1997年1月26日



 幸手市中4丁目の給尠怐E代表取締役の鵜野勝市さんよりご紹介いただきました五霞町元栗橋の渡沼畳店を経営されている渡沼邦光さんにお話を伺ってまいりました。

渡沼畳店
社長 渡沼 邦光さん
本紙取材 高木 康夫

【高木】初春には真新しい畳の香りが良く合いますね。お忙しいところ職場にお邪魔して申し訳ございませんが、よろしくお願いいたします。

【渡沼(敬称略)】昨年の暮れでしたが、家内がお茶のみ話の中で、「友達の輪」が話題になったらしく、ひとごとのように次は誰なのかなと話していたらしいんです。そうしたら、鵜野さんから紹介されて本当に驚きました。こちらこそ、よろしくお願いします。


【高木】畳屋さんのお仕事は長いのですか?

【渡沼】私は幸手商業高校を卒業後、都内の酒問屋に就職した一般的なサラリーマンでした。当時は都内の社宅に住み毎日を過ごしてましたから自分で事業をやるなんて思いもしませんでした。

  親孝行したくても
親は無し

【高木】どうして、転職されたのですか?

【渡沼】私が21才の時、突然父が亡くなりました。私はそれまで親の事などほとんど考えず、自分の道を歩んでましたから、父の突然の死はとてもショックでした。近い東京といっても親元を離れていた訳ですから、生前、もっと親孝行しておけばと思いました。この事がきっかけで地元に戻って仕事がしたいと思ったのです。

【高木】それで畳屋さんになったのですか?

【渡沼】親戚が畳関係の仕事をしてましたので、この道を選びました。越谷で修業を積み、畳職人としての技術やノウハウを学びました。おかげさまで昭和57年に故郷である五霞町にて創業することが出来ました。

【高木】独立するのに時間がかかるのですね。

  畳の上に12年

【渡沼】技術を覚える事もそうですが、独立するためには資金も必要ですので、私の場合は12年位かかりました。「手に職は簡単につかない」という事だと思いますし、簡単に出来るのであれば手に職とは言わないのでしょう。でも、独立当初の1〜2年は知名度も無かったのでとても苦労しました。しかし、多くの友人や地元の方々の紹介で渡沼畳店というお店を理解してくれる方々が増え、現在に至っています。開業以来支えてくれてる友人には本当に感謝してます。

【高木】友達の輪のご紹介者の鵜野さんも同じ事をおっしゃっていましたね。

【渡沼】鵜野さんともそうですが、今でも高校時代の同級生と月に一度集まって仕事の話や人生の話などをして交流を深めています。何年経っても仲間というものは良いものですね。なにか、頑張っている仲間を見ると自分も頑張れるような気がします。

  畳一筋で
畳の専門店

【高木】ところで、最近の住宅から和室が減ってきたような気がするのですが。

【渡沼】和室は減っていますが畳の使い方が変わって来ていると思います。最近はフローリングよりいぐさの方が良いという事で洋間に畳を敷いたり、フローリングに簡単に置ける畳もあり、若い方にも畳の良さが見直されています。また、畳表も色々あり、ヘリ無畳や柄の入った物、日焼けしにくい畳表、カラー表等もあり、ファッション感覚で和洋折衷の使い方も増えています。赤ちゃんが畳の上で転んでも畳には適度な弾力性があるのでフローリング床で転ぶよりも安全ですし、ゴロリと横に慣れますから・・。又、和室を洋間風に使うのが外国の本等に紹介され、多機能に使えるのが畳の良い所です。しかし、現実は厳しいですけど、あえて畳専門店として商売をしていきたいと思います。

【高木】畳の原料は?

 畳はどろ染めの織物

【渡沼】いぐさが畳表の原料です。広島備後のいぐさは特に有名ですが、国内での作付け面積も減ってきて、採れる量も限られてきました。そのいぐさを「どろ染め」というのですが、特殊などろで染め、長さ・太さ・色調等一定の基準で選別し織り、あの畳表になるのです。畳の中身は稲藁が昔からあるものですが、最近では住宅環境に合わせて化学床も多数開発されており畳も大きく進歩しています。また、畳それぞれは微妙に大きさが違います。これは部屋そのものが同じ畳数であっても微妙に違いますので、そこに入れる畳はその部屋に合わせて作るのです。ですから、部屋が規定の畳数との差があれば、畳職人は微妙に違った畳を畳数分作るのです。

【高木】そうなんですか?だから畳を外して入れ替えるとき等上手く入らない事があるのですね。技術も当然進歩しているのでしょうね。それで鵜野さんが話していたように息子さんを京都に行かせたのですか。

 可愛い子には
旅をさせろ

【渡沼】技術もそうですが、若い感性も必要です。息子を京都の藤本畳店という老舗の畳師のところへ小僧に出してます。高校を卒業後、親の仕事を継いでくれる意志を見せてくれましたので、どうせ学ぶなら1番歴史のある京都畳技術専門学院に小僧をしながら四年間通い、手に職を付けてきて欲しいと思ったのです。今は「小僧」や「丁稚」等という言葉は聞かれませんが、共同生活の中で、先輩後輩の規律や、仕事を通じて社会のルール等を学んでいるようです。今年の3月で丸1年になりますが、いつ逃げ帰ってくるのかなと心配してましたが、昨年夏に帰って来たときには、親をとても大切に思ってくれ、言葉づかいに思いやりの感じられる別人のような息子に感心しました。高校時代はドラムを叩いて、騒がしかった現代っ子でしたが、何か新しい感性を身につけて凛々しくなった様に映りました。親として息子が帰ってくるまで、息子の頑張りに負けないよう、もうひとふんばり頑張らねばと思っています。(笑い)

【高木】小僧とか丁稚とか本当に聞かなくなりましたね。息子さんには夢がふくらみますね。お子さんはお一人ですか。

 離れていても
家族の絆

【渡沼】娘がおりますが、昨年10月に結婚しまして、嫁に行きました。家内にも言われますが、親馬鹿なんでしょうが、息子や娘が我が家から帰る時には辛い気持ちが私の顔に表れてしまうようです。手元に居ないということは、とても寂しいものだなと、自分が都内で暮らしていた時代の父を思い出します。

【高木】渡沼さんは家族愛が強いのですね。ではお友達をご紹介いただけますか?

【渡沼】以前からの知り合いですが、特にペット(犬)を通じて夫婦共々親しくしております五霞町原宿台にお住まいの渡部弘子さんを紹介します。渡部さんの愛犬はクロベエーといいまして、いつも一緒に行動していますよ。また、2ケ月に一度の割合で「ハートフルたうん」というミニコミ紙を編集発行しています。

【高木】ありがとうございました。これからも畳一筋に頑張ってください。

(子供想いの優しい渡沼さんご夫婦でした。)

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