本日の友達の輪には幸手東中学校の学校長である西宮貞二さんよりご紹介いただいた中村安文さんに登場いただきます。中村さんは幸手市内で製麺業をされています。
中村製麺所
代表 中村 安文さん
本紙取材 木 康夫
【木】こんにちは。西宮校長先生より幸手西中学校時代にPTAでお世話になったとご紹介をいただきました。特に中村さんに開催していただいた「そば打ちの講座」が今も趣味として生きているとお話しいただきました。
【中村(敬称略)】こんにちは。私に出番が回ってくるとは思いもしませんでした。よろしくお願いいたします。私の記憶によれば、西中学校で行なったのは「うどんの作り方」だったような気がします。その時、西宮先生がそば粉を持参して講座が終わった後に、そばの打ち方を教えたのでしょうか?いずれにしましても趣味としてのそば打ちのきっかけとなったことはうれしく思います。
【木】中村製麺さんは代々続いているのですか?
屋号は「はた屋」
肥料や穀物販売
【中村】当地で商売を始めてから私で五代目になります。先代は「はた屋」という屋号で肥料や穀物を販売しておりました。昔は農家より脱穀した小麦を預かって当店で小麦粉に加工するのです。その作業の加工賃をいただいていたようですが、そのうち、挽いた小麦粉からうどんを作り、乾燥させ乾麺にしてお渡しするところまで請け負うようになったのです。三代目の時に製麺業として業種転換したことになります。ですから、現在の製麺業では私が三代目となります。
【木】後を継ぐと決めたのは?
父親を案じて
一大決心
【中村】私は千葉工業大学で電気工学を専攻して、卒業後、複写機などの静電気に関わる試験や研究を行う会社に勤務していました。家業を手伝うといっても自分の時間が空いている時や繁忙期などに限られましたが、男三人、女一人の四人兄弟で長男でしたから、なんでもやらされました。特にうどんを打つということはなかなか体力がいることなんです。父親も年を追うごとに体力の限界を感じてきておりました。そして、第二次石油ショックが起こって勤めている会社も事業の見直しが行われたのです。今でいうリストラですね。自分にとって直接影響はなかったのですが、このことが周りを見つめなおすきっかけとなり、この機会に家業を継ごうと決意したのです。
【木】三代目として味を継承するのは大変ではありませんでしたか?
【中村】代々伝わっているものは昔の味として忠実に継承しております。材料も国産とオーストラリア産の中力粉をブレンドしております。国産の特色は食感も良く味も飽きませんね。でも、色がくすんでいるので一見するとおいしく見えません。その点、オーストラリア産はこしが強く粘り気があり色も良いですね。国産、オーストラリア産、いずれの粉も何種類かの産地の粉をブレンドして当店の味として仕上げております。また、水にもこだわっておりまして弱酸性の浄水イオン水を用いております。この水を使うとこしが強くなりますし、天然の防腐効果があります。粉のブレンド比率や水の量、気候の変化などがちょっとでも違うと出来上がった商品の食感も味も変わってきますから常に研究は欠かせませんね。
【木】製造されている商品を教えてください。また、おいしい食べ方なんてあるのでしょうか?
【中村】当店の商品はほとんどが生です。主にうどん、蕎麦、ラーメンを製造していますが、季節に応じて、夏は冷麦、冬はきしめんを製造します。そして、当店の商品はラーメン以外、すべて包丁による手切りです。大量生産が出来ないと言うデメリットもありますが、包丁切りですとうどんなどの断面が内側に鋭角にくぼみ角が残ります。機械切りですと茹でた時に断面が丸くなってしまいがちですが、包丁切りですと角が残り食感がいいのです。もちろん、夏に製造する冷麦(ひやむぎ)も特殊な切り刃で切ります。食べ方ですがうどんの場合は沸騰しているお湯にうどんを入れます。そして、強火で茹でていますと泡が出てきます。ふきこぼれないように注意しながら、茹で上がる寸前に弱火にして一分くらいお湯の中で蒸らす感じで茹でます。すると、ふわっとしたおいしいうどんが出来ますね。昔はうどんを茹でるときにかまどに薪でお湯を沸かしていましたが、ふきこぼれる寸前にかまどの薪を抜いて火力を弱めたそうです。この状態を蒸らすと言っていたのですが、現在でもこの茹で方がおいしい茹で方になっております。
【木】ふわっとしたうどんですか、おいしそうですね。趣味などは?
健康管理に
ウォーキング
【中村】旅行やゴルフですね。休みが取れないので最近は夫婦で温泉に日帰りで行って、ご飯を食べたり産地の野菜を買って帰ったりしています。ゴルフはハーフ40代前半ですが、これ以上のスコアアップはもっと時間がないと出来ませんね。最近は健康管理に気を使う年齢になりました。現在五十八才ですが、時間があるときの夜は必ず歩いています。早足という感じです。一般の歩き方が一分間百歩位ですが、歩き出しは百二十歩ではじめ、百四十歩、百七十歩とピッチを上げていきます。心臓や肺の強化にもなりますし柔軟性も出てきました。自分はなにかのきっかけや記念に事を起こすことが多いのですが、ウォーキングも青年会議所が二十周年の五十五才の時にはじめ、永年吸っていたタバコを辞めたのも幸手高校の二十周年記念があった五十二才の時でした。「知足安分」が座右の銘ですが自分の出来る範囲で一生懸命生きるということを大事にしています。
【木】では、お友達をご紹介ください。
【中村】上高野小学校、上高野中学校の同級生で、現在、幸手中央ロータリークラブに入っている松本貞夫さんを紹介します。松本さんは岩槻で「ステーキハウスまつもと」のオーナーシェフです。
【木】上高野中学校というのがあったのですか?
【中村】幸手中学校上高野分校という名称でしたね。
【木】ありがとうございました。これからもおいしいうどんやお蕎麦を消費者の皆様にお届けください。ますますのご繁盛を祈念いたします。
(中村さんはとっても穏やかで包容力のある方でした。取材の帰り際にお土産として手打ち生冷麦をいただきました。早速、夕食に冷麦をいただきましたが、こしがあっておいしかったです)