2004年8月22日



 記録的な猛暑の夏も朝夕には秋風を感じる季節です。アテネオリンピックも開幕から一週間が経過して日本選手の活躍が連日報じられております。さて、本日の友達の輪は数字の二が五つも並ぶ偶然が起きました。今日は二二日で友達の輪、二二二番目の方です。そのラッキーな方は宝聖寺のご住職である朝倉隆雅さんよりご紹介いただきました沢村光男さんです。沢村さんは鳶職をはじめ、一般木造基礎やエクステリアなどを施工するお仕事をされており、頭としてお忙しい日々を過ごされていらっしゃいます。

鳶沢村(とびさわむら)
代表 沢村 光男さん
本紙取材 木 康夫

【高木】こんにちは。朝倉さんからご紹介いただきましたが、朝倉さんご夫婦が小学校と中学校の恩師だそうですね。


【沢村(敬称略)こんにちは、よろしくお願いいたします。朝倉先生は奥様が小学校五年生の時の担任で、住職は中学校二年生の時の担任です。住職ご夫妻には幼少期から現在まで大変お世話になっています。現在、地域住民の生活を支援するお手伝いということで民生員を仰せつかって三年目ですが、住職の奥様には民生員の大先輩としてもご指導いただいております。民生員は厚生大臣から委嘱を受けて努めておりますので、責任もありますがこの地域は農村地帯で顔見知りが多いので協力体制も取りやすく助かっております。

【高木】お仕事についてお伺いさせていただきます。沢村さんは代々お仕事を継がれているようですが?

サラリーマンから
三代目に
沢村光男さん

【沢村】私が三代目になります。初代となる祖父が大正時代に創業しました。当時は頭というものがいなかった時代で、元来器用だった祖父が技術を活かして業を興したようです。その後、二代目である父が後を継いだのです。私は後を継ぐ意識はなかったのですが、ちょうど幸手団地が造成される直前の頃でしたね、私たちの地域で耕地整備事業が始まったのです。大掛かりでしたから人手がたくさん必要だったようです。農家の人たちに農業のかたわら土木作業などの手伝いが求められたのです。私は東京にサラリーマンとして勤めておりましたが、家族から耕地整備事業に協力するように勧められ、やむなく勤めを休職して帰ってまいりました。結果的にこのことで家業を継ぐことになりましたが、あれから、現在まで四十年にもなります。あっという間のように感じてしまいます。現在でも、仕事に行くと「前のおじいちゃんにもお仕事を頼んでいたのですよ」などと声を掛けられることも多く、先々代のお客様が現在までお付き合い下さいましてとてもうれしく感じております。四代目への後継ですが、この仕事は下積み十五年はかかりますので、現在、勤めをしております息子がおりますが、短期間で後継は取れませんから、私で最後かなと思っています。(笑)

【高木】射撃をされているそうですね。

鉄砲を趣味に
三十三年

【沢村】クレー射撃ですかね。最初に鉄砲を持ったのは二十八才の時でした。初めはキジや鴨猟でした。岩手や福島まで出かけて猟を楽しんでいました。毎年、解禁を待って三十年くらいやっていましたね。猟犬をともない山に入り、飛び立つ鳥を撃つのですが、なかなか獲物を見つけるのはたやすいことではありません。それに、私自身は猟で捕ってきた鳥はさばけないので、父がさばいていましたね。そんなこともあって、ここ数年は狩猟はやらなくなりました。幸手射撃クラブにも所属しておりまして、栃木のニッコー射撃場というところがあるのですが、そこで行うクレー射撃が楽しくなってきたのです。年四回の大会があるのですが、クレー百回大会が開催されるほど幸手射撃クラブの歴史があります。

【高木】クレー射撃のルールはどのようなものなのですか?

ゴルフと同じ
ハンデゲーム

【沢村】一般的なゲームでは直径10Cm位の素焼きのお皿が地上から30m程はなれた所に打ち出されます。左右、正面とクレーの飛んでいく場所が違いますので、それを散弾銃で撃つのです。一枚のクレーに二発撃つことが出来ます。一ラウンド25枚のクレーが「はい」という声と同時に打ち出されるのですが、集中していませんと当てることは難しいですね。クレーは数秒で落下しますし、どんどん遠くに行ってしまいます。私の場合は一ラウンド平均12枚〜13枚といったレベルですね。これを四ラウンド百枚撃ってその得点で競います。クレー射撃はゴルフと同じようにハンデがあるゲームです。ハンデ戦ですから私たちにもチャンスがありまして、四ラウンド戦って同点になり、決戦ラウンドとしてさらに一ラウンド戦い優勝した経験があります。大会も楽しいですがストレス解消にはとてもよいスポーツですね。肩に発砲したあとの反動がくるのですが、それが心地よくなってきますね。

【高木】他に趣味などは?沢村光男さん

二十年間
  毎週カラオケ

【沢村】気のあった仲間で毎週水曜日に決まった場所に集まってカラオケを楽しんでおります。かれこれ、二十年になりますから集いも千回は超えたと思いますよ。カラオケブーム以前から集まっていましたね。とにかく毎週のことですからみんなもずいぶん長く続くものだと思っています。でも、最近は歌を歌うよりも雑談が多くなりました。カラオケブームも過ぎて、時代が変わってきたのでしょうかね。

【高木】千回というのはすごいですね。二十年も続く秘訣などあるのですか?十八番はなんでしょうか?

【沢村】十八番は五木ひろしの「のれん」です。(笑)長続きの秘訣ですか、そうですね、気のあった仲間であるということと、出られる人が来るということ、いろいろな話が出来ることでしょうか。自分にはモットーが三つありまして、一に健康、二に笑顔、三に人の話を良く聞くということです。地域の集まりでもカラオケでもすべてに言えると思いますが、何よりもこの三つが大切だと思っております。


【高木】なるほど、参考にさせていただきます。では、お友達をご紹介下さい。

【沢村】ひばりが丘球場にいらっしゃる関口亢二さんを紹介いたします。

【高木】ありがとうございました。さらに地域でのご活躍をご期待申し上げます。(沢村さんは民生員のほか交通安全協会の理事や国民健康保険協議会の公職も勤められており、身体を動かすことが大好きとおっしゃるように毎日忙しく動き回られているようです。元気ハツラツという表現がぴったりな方でした)




[Image :logo.jpg]