2007年5月6日



田植えも終わり水田には元気よく風に苗がゆれています。まもなく紫陽花の季節もやってまいりますね。さて、本日の友達の輪には日本舞踊東流若扇会師範の加藤清子さんからご紹介いただいた税理士の島田義男さんに登場いただきます。

税理士 島田 義男さん
本誌取材 木 康夫

【木】こんにちは。加藤さんからご紹介いただきました。「順礼桜」の作詞を手がけられたと伺いましたが?

作詞のきっかけは
「持ち歌を作れば」

【島田(敬称略)】はじめまして、こんにちは。加藤さんから取材に来られると伺いましたが、私の話でよろしいのでしょうか。(笑)加藤さんとは「順礼桜」の発表会などで踊りの振り付けなどもしていただき大変お世話になっております。「順礼桜」の作詞についてですが、当事務所の事務員さんがとっても歌が上手でカラオケ大会などで活躍していました。それで、あまりにも上手なので「持ち歌を作ったらどうだ。」と話したのです。それで、私が作詞してあげようということになり、幸手の権現堂にある親子順礼の碑から供養する歌をイメージして作詞しました。

【木】作詞活動は古くからされていたのですか?島田義男さん

島田いやいや、はじめての作詞でしたよ。(笑)それ以降、地元にある「幸手学園」の学園歌を依頼されて作詞しました。毎日、幸手学園で流してくれています。以後、七、八曲作詞しましたかね。たいてい思いつきで作詞しています。作ろうと思ったときに思いついたものを書く感じですね。

【木】ご趣味も豊富のようですが?

刀の話は
二時間以上

島田趣味は書画骨董ですね。特に刀が好きです。もうかれこれ五十年になりますかね。この辺では骨董屋の元祖と自負していますよ。刀の話をさせたら二時間以上は話しますよ。(笑)刀は千年前のものから残っていますが、鎌倉初期からのものが多いですね。刀工の数だけ刀は存在しましたから何百万とあったはずですね。正宗とか村正とか聞いたことあるでしょう。正宗(まさむね)は、鎌倉時代末期から南北朝時代初期に相模国で活動した刀工です。五郎入道正宗、岡崎正宗、岡崎五郎入道などと称し、日本刀剣史上もっとも著名な刀工の一人でもあります。正宗の人物およびその作った刀についてはさまざまな逸話や伝説が残され、講談などでも取り上げられていますね。「正宗」の名は名刀の代名詞ともなっており、芸術性の高い作刀は後世の刀工に多大な影響を与えました。また、村正で最も古いものは「応仁、文明項」で同名古刀五人新刀三人あるとみられているようです。作刀は互の目を交えた表裏の刃が揃う刃文を特色としています。伝説では妖刀とされることもありますが、徳川家に不吉であるというところから妖刀伝説が生まれたようですね。ですから、刀には歴史的付加価値が付き一億五千万円の値がついたものもありますよ。でも、五百円でも買い手がつかないものもあります。刃がなくちゃ価値がありませんからね。

【木】刀はだれでも持てるものなんですか?刀の魅力ってなんですか?

刀の魅力は
美人と同じ

島田刀それぞれに銃砲刀剣登録証という教育委員会発行の証がついています。購入したら登録をするのです。刀は美術品ですが凶器にもなりますから。刀の魅力ですか?そうですね、美人と同じですね。名刀は姿が良くて頭が良くて肌が良いということです。姿は全体の形ですね。頭は刀の先端を言います。烏帽子に似ていますから帽子とも言いますが、そして、肌は地肌を指します。また、刀それぞれ一振り一振りの反りも違います。ですから違う鞘には入らないのです。「反りがあわない」と言う語源となっています。それと、刀は武器であって御神体です。「国を守り、人を守る」という為に存在したもので、刀工は刀に魂を打ち込むのです。余談ですが、刀に詳しいという話が伝わり、「蔵から刀が出てきたので見てほしい」などと来られることがあります。しかし、刀工の数だけ刀が存在したのですから、無名はわかりません。刀の反り具合等から見て学問的にどこの系列の誰々の作であろうという判断しか出来ません。「今日の鑑定と明日の鑑定が違う」くらいわかりません。岩槻の人が、錆が出ている短刀を見てほしいと持参されたことがありましたが、鑑定したら二、三百万はするものでしたね。目を養うには数を見る島田義男さんことですね。いいものをたくさん見れば偽物がわかるようになります。あきらかに違うとわかりますよ。

【木】書画も深いようですが?古いものはどのように流通するのですか?

本物のよさを
実感してほしい

島田基本的に買い集める人がいるのです。いろいろな地域を回って古いものがありそうな蔵や民家から買い集めるのです。それを古物屋に持っていって売却し、古物屋が店頭や骨董の収集家などに販売するのですね。最近はテレビで鑑定団をやっていますが、画面から見るだけでも本物か偽物かわかるものもありますね。これは、下村観山の高砂という掛け軸ですが、本物は岩絵の具の色や筆のタッチや繊細さですぐにわかりますね。下村観山は狩野派だけでなく穏健で気品のある画風で名声を得ました。また、古典を研究することによって、大和絵の手法も習得し、岡倉天心に認められて大正三年日本美術院を横山大観らとともに再興した日本画家です。本物のよさを見比べてほしいですね。

【木】では、お友だちをご紹介下さい。

島田最初にお話した事務員だった松沢久枝さんを紹介します。芸名は沢明日香といいます。

【木】ありがとうございました。これからもお元気に書画骨董の趣味を活かして下さい。
(島田さんは愛煙家で煙草がやめられないとおっしゃってましたが、伺うと「自称六十五才だけど八十二才」だそうで、現在も税理士のかたわら趣味を楽しんでおられるようです。とてもお元気な方で、元気の秘訣を伺うと「気楽なことと毎日昼寝をすること」とユーモアも豊富な方でした)




[Image :logo.jpg]