2005年12月25日



今日はクリスマス。今年最後の日曜日ですね。ケーキを囲んでクリスマスパーティをされているご家族も多いことと思います。さて、友達の輪も今年最後となり、その「とり」を取っていただく方は結婚相談所さくら会の新井康之さんよりご紹介いただきました飯原宗次さんです。飯原さんは新井さんが自宅のベランダ建築をお願いして以来の永いお付き合いをされている方だそうです。

渠ム原工務店 
代表取締役 飯原 宗次さん
本紙取材 木 康夫

【木】こんにちは。今年最後を飾っていただくことになりました。年の瀬のお忙しい時期ですがよろしくお願いいたします。


【飯原(敬称略)】こんにちは。友達の輪は毎回拝見させて頂いております。今年最後のとりと言うことで緊張しています。よろしくお願いいたします。

【木】飯原さんは工務店のお仕事は長いようですが?

【飯原】私は五霞町(当時は五霞村)で大工職の次男に生まれました。当家は代々大工を継いできて父は三代目にあたります。兄弟は男三人女三人の六人兄弟で、男は家業を継ぐものと父親の背中を見て育ってきました。工作好きだったこともあり小中学校の時のあだ名は「大工さん」でした。(笑)中学校の夏休みなどは父親について現場に行き、ゴミくずを片付けたり釘打ちの手伝いをしたり、ノミの練習をして上達したら柱のホゾ穴を彫ったりしていました。父がアルバイト感覚でひとつのホゾ穴彫るといくらとお金をくれましたからうれしくなってどんどん上達しました。学校を卒業後大工の後を継ぐなら他所で修行をしたほうが良いと考え、西関宿の植村建築さんというところにお世話になりました。

木】修行時代は大変なことはありましたか?

修行を積んで
親子三人の工務店

飯原宗次さん

飯原修行では感じませんでしたね。でも、尺貫法でしたから今までcmで慣れてしまっていたので、なかなか実寸がつかめなかったですね。三寸が10cm位ですが慣れるまでに頭の切り換えが大変でした。二年間修行を積んでいよいよ実家に戻って父と兄と一緒に仕事をするようになりました。三年間くらい三人一緒の仕事が続きました。ちょうど新四号バイパスが出来た頃で、仕事がたくさん来るようになってこれから忙しくなるぞという時に父が病気で他界してしまったのです。ショックが大きかったですね。兄が先頭に立って兄弟で協力をして父亡き後を継ぎましたが、落ち着くまでに時間がかかりました。その後、私も一国一城の主を夢見て独立しようと決意したのです。

【木】創業期のお話ですね。

モットーは
喜び働く人は尊し

飯原
飯原 独立と言っても従業員は無く、結婚したばかりの家内と二人で幸手のアパート暮らしをしながら木立野工務店さんの下請けとして七年間「ひとり親方」をしました。朝から晩まで仕事一本、休みなしに本当に無我夢中で働きました。働き過ぎかどうかはわかりませんが、二十五才の時には病気で十五日間入院してしまいました。そして、二十六才の時に思い切って借金をして我が家を建てました。当時から「直接請け負って、直接施工」を掲げ「喜び働く人は尊し」という言葉をモットーにお客様の立場で住宅を作ることを大事にしていました。おかげさまで今までに二百棟以上の住宅を作ってまいりました。


【木】お仕事での夢などありますか?

あったかな
ファミリー会社

飯原宗次さん

飯原夢ですか?そうですね、長男に家業を継いでほしいですね。娘の婿が私の片腕として働いてくれていますが、十九才の頃に設計会社に勤める彼を連れてきたのです。その時、娘が結婚相手に考えているような感じがしたので、うちの工務店に来て一人前になったら結婚してもいいと言ったのです。それから十七年になりますね。今では娘の婿として一人前になって当社の頼もしい戦力になっています。自宅は自分の両親に二世帯住宅を建ててあげたのですが義息子ながらなかなかの出来上がりと感心しています。長男は人付き合いや人とのふれあいが大好きで現在も学業のかたわら工務店の仕事も手伝わせているのですが、家内が息子に「お父さんはまじめな人だけど、おまえもそっくりだよ。きっと、家庭思いでよく働くよ。」と言うのですが、息子はきまって「お父さんの後は継ぐよ。」と家内には言ってくれるのです。ときどき建設関係の講習会などには代理で行かせるのですが、こういう時は、ものすごい意気込みです。でも、まだまだ自分の趣味を大事に都内を駆け巡っていますよ。(笑)

【木】アットホームなファミリーで楽しそうですね。趣味などは?

ゴミ拾いで
きれいな街にしたい

飯原仕事柄、古い民家や神社仏閣などが好きです。カメラを持って写真を撮りながら夫婦で旅行しています。また、ボランティア活動は積極的に行っています。毎年のことですが夏祭りや市民まつりでのゴミ箱の設置や清掃活動などをはじめごみ拾いの奉仕活動を行っています。私はもともとごみ拾いが好きなんです。街をきれいにすることが好きなんですね。よく若い人がポイ捨てをしたりしている光景を見たりしますうが、そんな時、この街の将来はどうなってしまうのだろうと感じてしまいます。ごみ拾いをすることによって自分自身も捨てられない気持ちを持ちますからたくさんの人たちにごみ拾いに参加してほしいですね。

【木】では、お友達をご紹介ください。

【飯原】陶芸家の矢吹トシ子さんをご紹介いたします。矢吹さんとはご自宅や陶芸室の建築を依頼されてますが、かれこれ二十五年以上のお付き合いをさせていただいております。

【木】ありがとうございました。今年も残り一週間ですがさらに良い年をお迎えください。
(飯原さんは取材の時、印半纏で応じて下さいました。印半纏の背中には『まとい』がしるされていました。『まとい』を振ることは魔を切るという意味があって縁起が良いとされているようで、棟上の時などにはまといを振られるそうです。後継者である息子さんの名刺には『夢案内人営業』という文字が際立っておりました。




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