錦織保育園の芹沢園長先生にご紹介いただきました幸手市中4丁目で、肥料店を経営されている新井潔さんと対談してまいりました。
(株)新井庫蔵商店
代表取締役・新井 潔さん
本紙取材・高木 康夫
【高木】芹沢さんのご紹介でお邪魔しました。お子さんが錦織保育園に通われていたのですね。
【新井(敬称略)】子供が2人いますが、長男が2歳の時、家内が2人目を身ごもり、商売の方もあるので、どこかに預けようということになったのです。しかし、2歳ですから幼稚園は無理ですし、たまたま近所の方に保育園の事を聞いたので見学に行き子供たちの様子や活動などを見て、話を聞いているうちに感じるものがあり、その日のうちにお願いする事になりました。芹沢さんとはそれ以来のお付き合いで、通うきっかけとなった下の娘も一緒にお世話になり、いまでは小学校3年生と1年生になっています。
【高木】随分決断が早かったのですね。
【新井】元来、私は決断が遅いほうなんですよ。色々と考えてしまいなかなか決められない性格で「こうしたら、どうなるだろう」というシュミレーションを先にしてしまいます。でも、経験の無い子育てには既成概念がなく、感じたままでお願いしたのです。前号で芹沢先生が話されてましたが、子供たちと共に、みんなで竹林を切り開き、園庭を作ったりしたことは、子育ての本質とは何かを勉強させていただく良い機会だったと思います。子供は卒園しましたが、錦織保育園には感謝しています。
【高木】そうですか。新井さんは何代目ですか。
【新井】この地域は、田舎といいましたが、それはこのあたりが田んぼばっかりだった頃、雷電神社(通称雷電様)があって田んぼの中にお宮があり、そう呼ばれていたそうです。大正10年に初代が雷電様の西側で肥料や石炭の販売を始めたそうで今年で約75年目ですが、私で3代目です。私は兄と姉の3人兄弟の末っ子ですが、兄が就職を決めるとき父に「この仕事はおまえが継げ」と云われ、そうかなと軽く考えていました。
大学卒業の時に2、3年社会勉強でもということで、都内の会社に就職したのです。ところが、入社後19日目に突然父が亡くなり、家族と相談の結果、19日間で退職し、現在の肥料店の業務についたのです。私は電子工学を専攻してましたので、経営や肥料の事など全く解らないままのスタートでした。幸い社員は全員ベテランで家族同様だし、取引先やお客様にも恵まれ、父の亡き後も若輩の私を父同様面倒をみていただきなんとか今では地に足が着いた仕事をさせていただいてます。
【高木】先代は早く亡くなられたのですね。
【新井】そうですね。でも、父も祖父を早く亡くし、母から聞いた話ですが「あんたのおやじには良くしてもらったと言う人はいても、ひどい目にあったと言う人は1人もいなかったよ」と言われ、亡くなった父はとても祖父に感謝していたそうです。私もまったく同様で、父に感謝していますし、そういう親父になりたいと思っています。最近は、他人を蹴り落としてでも競争に勝てばいいとか、どんな事をしても自分さえ儲かればいいとか、そういう風潮が強い気がします。オウム事件や厚生省の汚職事件等どれを見ても根底はそういうことなのかなと思います。他人はごまかせても、自分はごまかすと辛いもので、自分に恥ずかしくない生き方が出来るよう、正々堂々、誠意をもって人と接することができるような人間になりたいと思います。
【高木】優しい農家の方々に学んだことですね。
【新井】農家の方々は自然が相手ですから、思いやりは深いものがあります。他のビジネスと違い農業は1+1が2になりませんから、私たち肥料屋としても、本当に親身になったお付き合いをさせていただくのです。ご存じでしょうか、幸手では新潟にも負けない美味しいお米が作られています。戦前では新宿の洋食屋中村屋へ貨車で販売され評判だったと聞いていますし、最近では全国の美食計測(お米の味を数値に換算)で日本一にもなっています。これからも農家さんには美味しいお米を沢山収穫して頂き、消費者の皆さんには機会があればぜひ召し上がっていただきたいと思います。
【高木】以前に美味しいお米の話は伺ったことがありますし、私も幸手で穫れた美味しいお米を食べたことがありますが、本当に美味しいですね。ところで、パソコンがありますが、昔とった杵柄ですか?
【新井】仕事と趣味で使っています。大学時代はプログラムも組んでいましたが、進化が早く、今では既存のソフトで精一杯です。従兄弟が大学でコンピューターの講師をしていますが、パソコンについて解らなくなったら、学生に聞くと言ってますから、私の知識はもう化石ですよ。(笑)
【高木】表の電柱の「質・新井」という看板は?
【新井】幸手で唯一の質屋だと思いますが終戦後から質屋業もやっています。今では大手金融業者が主流ですので、質屋にはあまりお客さんは来ませんが、母が担当で細々と営業しています。大きな看板をあげてはいませんが、それなりに役割はあるものと思っていますし「質ぐさがあって借り過ぎがない時代」のよき産物かもしれません。
【高木】幸手に質屋さんがあったなんて知りませんでした。何かのときにはお願いします。(笑)それではお友達をご紹介頂きたいのですが。
【新井】雷電神社には雷青会という青年会があるのですが、この会では「火の用心の見回り」「子供の夏祭り御神輿」「元旦の雷電様での御神酒配り」など、この地域に密着した活動を行っています。そこでいつもお世話になっております、有限会社魚万の鵜野勝一さんをご紹介いたします。
【高木】ありがとうございました。これからも農家の皆さんに美味しい作物作りへの安全な肥料の提供をお願いいたします。
【取材中職場には新井さんのお母さんと奥様が事務や、お客様のお相手をされており家族団らんで仲の良い御一家を感じました】