先週号は市民まつり特集号のため友達の輪の掲載が一週間伸びてしまいました。楽しみにされていた読者の皆さまには大変お待たせいたしました。本日の友達の輪には池田油店の池田岩夫さんよりご紹介いただいた山下燃料店代表の山下忠雄さんに登場いただきます。
山下燃料
代表 山下 忠雄さん
本紙取材 木 康夫
【木】こんにちは。幸手中央ロータリークラブの池田さんからご紹介いただきました。
【山下(敬称略)】こんにちは。こちらこそよろしくお願いいたします。池田さんは久喜地区危険物安全協会の会長です。私も本年から幸手市危険物安全協会の会長という立場でいつもお世話になっている方です。
【木】火を使うことが多くなる季節ですね?
【山下】危険物安全協会は燃料店やガソリンスタンドをはじめ事業所や大型施設で危険物を取り扱う事業者の集まりです。私どもとしては燃料の販売側であり、直接取り扱う立場ですから積極的に協力しています。現在八十六事業所が入っており、危険物による事故や災害を起こさない為に勉強会や講演会などで研鑚を高めています。消防署が窓口になっておりますが、年末に向かって各所で火を使う事が多くなりますので十分気をつけていただきたいと思います。
【木】歴史をお話頂けますか?
【山下】私で三代目になります。昭和五年に祖父が燃料の販売をはじめました。昔の前掛けには山下薪炭店とありますから、文字通り薪、炭を中心に商いをしていたのでしょう。当時幸手には燃料店が六、七軒しかなかったようで、薪や炭は自転車でリヤカーを牽いて配達していました。昭和三十年頃に石油コンロが出るまでは、火鉢や木炭コンロ、練炭コンロが主流でした。一般の家庭で炊事をするにも練炭コンロでした。当時の燃料店は夏は暇で冬になると忙しいのです。そこで、暇な夏場になるべく多くの練炭を配達して、その代金は年末に頂くという盆暮勘定が存在しました。当時は人口も少なく顔見知りがほとんどでしたからこんな商売も出来たのですね。
【木】燃料もずいぶん変わってきましたね。それに、お茶のお店もされていますね。
【山下】燃料は薪や炭から灯油やプロパンガス、都市ガスと変化してきました。その切り替えをタイミングよく行ってきたので今があるような気がします。薪や炭に長く縛られていたら淘汰されたでしょう。ガスを取り扱うときも、現在幸手都市ガス社長である藤倉さんから、ガスの将来性などと共に技術指導を受けたのです。おかげで、プロパンガスや都市ガスにも関わることが出来て感謝しております。もし、ガスにも目を向けていなかったら燃料店として、シェアは激減していたことと思います。ですから、今までエネルギーの変遷を直視してきただけに次はなんだろうと考えます。太陽エネルギーも有望ですし楽しみですね。お茶ですが、燃料店はお店を構えていますが店で売るものがなく、必ず誰かがいないといけません。ある時、狭山でお茶の生産をしている友人が「お店で留守番も兼ねてお茶を販売しない?」と持ちかけられたのです。燃料とお茶を兼ねていた店もあったようで、一年間お茶の勉強をして昭和五十年に「お茶とのりの山下」を開業しました。そして、今はありませんが、キャラバンというコーヒーショップも開店しました。電話番号が二番だったものですからTVのカステラの宣伝に似せて「お茶は一番、電話は二番、三時のお茶はキャラバンで」とPRしていました。
【木】異業種へのチャレンジですね、これからの事業などは?
【山下】燃えるものを売っているのだから消すものも扱おうという発想で消火器の販売と詰替え保守点検も始めました。また、ガソリンスタンドや燃料店などに埋設されている地下タンクの検査を行う業務も始めました。ガソリンスタンドや燃料店、大事業所などの地下タンク(ドラム缶五十本分)については年一回の検査が義務付けられているのです。埋設管気密検査というのですが、専門の検査器具など設備投資もかかるので埼玉県でも二十社しかありません。特に越谷以北は当店のみです。片腕となる息子も後継者としての実績を積んできましたので、新事業としてこれから力をいれてみようかと考えています。
【木】趣味も豊富なようですが?
山下忠雄と
東京ブルーオーケストラ
【山下】趣味はギターの演奏ですね。高校生の頃ベンチャーズやビートルズが流行り、みんなエレキギターを持ってバンドを作りました。私も高校に通っているとき同級生とバンドを作っていました。卒業後、仕事に入ってしまい、二年ほどバンド活動から離れましたが、杉戸のグループとバンドを結成して一番目立つリードギターを担当しました。さらに幸手都市ガスの社員たちと都市ガスのイメージアップと地域貢献を掲げて平成四年にロックバンドを結成しました。その名も「ガスバンド」と言って、現在も活動が続いています。杉戸の流灯祭や老人福祉センターへの慰問など声を掛けて頂ければ、ナツメロ、演歌からベンチャーズまで演奏します。(笑)昔、三ッ林弥太郎さん(現代議士の父)が応援歌を作ったことがあります。そのレコーディングにギターのパートを頼まれて、プロのスタジオミュージシャンに混じって演奏したことがあります。ギターは自分では上手いほうだと思っていたのですが、レコーディング中は音が出てしまうので足でリズムがとれず、靴の中で指を動かしてリズムを取っていた覚えがあります。私は事前に練習して本番に臨んだのですがスタジオミュージシャンはその日はじめての譜面なのにわずか三回でOKを出してしまいました。その後、縁あって幸手幼稚園の園歌もミュージシャンとしてレコーディングしました。レコードには演奏・山下忠雄と東京ブルーオーケストラと書いてありました。とてもうれしかったですね。
【木】では、お友達をご紹介ください。
【山下】七十才を過ぎても結婚相談所や算命占星学などバイタリティな新井康之さんをご紹介します。
【木】ありがとうございました。さらなるご活躍を期待いたします。
(山下さんはとにかくギターの演奏が大好きで、一人でリズムボックスを相手に練習されたりするそうです。キャラバンというお店もベンチャーズの名曲からとった名前だそうでその音楽好きは深いものがあります。加山雄三似の素敵な方でした)