すっかり春の気候になり権現堂のさくら堤ではまもなく第七十八回さくら祭りも開催されます。本日の友達の輪は椛蝸「商店の社長である大里英二さんからご紹介いただいた牛窪勝重さんに登場いただきます。牛窪さんは幸手市内で「まちのでんき屋さん」として野口堂電機店を経営されています。
「まちのでんき屋さん」野口堂電機
代表取締役 牛窪 勝重さん
本誌取材 木 康夫
【木】こんにちは。大里さんから古いお付き合いということでご紹介いただきました。お忙しい中よろしくお願いいたします。
【牛窪(敬称略)】こちらこそ、よろしくお願いいたします。大里さんとはご近所で商人同士ということで長いお付き合いをいただいております。紹介いただきましたが私でいいのでしょうか?
【木】そんなことはありませんよ。早速ですが野口堂さんの歴史を伺いたいのですが?
新しもの好きな
親父が創業
【牛窪】私の聞いたところでは、戦前の話ですが、昭和二十年頃は洋品店と洋裁学校を開いていたそうです。生徒さんもたくさんいたようで、今でも七十代のお客さんが見えて、「私はお宅で洋裁を習ってたのよ」などと昔話を聞かせてくれます。その以前、前社長である親父が戦争に通信兵として出兵したのですが、その体験で自動車や電気製品が強く印象に残ったようです。もちろん自動車なんて当時はほとんど走っていない時代でした。また、親父は昔から新しもの好きで、終戦で帰ってきてオート三輪がどうしても欲しくなり、所有していた二百坪の土地と交換したそうです。そして、新しいものを売っていこうと真空管ラジオや電球やコンセントなどの販売を始めたのが最初のようです。創業からずっと中央通りに面した所で営業していましたが、平成十八年四月に現在の場所に移転しました。
【木】牛窪さんはいつ頃からご商売に入ったのですか?
【牛窪】私は野口堂に入る前はサラリーマンとしてメーカーであるシャープに勤めていました。大宮営業所にいたのですが、当時、シャープ本社と直取引をしていた電気店が埼玉県内に三ヵ所ありました。川越と深谷と幸手の野口堂だったのですが、その直取引の担当をしていたのです。ご存知のとおり一般的に電機メーカーは販売会社や卸問屋を通じて小売店である電気店に商品を流通させますが、当時の取引から考えると野口堂の販売額は大きなものだったのですね。小売の他に電気店へ卸もやっていたのだと思います。そして、縁もあって家内と結婚して親父の商売を学びながら野口堂の後継者となったのです。
【木】電気製品の高度成長期ですね。現在では大型店との競争で大変な時代になりましたね。
気がつけば
創業六十余年
【牛窪】「三丁目の夕陽」という映画がヒットしましたが、まさにあの時代ですね。特に昭和三十四年の皇太子様のご成婚のときと昭和三十九年の東京オリンピックの時はテレビが売れましたね。店頭と幸手駅前にテレビを設置してたくさんの人だかりが出来たことをよく聞いております。電気製品の三種の神器などもありました。しかし、大型店が昭和四十年ごろからどんどん増えていきました。私たちのような電気店では価格競争で太刀打ち出来なくなってきたのです。現在、電気製品の85%は大型店が取り扱っているという数字もあります。また、音楽事業もレコードのころから平成十五年までやっておりましたが、レコードもCDに代わり、CDからネット配信の時代になってしまいました。業態はどんどん厳しくなり大変な変遷を遂げてきたように感じます。そんな中にもおかげさまで創業六十余年になります。長く続けさせていただいたと感謝しています。
【木】本当にすごい変化ですね。これからどんなご商売を目指していますか?
「まちの電気屋さん」として
シンプル一番を
【牛窪】そうですね。私は「まちの電気屋さん」としてお客様のどんなご要望にも迅速に、かゆい所に手が届く仕事を心がけています。特に最近のテレビやその他の機器などの結線やリモコン操作はとても複雑になっています。あと三年経つと地デジに切り替わるので簡単なものになるはずですが、今の環境ではご年配の方たちには難しいようです。私たちも商品勉強は欠かせませんが、使いこなせない機能が多いよりもシンプルが一番だと思います。それから、子どもの成長や記念の映像をVHSや8mmビデオで残したテープは、早い時期にDVD化されたほうが良いと思います。せっかく撮ったのに観るための機器がなくなったり、テープにカビが生えて観られないこともあります。電化製品にしても付属品にしても基本は長持ちさせることを当店のポリシーとしています。ホコリやゴミは大敵です。機器の周辺の掃除をきちんとされて、万が一壊れたら修理も出来ますからお気軽にご相談下さい。
【木】ご趣味などは?
求めよされば
与えられん
【牛窪】ゴルフやハイキングなどありますが、昨年病気と怪我をしてしまい、今は健康を取り戻すことを第一としています。でも、たくさんの友達が心配してくれ、励ましてくれ、支えてくれます。幸手に来たときは誰も知りませんでしたが商工会青年部の発足に係わるチャンスをいただき、そこで出会った人間関係が今でも生活の中心になっています。私の好きな言葉で「求めよされば与えられん」という言葉がありますが実感してます。また、娘たちが帰ると必ず仏壇に行って手を合わせています。熱心な教徒ではないのですが、それを見ていてご先祖様を大事にすることを娘たちから教わった気がしました。今では毎朝晩仏壇の前で般若心経を唱えますが自分にも心の安らぎを感じます。私は四国の出身ですが、四国では幼いころから般若心経を読む文化があり、弘法大師のことをお大師様と呼びます。四国では悪いことをすると「お大師様に怒られるぞ」と諭します。
【木】では、お友達をご紹介下さい。
【牛窪】高橋土木鰍フ代表取締役である高橋義弘さんをご紹介いたします。高橋さんとは幸手ロータリークラブでも一緒に活動しています。
【木】本日はありがとうございました。
(牛窪さんは電気製品のことならなんでも気軽に相談して下さいと笑顔で応えてくれました。まちの電気屋さんって響きがいいですね。)