1997年3月9日



桃の節句も終わり、待ちわびたように花々が開く季節となりました。今回の友達の輪は桑島犬猫病院副院長桑島修さんからご紹介いただいた宮田歯科医院院長の宮田幹郎(もとお)さんと対談してまいりました。

宮田歯科医院
院長 宮田 幹郎さん
本紙取材 高木康夫

【高木】こんにちは。中学、高校と同級生ということで、桑島さんからご紹介いただきました。本日はよろしくお願いいたします。

 親も子も二世代大親友

【宮田】実は幼稚園や塾も一緒でしたし、中学の生徒会でも彼が会計で私が書記というように、幼なじみで大親友です。ですから、クロベエさんのお話が載って、次回友達の輪に桑島さんと紹介された時は、その次は、もしかしたらと思いました。また、桑島さんのお父さんと私の父はとても親しく、院長が紹介されていたら、私でなく、父になっていたかも知れません。私にとっては、その方が助かったのですが。(笑い)

【高木】そうでしたか。以前は牛を飼っていたとか?

 我が家には牛がいた 
牧場が幸手にあった

【宮田】ずいぶん前の話ですが、乳牛を飼ってました。実家は兼業農家でしたので、乳牛だけではなかったのですが、それでも牛乳を毎日大きな缶で七本から八本生産していました。観光地のお土産屋さんでミルクキャンデーが入った牛乳缶を見ますが、あれの実物が実家にはありました。今では、高原の牧場に行かなければ見られませんよね。今では幸手に牛がいたなんて思う方は少ないでしょうね。その当時、桑島さんのお父さんが定期的に乳牛の検診に来てくれていたのです。

【高木】大きなペットがいた訳ですね。(笑い)

【宮田】さあ、どうでしょうか。私は三人兄弟で、現在教師の姉と私と同じく歯科医の弟がいます。子どもの頃、私の両親は、将来を見据えて家業という仕事を私たちにはまったく考えさせず、私たちの将来への環境を作ってくれました。忙しいのに塾へ送迎したり、桑島さんともそうですが、地域を越えて人と接する機会を作ってくれ、人に支えられて生きているという基本を教えてくれたと思っています。ですから、両親には本当に感謝しています。

【高木】ご両親はお子さんへ可能性を暗示したのでしょう?そして、それぞれが自分たちの道を拓いた訳ですね。ところで、どうして歯医者さんに?

 両親の歯を治したい
 だから歯医者さんに

【宮田】私が小学生の頃でしたが、両親の歯がとても悪く、当時は歯医者さんが少なく、夜中に順番をとり、朝から並んで治療を受けていました。ですから、両親が困っている姿を見て、子ども心に大きくなったら歯医者さんになって両親の歯を治してあげたいと思ったのです。大学で学び、都内の歯科医院で三年ほど勤務して、平成元年に開業しました。ぼんやりとですが、小学生の時に歯医者を目指しました。

【高木】早く独立されたのですね。

【宮田】二十八才の時、当時、勤務していた歯科医院の院長さんがとても熱心な先生で、いろいろなことを教えてくれました。人間的に尊敬できる方でしたので、その先生が「そろそろ、やってみないか」ときっかけを与えてくれました。両親を診てあげたいという幼い頃の気持ちが強かったのと、近所の人たちから「早く地元で開業してよ」という声をいただき、経営的な不安はあったのですが、「つぶれなければいいか」という気持ちで独立しました。当院は幸手加須線と香日向コミュニテイセンターを結ぶ道路に位置しますが、医院建築中は、この道路は香日向まで抜けておらず、行き止まりでした。工事の方が「こんな場所で大丈夫?」と心配してくれました。(笑い)

【高木】日常の宮田歯科院は?

 矯正歯科と
将来の夢

【宮田】現在、当院では、一般の歯科治療と共に歯科矯正を行っております。最近では矯正技術も進み、歯の裏側からの矯正技術を用いることにより、目立たず矯正できるケースもあり成人の方も矯正してます。カールルイスなども矯正したそうです。以前に比べて歯に対する感心が高まっていますね。8020という言葉を聞いた事があるかと思いますが、これは「八十才で自分の歯が二十本」という運動です。歯は人間にとって健康の源と言われますが、自分の歯を大切に永く使うのは簡単ではありません。現在は極力抜歯をせずに歯を残す治療が主になっており、インプラントと言って失った歯の後に手術で人工の歯を植え込む技術もあり、都内で勤務していた時は行っていましたので将来は行いたいと考えています。

【高木】治療にもいろいろあるのですね。

【宮田】ですから、私は患者さんとのコミュニケーションが一番大切と思っています。患者さんは専門家ではありませんから、治療の事でうまく私たち医師に伝えられないところがあります。何に悩み、どうして欲しいのか、といった患者さんの気持ちを少しでも理解し治療していくというインフォームドコンセントが大切です。患者さんは何でも言える「わがまま」であって欲しいと思います。スタッフにも患者さんが言いにくい環境を作らないよう指導しています。言葉は適切がどうかは別として、サービス業と考えている部分がありますので、診療時間も九時から午後一時・午後三時から八時(土曜日のみ六時・日曜、祭日休診)までとお勤め帰りの方にも来やすいように考えています。基本的に予約制ですが、初診と急患はいつでもどうぞ。

【高木】お忙しそうですね。日頃はなにか?

 多くの人たちと接し 
多くの話を聞きたい

【宮田】趣味というほどではありませんが、ゴルフやカラオケを楽しんでいます。両方ともいろいろな人たちとのコミュニケーションができるのでとても有意義です。また、地元の千塚地域に青和会という集まりがあり、月に一度情報交換として交流会があります。異業種交流の中で話が出来て、自分の知らなかった事も知る事ができます。私は幸手で生まれ育ちました。そして、今、この地域で仕事をし、家族共々暮らしています。そして、地域の方々に支えられ、お世話になっています。ですから地域になんらかの形で還元できるものがあればと思い、いろいろな集まりには参加してます。同時に情報という面では友達の輪は、毎回欠かさず読ませて頂いています。地域情報のひとつとしてファイルしてありますよ。

 友達の輪を毎回ファイル
 人のつながりの大切さ

【高木】ありがとうございます。友達の輪をファイルして頂き、大変光栄です。お話には人のつながりの大切さを感じます。

【宮田】一人では生きていけないということを親の背中で学んだのでしょう。自分にも三人の子どもがおりますが、同じような感性の人間になって欲しいと思います。

【高木】それではお友達をご紹介下さい。

【宮田】高校の先輩で、中四丁目で日本料理「ときわや」を経営している増田行雄さんを紹介します。増田さんの弟さんとは同級生なんですが、相談などをしている内に親しくさせていただいてます。

【高木】ありがとうございました。これからも、地域に溶け込んだ活躍ご期待いたします。

(とても、両親を大切にし、人間性あふれる方でした。)