2007年11月4日


朝夕は寒さを感じるようになりましたが、まだまだ日中暑い日もある今日この頃ですね。そして、早いものでカレンダーは十一月になってしまいました。本日の友達の輪には樺山家具の常務取締役中山貴行さんにご紹介いただきました板谷和幸さんに登場願います。板谷さんは生粋の幸手っ子だそうですが、現在は五霞町でいろいろな機械を作る会社の二代目として頑張っているそうです。

和興工業
二代目 板谷 和幸さん
本誌取材 木 康夫

【木】はじめまして、こんにちは。中山さんから仕事に頑張っている後輩とご紹介いただきました。よろしくお願いいたします。


【板谷(敬称略)】こんにちは、ターボーさんから紹介いただきましたが、私なんかでいいのでしょうか?中山さんは私の三年上の先輩で、姉と同級生なんですが、十八才からはじめたソフトボールや少年野球などを通じて親しくしています。中山さんは「ターボー」と呼ばれていて、先輩なので私は「ターボーさん」と呼んでいます。(笑)

【木】おさななじみなんですね。お仕事について伺いたいのですが?二代目と伺いましたが。板谷和幸さん

創業時に
親子二代の社名を

板谷当社は建設機械や重機やプラントなどといった、一般では取り扱わないような機械を作ったり、直したりすることが大きな目的の会社です。もともと父がこの関係の会社に勤めていて今から二十年前に独立したのです。私が十二才でしたから小学生でしたね。創業当時は杉戸に工場があって、私も杉戸の工場に行っては、遊び半分でしたがボール盤で鉄板に穴をあけたりして手伝っていました。父の名前は興次というのですが、社名をつけるときに親子二代の名前をとって私の名前の和と、父の興で和興工業としたと、後から父の友人から聞かされました。薄々とは感じていましたが、うれしかったですね。父は何も言いませんでしたが、私に継がせたかったのでしょうね。

【木】家族の中での男同士の継承ですね。ストレートに家業に入られたのですか?

第一期生募集に好奇心?
コンサート・イベント科

板谷社名の由来については家業に入った後に聞かされた話で、進路については高校卒業の時考えました。若い頃って深く考えていないですよね。その時、一時的にイベント企画のプロデューサーに興味があって、その道の専門学校に進学しようと思ったのです。日本電子工学院という専門学校に「コンサート・イベント科」というコースが設置され、その第一期生募集の内容を見たときに、これだなと思ったのです。今思えば、ここに進路を決めた一番の理由は、第一期生というフレーズと物珍しさだったように感じますが。(笑)父も「自分の好きなことをやれ」「家業を継げ」とは一度も言いませんでした。二年間の学生生活でした。一年目はとても楽しかったのですが、二年目頃から自分にとってこれでいいのだろうかと自問自答し始めたのです。それで、卒業後に家業を継ごうと思ったのです。ちょうど二十才でしたね。

【木】二年間は自分探しも出来た社会勉強でしたね。それで。

板谷和幸さん

二十才から
修行で四年

板谷すぐに家業に入らず、父の知り合いで庄和町にある鞄鉄工所という会社にお世話になることにしました。と言っても甘い考えで、なんとかなるだろうと舐めてかかっていました。(笑)しかし、親方は厳しい人で父と同じ釜の飯を食べた仲だそうで「おまえと、他の人間は違う、家業を継がなくてはならない人間だから」と基礎を徹底的に教えてくれました。おかげで、四年かかりましたが親方から「なんとかやっていけるだろう」とお墨付きをもらい、仮免程度ですが二十四才で家業に戻ることが出来ました。今でも親方には心配していただき感謝しています。

【木】家業に入ってどんな感じでしたか?将来の夢などは?

大きな組織から
小さな組織に

板谷修行先は三十人以上の会社でしたが、家業は当時父と私と従業員の三人です。設計士さんから図面をもらいに行きその説明を受けたり、外回りのこともしなければなりません。私は人見知りな性格でコミュニケーションの取り方も下手で、その上、メーカーさんや設計士さんによって図面の記号が違ったりくせがあったりするので図面もよく読めませんでした。説明を受けてきたはずの図面を持ち帰り、わからなくて父に聞いたりしました。しかし、父は手取り足取り教えるタイプでなく「体で覚えろ」的な対応でしたから環境になじむまで大変でしたね。現在八年目になりますがやっと技術と自信がついてきたところです。夢ですか?「これがうちの機械」というものを作りたいですね。北海道で大きな地震があった時のことですが、落盤で道路が封鎖されてしまいました。現場は急斜面な岩盤で復旧作業に取り掛かるには、その斜面にあがり穴を掘る機械が必要になってきます。ウインチドリルという自走式の重機で、設計士から図面をもらい当社がその製作を担当しました。現場の状況を考慮しながら試行錯誤の中で、ハンドメイドによる世界にひとつだけの重機が完成しました。そして、ウインチドリルが活躍して復旧作業がスムーズに行われ、少しでも社会に貢献できたようにうれしく思いました。夢は、こういった機械をこれからも作っていきたいということですね。

【木】すばらしいですね。ご趣味などは?

板谷最近やっと自分の時間が出来てきたのですが、元来の出不精で友人が引っ張ってくれないとなかなか出られない性格です。プロ野球や高校野球の観戦が好きでソフトバンクのファンです。でも、何かにつけて飲む機会が多くなっていますね。ホント飲んでばっかりですよ。(笑)

【木】では、お友だちをご紹介下さい。

【板谷】五霞町商工会青年部でお世話になった増田登明男さんを紹介します。

【木】本日はありがとうございました。益々のご繁栄をお祈りいたします。
(板谷さんは仕事モードに入るときには帽子が必需品だそうです。帽子をかぶることによって気持ちがグッと締まるのだそうです。何事にも一生懸命に取り組む姿が印象的でした。男同士の親子っていうのもいいものですね。)




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