1997年1月12日



 読者の皆様には新春を迎え、新なる気持ちでいっぱいのことと思います。「友達の輪」も2回目のお正月を迎え、本年第一番目にご登場いただきますのは、新井庫三商店の新井潔さんよりご紹介いただきました中四丁目でお魚屋さんとおさかな料理のお店を経営されている給尠恆纒\取締役の鵜野勝市さんです。

有限会社 魚万
おさかな料理の店 魚万
代表取締役 鵜野 勝市さん
本紙取材 高木 康夫

【高木】明けましておめでとうございます。本年トップバッターということで、よろしくお願いいたします。

【鵜野(敬称略)】 明けましておめでとうございます。の新井さんとは、この地域(田宮地区)にある雷青会でご一緒させて頂いています。年明け早々のお声掛けに、今年は良い年になるのかなという気持ちですが、対談というのはなれてないので、よろしくお願いします。

【高木】雷青会は、雷電神社に関わる行事や地域の人達とのコミュニテイに青年達が作った会と伺ってますが?

 昔、青年の人も今、青年の人も

【鵜野】かれこれ、25年になりますが、当時の青年達が雷電神社を中心に交流を深めようとできた会です。現在も、そのまま、会の皆さんが残ってますので、まあ、青年と呼ぶにふさわしいかどうかは解りませんが、(笑い)月に一度のペースで地域交流をしてます。私も22才から入っていて、新井さんには地元に戻ってから協力してもらってます。

【高木】お魚屋さんは古いのですか?

 21才で喫茶経営
そして魚屋へチェンジ

【鵜野】私は三代目で、当店は今年で100年目になります。実は、当初この店は二代目の父と叔父で経営してたのです。21才の時に、私のわがままで、どうしても喫茶店経営がしたくて、隣で「喫茶・千登勢」を開店しました。ご覧の通りここは学生通りですから、ホットケーキやパフェ類をメインにすれば喫茶店には良い場所だったのです。でも、当時は、喫茶店も幸手に三軒位しかなく、喫茶店自体のイメージが学生にとっては隠れ家でしたので、学生が喫茶店に入ると不良に見られ、開放的なお店のイメージづくりに随分苦労しました。そして、ちょうど3年経過した時に、魚屋の長男でしたので、この店の選択を迫られ、それまで父と共に魚屋をしてた叔父が喫茶店を引き継ぎ、私が魚屋に入ったのです。

【高木】お隣の「千登勢」さんはご親戚なんですね。喫茶店から魚屋さんでは随分違いますが。

 習うより慣れろ市場で
目利き修業

【鵜野】子供の頃から魚屋で育ってますから、仕事自体は解っているつもりでしたが、自分が選択した道なので、「習うより慣れろ」で今まで来ました。魚屋という仕事は鮮度が決め手ですし、魚の善し悪しを見極める「目利き」が出来ないと商売になりません。ですから、始めは、毎日早朝、父と共に誰よりも早く市場に行き、その日の魚を仕入れる毎日の繰り返しで、目を養いました。鮪等は当店では丸々1本で仕入れますので、尻尾の切り口だけで目利きするのです。鮮度や脂ののり具合が解るまでには随分時間がかかりましたが、今では触った感触だけでも解るようになり、自信を持ってお勧めしています。

  魚屋がやる
おいしい魚料理の店

【高木】お店で「今日はこれがおいしいよ」と声をかけてくれると、本当に安心出来ますね。昨年暮れ、お店を新装されましたが。

【鵜野】やりたいと思った事をやってしまう性格なんですが、生専門の新鮮なお店を作りたかったのと、その魚を使った料理を食べられるお店を併設したくて、全面改装しました。魚屋は専門化し、乾物等を排した分だけ狭くなりましたが、魚屋がやる「おさかな料理のお店」として活きの良い材料で、安くておいしい魚料理を提供してます。昨年12月3日に1.2.3で行こうのゴロ合わせで開店しました。

【高木】やりたいと思ったら、やってしまう方なんですね。

  人生1回きり
自分なりに生きたい

【鵜野】やれるという事は恵まれてると思います。高校時代の同級生達で、今でも月に一度、懇親を計ってますが、その友人からも、「50近いのに、良くやれるよ、同年として、自分たちにも勇気が湧いてくる」と言われました。我々の年代は心のどこかに夢を持ちながらも、置かれている環境を考えると、夢を貫くには躊躇してしまうのかも知れないですね。私は、人生1回ですから、自分なりに生きたいと思っているだけです。

【高木】うらやましいですね。ご家族の反応は。

  やっぱり家族ってありがたいもの

【鵜野】自分勝手な私の行動にも協力してくれます。特に料理のお店が増えましたので、午後5時からの営業ですが、OLをしている長女が手伝ってくれます。最近はヘルシーな和食傾向なんでしょうか女性客が多く来てくれるので、とても娘には助かってます。魚屋もありますので、朝早く市場に行き、夜遅くまでお店を開いていますから、みんな睡眠不足で、良く手伝ってくれるなと家族のありがたさを実感しています。74才の父も、私が市場から帰ってくると、戸を開けたり、掃き掃除やまな板のセットをしてくれたりと縁の下の力持ちになってくれ、あんまり物事を考えないほうでしたが、この歳になって、みんなが支えて生きているんだなという喜びを感じています。

【高木】親思いのお嬢さんですね。

 次にやりたい事四代目大募集

【鵜野】我が家は娘2人で、今年成人式を迎える次女と23才の長女です。親が言うのも変ですが、長女にはこの仕事を継いでくれる人と結婚して欲しいですね。商売が100年続いているからという事ではなく、純粋に娘と共に頑張ってくれる四代目を夫婦共々募集しています。そして、わがままですが、将来は夫婦でのんびりと喫茶店を経営したいなと思っているんですよ。

【高木】娘さんの事は、先々まで考えていますね。四代目大募集にたくさんの応募があると良いですね。それではお友達をご紹介下さい。

【鵜野】先ほどお話した同級生の会で、五霞町で畳屋さんを経営している渡沼○○さんを紹介します。学生時代はあまり話もしなかったのですが、この会で意気統合して、仕事の話や人生の話など毎月逢うのが楽しみな友人です。息子さんがいるのですが、腕のいい畳職人を目指して、京都にある畳職人の学校へ行かせています。

【高木】ありがとうございました。四代目が早く見つかって次の夢が叶うと良いですね。

(夫婦茶碗の良く似合うご夫婦で、お店でも家庭でも産直が味わえる魚万さんでした。) 

 

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