桜の開花に導かれるようにたくさんの花々が咲き誇り、春を満喫させる日々が多くなりました。本日の友達の輪には自分史クラブあかね会の野村信子さんからご紹介いただいた陶芸家の富嶋ひで子さんに登場いただきます。
陶芸家
富嶋 ひで子さん
本誌取材 木 康夫
【木】こんにちは。野村さんからPTA時代から親しくさせていただいている方とご紹介いただきました。陶芸をされて長いようですが?
【富嶋(敬称略)】こんにちは。野村さんとは長いお付き合いですが、現在はダンスもご一緒させていただいております。幸手に住んで四十年位になりましたが、幸手生まれでないものですから、地域の人たちが掲載される「友達の輪」は毎回楽しみに拝見させていただいておりました。まさか、自分などに回ってくるなど思ってもいませんでしたので驚いています。
【木】いつごろ来られたのですか?陶芸はいつ始められたのですか?
夫婦で花が大好き
ある日、窯の話しが
【富嶋】私は東京で生まれ育ち、主人との結婚と同時に幸手に越してきました。それは主人の勤める会社の工場が五霞町にあったことと、幸手の自然環境がよかったからです。実は陶芸をやりたいと言っていたのは主人です。主人は幼いころから植物が好きで、小学生の時から盆栽を楽しんでいたようです。(笑)私も、もの心ついた頃から生け花が好きで、ずっとやっていました。それで、子育てをしながらも夫婦で花や小盆栽を楽しんでいました。そんな時、東京本社の上司が五霞町の工場に定期的に来られるのです。この上司が十年くらい焼物をやられていて、主人や私たちに焼物の指導をしてくれるというので、主人は盆栽鉢を、私は花展で自作の花器を造ろうと思いました。それで、どこかに窯を作りたいという話が持ち上がり、我が家の庭に窯を作ることになり、一ヶ月に日曜の一日に、上司の友人七、八人のお仲間と陶芸をすることになりました。自宅に窯が出来てしまったのですから、当然のように私が窯の管理から窯焚きまでしなくてはなりません。八年間助手みたいな形で窯の管理を任されていました。ですから、窯焚きのプロです。(笑)
【木】窯焚き八年ですか?
【富嶋】主人の上司に指導を受けていましたので、当たり前のように窯の管理をしていました。主人の上司からも「好きにどうぞ」と自由に製作させていただけるのですが納得するものが出来ないのです。これではだめだと奮起して昭和六十年に日本陶芸クラブの門をたたいたのです。日本陶芸クラブは当時、政財界の方たちがいっぱいで、陶芸そのものが敷居が高い趣味とされていました。ですから、材料の土も月謝も高くて、主婦が通うには大変な出費でした。約二年通った後に幸手の窯を使って興味のある人に週に一回の講座を開催したのです。横浜や葉山から幸手まで通ってこられる方もいらっしゃいました。ただ、自分が未熟な上、趣味の延長で始めてしまった講座でしたから、材料など持ち出しの出費も多く、人間関係も難しくなり、ちゃんとした組織にしないといけないと感じたのです。それに、上司がボランティア指導で幸手にはじめて陶芸の種を蒔いて下さったものを育てなくてはいけないという思いもあり、「陶芸教室にして好きな人だけくればいい」と現在の形になったのです。
【木】教室はたくさん来られたのですか?公民館の講座もあったようですね。
幸手の文化祭に
最初の陶芸作品
【富嶋】陶芸教室は今までで六、七十名ほどではないでしょうか。公民館での講座は、依頼があったときは私が教えるなんておこがましいと思ったのです。実は私は高校卒業のころ腎臓結核をわずらって腎臓をひとつ失いました。当時は腎臓移植も人工透析もない時代でした。ですから、残った腎臓も悪いと診察され、長く生きられないかもしれないと思いました。それからは「人生において明日何があるかわからない」という気持ちが常にあって、私にとっては毎日がとても大切に感じられたのです。それで、公民館の陶芸講座も生きていて人様のためになるのならばお手伝いしたいと思ったのです。五、六年教えたと思います。当時の公民館は小さな窯で五つのグループに指導しました。その後も五講座の方たちそれぞれが、生涯学習として自主的に十二年間も続けられ、現在は大きな窯が入っていますから文化祭で焼物がたくさん出来るようになってうれしく思います。幸手の文化祭で一番最初に陶芸作品を出品したのも私たちでしたね。
【木】他にご趣味は?
外国の歴史と文化に
あこがれて
【富嶋】海外に行くことが好きです。若いころよく日比谷のロードショーを観に行ってました。外国の映画を観ていると知らない国の街並みや文化を感じ外国にあこがれがありました。「兼高かおるの世界の旅」という番組もあって、世界中に行ってみたいという思いはずっとありました。子どもが社会人になって、やっと自分の時間も出来たなと思っていた時、九十万円のヨーロッパの旅が三十万円で行けるという夢のようなお話しが目に留まりました。「埼玉県婦人の海外派遣」という国際交流事業でした。早速応募したのですが、当然のように応募者多数の高倍率で、面接や試験や作文提出、私にとっては難関でした。でも、運良く合格できて、初めてのヨーロッパ旅行となりました。先々では歴史のすごさに圧倒され、感動は忘れられないものになっています。以来、毎年のように海外に出かけるようになり、ヨーロッパはほとんど行ってきました。世界中観たせいか、逆に日本ってすごくいい国だなと思うようになりました。四季があって料理もおいしい、今、和が見直されているのがよくわかります。世界の人が日本の文化に注目していますね。
【木】では、お友だちをご紹介下さい。
【富嶋】ダンスサークルで主人と私がお世話になっている加藤清子先生をご紹介いたします。
【木】ありがとうございました。これからも素敵な作品を創り続けてください。
(富嶋さんはいけばなと陶芸を通していろいろな経験が出来たことが、一番うれしいとお話下さいました。喜怒哀楽という言葉がお好きで、ご主人ともダンスをされ共通の趣味で人生を楽しんでいるご夫婦と感じました。毎週火曜日の十時から十二時まで陶芸教室を開催しています。見学、体験希望がありましたらどうぞご一報の上、お気軽にお越し下さいとのことでした)