2007年6月17日



日曜日となると権現堂の紫陽花にたくさんの人たちが訪れる季節となりました。雨にうたれた紫陽花の美しさも季節感があっていいものですね。さて、本日の友達の輪には松澤税務会計事務所の松澤久枝さんからご紹介いただいた幸手学園理事長の小河原文子さんに登場いただきます。

社会福祉法人幸手学園
理事長 小河原 文子さん
本誌取材 木 康夫

【木】こんにちは。松澤さんからご紹介いただきました。よろしくお願いいたします。


【小河原(敬称略)】こんにちは。「友達の輪」はずっと拝読させていただいております。松澤さんからお声掛けいただいたときに、驚いて「私なんかでは」とご遠慮したのですが、松澤さんから薦められて本当に恐縮しています。松澤さんは学園歌をCD化して下さり歌ってもいただいてます。

【木】幸手学園は通所の授産施設ですね。開設しようと思ったきっかけなどお話くださいますか?小河原文子さん

若くして亡くなった
父の人への思いやり

小河原父の影響でしょうね。私の父は公務員で三十七才という若さで亡くなったのですが、人様に対してとても思いやりのある父でした。ですから、たくさんの人に愛されていました。父がよく「人間は一人では生きていけない。大勢の方たちのおかげなんだ。」と言っていました。私も父の姿を見ていましたので、子ども心に「自分で生活できるようになったら人のためになるような人間になりたい」と思いました。そして、この地に嫁いで年を重ねてまいりました。いつか、六十才を超えたらなにか人のためになることをと考えておりましたが、五十七才の時ですが知的障害者のための通所授産施設を建てたいと考えました。単純で決断が早いことはいいのですが、申請には膨大な書類作成がありました。三年間県庁に通いましたね。また、社会福祉法人設立は基金が一億円必要で、施設を建てる土地は主人が国に寄付してもいいということになりました。そして、幸手市内のお母さんたちが理解を示し準備委員会を立ち上げてくれ、基金がないものですから準備委員会の皆さんと一緒に幸手市内を全部回って一千万円の募金を集めて下さいました。ご寄付いただいた方々のお名前は和紙に連名で記されておりますがこの学園の礎として永久保存していきたいと感謝でいっぱいです。そして、平成元年に土地六百坪を含む一億円の資産を寄付してから三年かかって平成四年四月一日に社会福祉法人幸手学園が開園いたしました。

【木】授産施設ではどんな作業をされているのですか?

遅くても
真剣に作業

小河原学園には約五十名の学園生がいますが、80%が重い障害を持った人たちです。年令も高校卒業されたばかりの方から六十才の方まで幅広く通われています。地域も広範囲で五霞町から岩槻までの近隣九ケ市町より三台の送迎バスで通っています。作業はパンとクッキー作りやリサイクル班として空き缶の分別リサイクルを行っています。一日に七百Kg位の空き缶を圧縮機で潰します。毎日集めるのは私の仕事で、他に三業者の方も協力してくれています。また、ボールペンの組立作業や自動車部品の組み立てなど工業団地の企業からも協力いただいております。

【木】周りの人たちの協力も必要ですね。学園生の印象はいかがですか?

みんなに知って欲しい
優しい子どもたち

小河原学園で一緒に過ごしていますが「この子のどこが悪いんだろう?今の医学でどうして治せないんだろう?」といつも思ってしまいます。そして、この子達が普通に生まれてきたらいまごろ結婚して幸せな生活を送っているはずなのにと思ってしまいます。大きな重荷を背負って生まれてきてしまっ小河原文子さんた、知的障害を持って生まれてきてしまった、でも、どの子も素直で可愛いんです。いつも親の気持ちになってしまいます。しかし、障害を持っている子どもたちの両親の苦労は並大抵のものではありません。多くの子どもたちに言えるのですが、日常の生活の中に優しさを求めている子達が多いのです。職員に声をかけてもらいたいのですね。子ども達への小言は絶対厳禁です。叱ってよくなるんだったら両親がとっくに叱っています。お父さんやお母さんに叱られてきたときは学園に来て泣いている子もいます。そんな時は、「あなたがかわいいからなんだよ。お父さんお母さんは悪くないんだからね。」と話してあげます。子どもたちの能力には「いかに自分を大切にしてくれるか」を見抜く力があります。健常者からみればどう対応したらよいのかわからないようです。子どもたちを理解したいけど近寄りがたいというのが本音でしょう。私は子どもたちのありのままの姿を多くの人達に伝えて行きたいと思っています。

【木】ご苦労も多いことと存じますが?

子どもたちの安住の地
グループホームを作りたい

小河原ある学園生の両親が亡くなられて、学園には通えなくなってしまい、遠くの施設に送っていくことになったケースがありました。学園にいるときはみんな家族になっています。普通の人だって大変なのに、何も知らないところに突然連れて行かれればどうでしょう。泣かれてしまい、とても辛い思いが残りました。子どもたちにはこの学園が安住の地になっているのです。誰でも普通は両親が先に亡くなります。しかし、この子らにとっては自分のことを自宅で世話してくれる人がいなくなるのです。障害が改善されて子どもたちが一人で自立できる可能性は低いのです。それで、この子たちのためにグループホームを作らなければと思ったのです。土地はなんとか用意できました。近い内に建てたいと思っています。

【木】早く実現するといいですね。では、お友だちをご紹介下さい。

小河原幸手学園開設にあたって募金活動などにご尽力いただいた佐々木芳美さんを紹介します。佐々木さんはボランティア団体「心の輪・希望」の代表としてご活躍されています。

【木】ありがとうございました。子どもたちにとっての安住の地としてさらなるご尽力を期待いたします。
(小河原さんはとてもバイタリティあふれる方で常に学園生の気持ちに立ってアクションを起こされているように感じました。アメリカンフラワーやリボンフラワーなどの製作も指導され、子どもたちの可能性を広げています。七十五才とは思えないパワーあふれる方でした。)




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