2006年2月12日



節分も過ぎ春の訪れを待ちきれないように梅の開花情報が伝わってきます。まだまだ寒い日が続きますが本日の友達の輪には幸手ハイキングクラブの山崎和夫さんからご紹介いただきました奈良次男さんに登場いただきます。奈良さんは幸手市商工会長をはじめとする多くの公職に携わっておられた方で「文具書籍のならいち」さんの二代目です。

幸手市商工会
前会長 奈良 次男さん
本紙取材 木 康夫

【木】こんにちは。奈良さんはいつもお元気そうですが。


【奈良(敬称略)】私は大正十五年の生まれで八十才になります。元気と言われましても二十才の時から一気に駆け抜けてきましたので今はボケない程度に仕事をして、のんびりと過ごさせて頂いております。

【木】若い時代のお話しを伺いたいのですが?

青春時代は
戦争時代

【奈良】当家奈良は幸手市の川崎にあった奈良家から分かれたもので、初代は明治の時代に呉服屋を営んでいたようです。二代目である奈良市太郎が書籍と文具を取り扱うお店を幸手で興したようです。その後、浅草に文具の卸のお店を支店として開業しました。しかし、浅草の支店は戦災で焦土と化し失ってしまいました。記憶が鮮明に残っていますが、私は落胆した父と共に鐘ヶ淵から歩いて幸手まで帰ってきた。これからどうなってしまうのだろうと真剣に感じましたね。
木 仕事一筋に歩んでこられたことと思いますが、青春時代は何をなさっていたのですか?
奈良 そうですね。空にあこがれていて空を飛んでいましたよ。(笑)青春時代は戦争と重なりますが、私は旧制浦和商業学校時代、グライダー部に所属しキャプテンを務めていました。戦時中でありましたがグライダー部はとても珍しく、毎日グライダーの訓練に明け暮れていました。当事のグライダーは初級機と呼ばれ離陸する時はおもちゃのようですが、ゴムで引っ張るものでした。(笑)卒業後、筑波工業専門学校に入りましたが二十才の時に最終兵隊検査を受けて入隊直前に終戦を迎えたのです。それで、奈良市商店に勤務するのですが以来仕事一筋に生きてきました。


【木】呉服業からは三代目になるのでしょうが、書店としては二代目として家業に入ったわけですね。奈良次男さん

「組織の時代」へと
変革

奈良そうですね。私は名前の示すとおり次男でして、兄がいたのですが十六才のときに病気で亡くなってしまいました。それで、まだまだ先の事だし、二代目を継ぐ場合は私がという意識はありました。ところが、私が二十五才の時に、今度は父である市太郎が倒れてしまい、実質的な経営に携わらなければならなくなりました。それで、いろいろな先輩に話しを聞いたり勉強させていただきました。当時、私の尊敬する横浜にある大きな書店の先輩が「これからは組織の時代だ。組織がしっかりしていなければ企業として生き残れない。」と示唆されました。それで、組織をしっかりさせるためにも法人化しようと、当事としては合資会社が多い時代だったのですが、株式会社化したのです。幸手でも株式会社は珍しかったように記憶しています。

【木】社長業五十年だそうですが、振り返って思い出などありますか?

社長業 50年
商工会長 22年

奈良若くして父からバトンを受け継ぎ、昭和二十九年から昨年まで社長職を勤めました。思い出としては昭和五十年代は「イケイケ・ドンドン」の時代で多くの物が動き、景気もすごく上向きでした。当社は学校の教科書も扱っており、人口も増えていましたので多店舗化の道を選択しました。おかげさまで最大で七店舗まで展開しましたが、本屋という商売は来てもらう商売です。ですから、車社会が進み市街地店舗においては駐車場がないと集客が難しい時代となりました。多店舗化を推し進めるならスケールメリットが出てくる百店舗なければ意味が無いと判断し、店舗を撤退しながら、現在は本店と久喜新道にあるロード型のお店の二店舗での経営です。

【木】商工会会長としても永くご活躍されましたが、思い出などありますか?

奈良昭和五十七年から昨年まで二十二年あまり商工会長を勤めさせていただきました。小売業は専門店として努力すれば報われた時代がありましたが、現在では厳しい環境にさらされています。知識やサービスを売るものは伸びているようですが物を売る商売は厳しいですね。幸手商工会は埼玉県でも古い組織で百年を超えた歴史を持っています。県内でも一、二番の古さだと思います。逆に言えば百年前は日光街道の宿場町として栄えていたと言うことだと思います。設立当初は商業会という任意団体で昭和三十五年の商工会法に基づいて商工会となりました。

【木】商工会時代でのご苦労などありましたか?

奈良次男さん

事業は十年先を
見つめて

奈良そうですね。Dマートさんの出店の際には大変苦労しました。地元商店街の活性化もしなければなりませんし、大型店の出店に共存できる競争力もつけなければなりません。それで、Dマートさんにはお話しして店舗の計画面積を縮小していただきました。さらに、幸手の町を近代化するからという理由で開店を一年間伸ばしていただきました。その一年間に埼玉県の事業として中央商店街にある電柱七十三本を移転し、歩道を広げてカラー舗装し、街路灯を約七百本設置しました。また、駐車場を分散して整備しました。最前線から離れましたし、時代も変わっていますが、問題が発生したら十年先を見つめて、理想ではありますがやって欲しいと思います。

【木】では、お友達をご紹介ください。

【奈良】商工会には商業部と工業部がありますが、工業部に所属する商工会副会長のマルモ産業代表取締役森正寛さんをご紹介いたします。

【木】ありがとうございました。お体にご留意いただき益々のご活躍をご祈念いたします。
(奈良さんの元気の秘訣を伺うと、役職を持っている時は気が張っていたので元気でしたが、これからは、やる事を忘れる事、やる事をひとつづつ片付ける事、に徹したいとの事です。また、六十年間走りつづけた姿に六十五才時には通産大臣から黄綬褒章を受章され、七十一才の時には天皇陛下より勲五等瑞宝章を受賞されたそうです)




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