から預かった「五胡杵」を魚めがけて投げつけると魚の眉間に命中したそうです。その瞬間、強風が吹きあれ雷雨が起こったそうですが、魚は消えうせ無事に助かったそうです。翌日白髪の和尚が訪ねてきて「私は昨日お世話になった魚です。実は成仏できずに彷徨っていたのですが、おかげで成仏できそうです。」とお礼にウロコを三枚置いていったそうです。その逸話から大鱗山という名称が付いたと語り継がれてまいりました。当寺は三度の火災により、その都度全焼しております。寺宝や古記録などほとんど焼けており現在弘法大師御筆による不動明王尊像、松虫の鈴(まつむしのれい)、軍配団扇、一色次郎照忠公のご文書、徳川幕府よりの御朱印状などが保存されています。松虫の鈴はNHKの平将門に関して取材を受けました。唐銅の類で護摩をたく時に用いる法具です。その音が松虫の音に似ているので名づけられたものです。弘法大師が光明院に付属させたものと伝えられています。

【高木】太鼓を用いて活動されていると伺いましたが?

僧侶が叩く
  法要の太鼓

【朝倉】昭和四十九年に地域の方から直径四十五cmほどの新しい太鼓を寄付していただいたのです。豊山派ではお経に太鼓を用いるのですが、迫力のある音が響きましたので、この太鼓をもっと活かせないかと思ったのです。平成八年二月から総本山へ研修に行っていた仲間が、護摩をたく時にお経と共に太鼓を叩く迫力あるさまを見てきて、それをやろうということになったのです。住職たちが集まって練習が始まりました。般若心経や観音経などのお経と共に太鼓を叩くのです。太鼓の胴に龍の絵が描いてあったものですから、誰となく龍太鼓と呼称するようになりました。以来、住職たちで龍太鼓同好会を作り私は世話役でしたが太鼓については言い出しっぺということで会長を仰せつかり現在に至っております。

【高木】迫力満点ですね。法要以外でも活動などされるのですか?

龍太鼓を
  一般の方まで

【朝倉】平成十二年七月二十七日に真言宗豊山派が富士山頂で護摩をたいたときも叩きました。太鼓は体力を使い若い人でも息が切れますから七十五才には堪えますね。本年の計画はまだ立っていませんが、埼玉県内の豊山派の太鼓を叩ける人が集まって一同に太鼓を叩けたらと思っています。県内の豊山派は四、五百寺あると思います。実現すればかなりの規模になります。また、龍太鼓を一般の方々にまで広げて、練習に加わっていただきたいと思っています。幸手には太鼓のグループが多いので参加しやすいのではないかと思うのです。それに親しみやすい曲も加えお寺と一般の人との交流も生まれるのではと考えています。久喜では僧侶が地域の太鼓の指導者としてあっちこっちで教えています。

【高木】趣味などは何か?朝倉隆雅さん

【朝倉】趣味は本を読んだり植木の手入れをしたりすることです。最近ではひめだかと花蓮を増やすのが楽しみになっています。ひめだかはめだかの一種ですが金魚のように朱色に色づいています。最近の小川やせせらぎにめだかも少なくなっていますが、ひめだかは水温が二十℃になると産卵しますので、ホテイアオイなどの水草を入れた水槽に飼っていると水草の根っこに0.5mm位の卵をたくさん産み付けます。卵は最初透明で光っているように見えますが、孵化に近づくと色が付いてきます。孵化したばかりのひめだかは小さくてかわいいですよ。一年足らずで成長しますので、どんどん増えていきます。自然に帰してあげたり、近所の子どもさんたちに差し上げたりしています。花蓮も鉢に植えて水遣りさえおこたらなければ増えていきます。小指くらいの花が咲きますがとってもきれいです。こちらも増えたら好きな方に分けてあげています。

【高木】それでは、お友達をご紹介ください。

【朝倉】鳶のかしらをしている沢村光男さんを紹介します。沢村さんは民生委員としても活躍されていますが、私たち夫婦にとっては教え子でもあります。


【高木】ありがとうございました。地域においてますますのご信仰を集められますようご祈念いたします。(朝倉さんは元中学校の先生、奥様は元小学校の先生という指導者のご夫婦で、ご住職としても地域から厚い信頼を受けられていらっしゃる方です。とても穏やかな方でした)




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