2007年10月7日



スポーツの秋、芸術の秋、食欲の秋と表される季節ですが本日は幸手市においては市民まつりが開催されます。そして、この友達の輪も記念すべき300人目の方を迎えることになりました。その記念すべき方はオーロール東城屋の新谷 芳枝さんからご紹介いただきましたN・Styleの小沼貴光さんに登場いただきます。小沼さんは市内で美容室「N・Style」のオーナーでもありスタイリストです。

N・Style オーナー
スタイリスト 小沼 貴光さん
本誌取材 木 康夫

【木】こんにちは。新谷さんから若くして活躍されている方とご紹介いただきました。そして、三百人目という記念すべき節目になりました。よろしくお願いいたします。さて、化粧品店ではなく美容師への道ですが?


【小沼(敬称略)】こんにちは。東城屋さんのパンは子どものころから食べて育ちました。まさか私に回ってくるとは思いませんでした。家業が化粧品店ですから、ものごころついたころから家の仕事を見ていて、自分はどこかに勤められる性格ではないなと思っていました。私たちが中学生のとき頭髪は坊主で、自由な髪型が許されなかった時代です。野球部にいましたからどっちみち坊主でしたけど。(笑)その反動もあって高校に入ったらファッションやヘアースタイルに興味を持ったのです。高二の時にテレビで美容師を取材していました。それを見ていて「俺、美容師になる」と父親に話したのを覚えています。付属高校でしたが高校卒業後は美容師の専門学校に行こうと考えていました。ところが、父親が「とにかく大学に行ってくれ」と譲らないのです。それで、進路が定まらないまま卒業してしまったのです。そんな時、毎日遊びすぎて、車で事故を起したのです。大きな事故ではありませんでしたが、次の日でしたね、父親が「今からでも間に合うから美容師の学校へ行け」と四月入学に間に合ったのです。

【木】事故を起さなかったらその後の人生が変わっていたかも知れませんね。小沼貴光さん

ニューヨークで勉強を
これドッキリカメラ?

小沼当時の専門学校は一年制でしたからしっかり学んで銀座にある「シバヤマ」という美容室に入社しました。理由は銀座で働こうと思ったのと、美容室としては珍しく株式会社組織で社会保険や福利厚生が充実していたのです。二年以上在籍してスタイリストにも合格したのですが、お店ではたくさんいる先輩を抜くことが出来ないシステムでした。それで、二十一才でしたが友人とニューヨークに行って勉強してこようと思ったのです。店長もしぶしぶ理解してくれ美容学校を通じてニューヨークでのお店も紹介してもらい、あとはシアトル経由の飛行機で向かうだけとなったのです。ところが、甘かったのですね。ワーキングビザで入国していませんから、シアトルの税関で滞在日数やら宿泊場所を問いただされ、つじつまが合わず別室に呼ばれて任意送還です。シアトルから成田への飛行機で再び十時間のフライトでした。帰りの飛行機で「もしかしたら、どっきりカメラでNYに着くんじゃない」なんて思ってました。着いたら成田、再び税関で別室に呼ばれ「こうすれば入国できたのに」とアドバイスされても後のまつりでした。成田から父親に電話したら「ずいぶん早いな」と、事情を話すと「知ってるよ、バカ」とすでに情報が届いてました。後日談ですが、米国から一度でも強制送還や任意送還されると、次の入国は厳しくなるのです。ハワイに新婚旅行に行くのに観光ビザを取らなければならなくなり半年かかりました。(笑)

【木】貴重な体験ですね。それで。

高田馬場から山梨へ
そして古巣の銀座へ

小沼NYはあきらめて、今度は高田馬場にある個人店にスタイリストとして入りました。個人店にはリピーターのお客様が多く、当時の自分はスタイリストに合格したけれども技術が伴っていなかったのです。お店で仕事から帰りワンルームマンションのキッチンで毎晩夜中まで人形相手の練習をしました。今日入ったお客様が次に来られるときにどんな髪型になっているだろうと自分の技を磨きました。高田馬場で二年過ごし自信もついた頃、銀座のお店で一緒だった先輩が奥さんの実家の山梨でお店を持つというので手伝ってくれないかと声をかけられたのです。実家は化粧品店だと聞いたので自分とシチュエーションが似ていると思い、開店の準備から一年間手伝いました。とても、勉強になりました。そして、古巣の銀座のお店に戻り一年くらいで副店長になりました。

【木】幸手にお店を持とうと思ったのは?経営者としていかがですか?

結婚とほぼ同時期に
N・Style開店

小沼親から「お前のために隣の土地を買っておいたからな」と心配してもらい、結婚と同時期だったのですが「そろそろかな」という感じでしたね。でも、開業しよう小沼貴光さんと決めた当初は、なぜ東京で出さなかったんだろうとも、思いました。でも、東京は一見客が多いところですから、お客様の翌日のスタイルを見ることはほとんどありません。地元なら翌日のスタイルまで心配できるのです。もちろん、私たちにとってはプレッシャーですが、今では、とてもやりがいを感じています。当店では一年でスタイリストを養成しています。毎日十二時近くまで練習していますよ。お店のほうはおかげさまで今年四月に七年目に入りました。男性三名女性四名の平均年齢二十三才のスタッフで営業しています。いいスタッフにも恵まれましたし、なによりたくさんの人とお話が出来ることが楽しいですね。「友達の輪」という企画もとってもいい機会に恵まれました。

【木】では、お友だちをご紹介下さい。

小沼家具店の次男の中山貴行さんを紹介します。中山さんは小・中・高とずっと一緒で家族ぐるみの付き合いで切っても切れない友人です。

【木】本日はありがとうございました。益々のご繁栄をお祈りいたします。(小沼さんは自分の夢として美容自体の価値観を高め、さらには会社組織や社会保険など、働いている人にとっての付加価値を整えたいとお話いただきました。また、来年一月から二月には新店の開店も準備中とのこと、若き経営者に地域活性化を期待したいものです。)




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