2007年12月16日


クリスマスのネオンやデコレーションが街中にあふれ、いよいよ十二月も後半に突入しました。さて、本日の友達の輪は今年最後のトリとなり、五霞町原宿台にある「フラワー花暦」の松本幹夫さんからご紹介いただいた多田光昭さんに登場願います。多田さんは亜美ライン工業(有)という会社を経営されている方です。

亜美ライン工業(有)
代表取締役 多田 光昭さん
本誌取材 木 康夫

【木】こんにちは。松本さんから「同級生で息子が世話になっている方」とご紹介いただきました。よろしくお願いいたします。


【多田(敬称略)】はじめまして。松本さんとは古い友人で松本さんの息子も当社で頑張っていただいております。

【木】どんなお仕事なんですか?ご苦労もあるのでしょうね。多田光昭さん

道路や駐車場に
ラインを美しく引く

多田特殊な機械を使いますので一般的な職業ではありませんね。わかりやすく言えば、主に道路の区画線や標識、駐車場などの区画線などのラインを引く仕事です。特殊な材料を180℃という高熱で溶かして、軟らかくして焼き付けながらラインを引いていきます。二分で乾いてしまいますので間違ったら大変です。横断歩道や止まれなどの文字もそうですよ。アスファルトの上に引いたラインや文字が間違ってしまうとアスファルトも剥がさなければなりません。現在、千四百台という大きな駐車場の区画線を請け負っていますが、一週間くらいかかります。苦労ですか?大変なことは年度末に公共事業の仕事が集中することもあり、時間が足らなくなって自宅に三〜四日間も帰れないで、現場から現場へ宿無しで移動しながら仕事をすることもあります。道路などは深夜の時間帯に仕事も多く、私たちにとっては二十四時間関係ないですね。

【木】仕事のきっかけは何だったのですか?

やんちゃな(?)青春時代
親のありがたさ実感

多田実家は料理店ですが、私は次男でしたから家業に関わることはないと決めていました。というよりも、若いときからかなりやんちゃな行動が多くて、親に迷惑かけっぱなしでした。ある時、やんちゃさが大きな問題を引き起してしまい、普段は出てこない母親が来てくれて泣きながら私を弁護してくれました。この時、初めて親のありがたさを感じたのです。あの時、親が来てくれなければ今の自分はなかったかなとさえ思っています。ですから、十代の時からこれ以上親に迷惑かけないように自分ひとりで生きていこうと決めたのです。それで、オートバイや自動車に興味があって将来は車の整備士になろうと思い高校は自動車課があるところに入学しました。ところが、自動車課の専門科目に関してはとても厳しい高校で、単位が取れないと直ちに留年してしまうのです。専門科目は毎日六時間ありました。先生からは「四日さぼると進級できないぞ」と言われてましたが、入学して数ヶ月で担任の教師から「今のままでは専門科目の単位が取れない」と通告され、他に方法もないし居ても留年ならとやる気がなくなってしまい高校を辞めてしまいました。それで、遊んでいても仕方がないので川越にあるラインの会社に入ったのです。十六才の時ですね。

【木】十六才に一人で生きると決めたのはすごいですね。

多田光昭さん

給料貰っても
家賃と車に消えた

多田そうですね。現在の仕事の原点を学んだ時代でしたが、車が欲しくてしょうがないというのが本音でしたね。とにかく免許を取ったら一日も早く自分の車を購入しようと考えていました。それで、十八才になって免許を取得して車を購入したのです。当時、日産のフェアレディ240Zやケンメリのスカイラインなどが人気で私も中古の240Zを六十万円で購入しました。さらに、百万円以上かけて改造したのです。もちろん、現金をもっているはずもないですから、五年払いのローンを組みました。会社で仕事をして給料を貰っても家賃とローンとガソリン代にすべて消えました。(笑)今でも、当時の名車として名を残している日産のスカイライン、当時の通称ハコスカが欲しいと思っています。程度の良い中古車が市場にまだ出ていますから。
ね。


【木】いつ独立されたのですか?社名の由来は?

ライン業界一筋
二十四年目の独立

多田川越を皮切りにこの業界に二十四年間居ました。いつかは自分も独立したいと思っていたのですが、ラインを引く機械が一台一千万円もして設備投資もかかりますし、自信もなかったのですね。それで、仕事でお世話になっている小沢道路の社長に相談したら「応援するから始めてみろ」と言われ、平成十年九月に会社を興したのです。おかげさまで九年目に入りますが、スタッフ五名にも恵まれ、ラインを引く機械も三台稼動するようになり、忙しい日々を過ごさせていただいてます。現在二名の若者が頑張ってくれていますから、いつかは彼らを独立させたいというのが私の夢ですね。社名はアジアに美しいラインを引きたいという思いを込めてつけた名前です。道路などの区画線の技術はアルゼンチンが世界一で日本は世界第二位です。海外進出は果たしていませんが、世界に通じる技術を持って、いつかアジアに美しいラインを引くぞと夢を描いています。

【木】大きな夢ですね。では、お友達をご紹介下さい。

多田公私共にお世話になっている小沢道路鰍フ代表取締役小沢勲さんを紹介します。幸手市役所前にある本社にはクリスマス電飾で毎晩たくさんの方が訪れています。この製作には私たちも関わっているのですが、スピードクジを用意して一回大人は200円、子どもは100円のチャリティ募金で空クジなしのプレゼント企画も好評です。皆さんもぜひ見に来てください。

【木】本日はありがとうございました。年末年始とお忙しいことと思いますが益々のご繁栄をお祈りいたします。
(多田さんのお話を伺っていると、信念を持って一つのことを一生懸命やっていれば、確かな未来が拓かれるという摂理を感じました。そして、若い時代の経験があったから、今を大切にされている印象も受けました。亜美ラインさんでは自宅やお店の駐車場などの規模の小さなラインも引くそうです。)




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