寒い日が続きますね。気がつけば一月も残りわずかで暖かい地方から梅の花便りも聞こえてきました。さて、今回は矢吹トシ子さんよりご紹介いただいた山崎和夫さんです。山崎さんは幸手ハイキングクラブで前会長としてご活躍されています。
幸手ハイキングクラブ
前会長 山崎 和夫さん
本紙取材 木 康夫
【木】こんにちは。趣味が豊富と伺いましたが?
【山崎(敬称略)】若い時から大変多趣味で写真・カメラ・山登り・へら鮒釣りと現在でも飽きずに続いております。山登りの後にハマったへら鮒釣りでは幸手市内に釣具店を開業するまでのめり込みました。
【木】最初の趣味は何でしたか?
【山崎】昭和二十九年高校を卒業し社会人になりたての頃、雑誌の写真に目がテンになりました。それは、北アルプス穂高岳連峰の白銀に輝く峰々が写っている有名な山岳写真家が写したものでした。当時は質の悪い紙に印刷されていたのですが、私には衝撃的でした。この事が私の人生に多分に影響するとは思ってもみませんでした。カメラは持っていませんでしたが、自分もこの様な写真を撮りたいと四六時中思っていました。そして、初任給八千円をもらうとカメラ屋さんに直行し、二眼レフカメラのローライフレックスをあり金叩いて買い求め、汽車の便のよい谷川岳に狙いをつけ、水上町にカメラを持って出掛けました。悲しいかな望遠レンズの付いていないカメラでは谷川岳は小さく写っているだけでした。五月でしたが麓の土合では残雪が数メートルもあり山の装備も、経験のない私には登山口まで行くことも出来ませんでした。
【木】登らないと山の写真が撮れないということですね。
【山崎】良い山岳写真を撮るには山の知識・経験・装備が必要であることを身をもって知った私はすぐに歴史の古い東京野歩路会に入会しました。始めは低山から尾根歩きと先輩たちに叱咤されながら後を付いて歩いていましたが一年位経つとそれでは飽きたらず、丹沢の沢歩きや岩登りを先輩達の指導を受けながらするようになりました。そして一つの会に満足できず桶川町の同好の志を集め約二十名で「四季山岳会」の名で会を立ち上げ、ますます山好きが高じヒマさえあれば山・山・山の生活でした。二眼レフカメラは重いのでだんだん家に置いて行くことが多くなり、その分山の装備が増えていました。
【木】写真から山男へと移っていったのですね。
【山崎】夏の谷川岳は尾根、マチガ沢、オジカ沢、一の倉沢等三十回くらい登っていました。同行の友人は五十回位登頂の経験がありました。その経験が慢心となっていたのでしょう。昭和三十五年二月谷川岳の冬山に始めて挑戦したのです。そして遭難未遂を起こしてしまったのです。その日は天候もまあまあの状態で土合沢から積雪の多い中、約九時間位を要して山頂を極めました。二月なのに途中で雨になり着衣はずぶぬれ、山頂近くでは気温が急低下し視界も悪く雪となり濡れた着衣はみる間にバリバリに凍ってまるでブリキで作ったヤツケのようでした。明るい内の下山は不可能と判断し山頂の「肩の小屋」でビバークすることに決めました。しかし、ガスが濃くなり付近を探しましたが見つかりません。だんだん焦ってきましたが、下山はできないので雪洞を掘ってビバークすることにしました。暗くなるまでにようやく二人が背を丸めては入れる程の雪穴ができました。
【木】えっ、遭難ですか?
【山崎】天気は三日位荒れるかも知れないと判断し食糧・燃料を四等分に更に個々に二等分し備えました。一日目に固形燃料は使い果し二日以降はロウソクのみの暖でした。夜は眠ってしまうと凍死するので一人ずつ交替で起きていました。私は一旦眠ってしまうとなかなか起きないのでロウソクの火で私の手をあぶり起こされました。靴紐を解きたいのですが靴も凍っているのでできません。ナイフで切ってしまえば替紐がないので下山できなくなります。本当に生死に耐えた三日間でした。四日目には荒れ狂った暴風雪も止み、素晴らしい朝日が山々を白銀に染めていました。積雪は腰まであり天神峠を経由し水上駅まで十時間あまりかかり下山しました。水上駅で駅員から捜索隊が集結していることを告げられ、土合駅に行くと岳友や報道関係が大勢集まっていました。翌日一部の新聞に掲載され、反省の意を含め暫く山登りを自粛しました。その後、妻との結婚話があり山を止めればとの誓約をとられてしまいました。(笑)
【木】それでへら鮒釣りにはまり、ハイキングですね。
今度は登山じゃなく
ハイキングだ
【山崎】幸手ハイキングクラブはハイキングを主体に十五年前に設立され現在十八名が所属し毎月月例山行を行っています。昨年は百名山である上州武尊山・皇海山・赤城黒桧山の三山をはじめ他に九座の山々の頂を月毎に極めることができました。私達は常に安全にそして楽しい山登りを心がけており十五年間無事故を誇っています。七十歳を期に会長職を昨年十二月で勇退し後進に譲りましたので今年は他の趣味と併せて山登りを続けたいと考えています。昨年一昨年と妻と秩父三十四ヶ所札所めぐりや阪東三十三ヶ所めぐりを終了しましたので機会があれば四国八十八ヵ所めぐりを徒歩で順拝してみたいと思っています。
【木】目標を持つことは素晴らしいですね。座右の銘など?
【山崎】千里の道も一歩から」の言葉が大変好きです。山歩きも一歩一歩、歩くことにより山頂を極めるのですがその達成感はやらない人には理解できないものです。人生もまた然り。なんでも一歩踏み出して見ることだと考えます。私の趣味はこの様に一枚の写真から始まり終生変わらぬ生きがいとなりつつあります。皆さんも趣味を作ろう、そしてまず一歩踏み出してみましょう。
【木】そうですね。ではお友達をご紹介下さい。
【山崎】前幸手商工会長の奈良次男さんをご紹介します。公私にわたりとてももお世話になった方です。
木 ありがとうございました。これからも素晴らしい自然を堪能下さい。
(山崎さんはとても几帳面な方で写真や記録をわかりやすく整理され、自分史を開くようにお話下さいました。パソコン、デジカメとITを駆使する現役顔負けの方でした)