桜の花も一気に満開になり、権現堂などの桜の名所では大変な賑わいになっております。さて、本日の友達の輪は野口堂電機鰍フ牛窪勝重さんからご紹介いただいた高橋義弘さんに登場いただきます。高橋さんは轄kエ土木の代表取締役です。
轄kエ土木
代表取締役 高橋 義弘さん
本誌取材 木 康夫
【木】こんにちは。牛窪さんから幸手ロータリークラブでご一緒されている方とご紹介いただきました。本日はお忙しい中よろしくお願いいたします。
【高橋(敬称略)】こちらこそ。牛窪さんからのバトンということですが、こういった取材はあまり得意じゃないのでよろしくお願いいたします。
【木】早速ですがお仕事について伺いたいのですが?また、創業者と伺いましたがいつ頃創業されたのですか?
【高橋】当社は主に市とか県などの公共事業を行っております。一般のエクステリアも扱っておりますが、公共事業が主体ですね。過日開園しました県営権現堂公園も当社で一部工事を担当しました。三月三十日には上田知事も来られて式典が開かれましたので記憶に新しいと思います。70%は栗橋の地になりますが桜の名所である権現堂と一体感ある県立公園で、県民の憩いの場所になればと願っています。当社の創業は昭和五十四年ですが、会社としては昭和五十七年に登記しましたので今年で二十七年目になりますね。
【木】創業されたきっかけなどあるのですか?
【高橋】私は岩手の生まれで、大成道路という会社にサラリーマンとして十四年間勤めていました。大成道路時代は東北自動車道の建設を担当し工事と共に、関東に上って来たのです。自慢ではありませんが地図に残る仕事として、「東北自動車道を自分たちが作ってきたんだ」という思いがあります。それで、サラリーマンですから転勤があるんですよ。当時、私は独身で結婚を考えていました。実は今のさいたま市に住んでいた現在の妻とお付き合いをしていました。その父親が「娘は埼玉県から外へは嫁に出さない」という方で、頻繁に転勤がある会社に勤めていては嫁にもらえないだろうと思ったのです。それで、仕事よりも妻との結婚を選択し、脱サラの道を歩むことにしました。三十五才の時でした。そして、翌年でしたが今までの仕事の経験を活かして現在の仕事をはじめたのです。創業者ですが裸一貫でしたから苦労もありました。最初は久喜の青葉団地に住んでいて、そこで会社を興しました。そして、二年後にたまたま惣新田の現在の場所に希望する広さの土地が見つかりこの地に移ったのです。四号バイパスの工事が真っ最中の頃でした。早いもので二十七年にもなります。
【木】仕事よりも結婚ですか。なんか、かっこいいですね。これからの夢などありますか?趣味などは?
同じ苦労なら
好きなことで苦労を
【高橋】夢は元気でいることですかね。(笑)もう、六十五才ですからね、元気な余生が送れればと思っているところですよ。今の仕事はいい時代もありましたが、現在は厳しい業界です。何の商売でも始まりがあって終わりがあるものです。自分で作って自分で終わりにしようと思っています。子ども達は女の子しかいませんが、会社を残してあげて苦労させるのなら、「同じ苦労をするなら自分の好きなもので苦労しなさい。」と子ども達に言ってます。高橋土木も子どもと同じように育ててきました。これでもか、これでもか、と投資してきました。趣味は夫婦でゴルフです。喧嘩しながらゴルフしてますよ。(笑)健康づくりも兼ねていますが、楽しいお友達作りや仲間作りです。妻のほうが上手いですが。それから、長靴を履いて植木もやっております。
【木】学生時代に夢中になったことがあるようですね?
中学生から
ボクシング
【高橋】ボクシングに夢中な時期がありました。岩手にいた中学二年生の時でしたが、近くに鍛冶屋さんがあったのです。その方が左利きでボクシングをやっていました。私もボクシングにとても興味があったので、その鍛冶屋さんから指導を受けることにしたのです。私を含めて六人ぐらい教わっていました。かなり一生懸命でした。高校時代はインターハイで優勝しましたし、二十才の時には岩手県代表として「つくみ国体」にも出場しました。ただ、亡くなった母にはずいぶん心配をかけたようです。食べ盛りの時期にボクシングは減量をしなければならないという背中合わせの辛さがあります。母は自分の子どもにだけはさせたくないスポーツと感じていたようです。でも、母が私の拳を夜な夜なマッサージしてくれたことが今でも脳裏に焼きついています。ボクシングはフライ級でした。十年位やっていたことになりますが、全日本社会人選手権で後楽園のリングにも二回立ったことがあります。試合で一緒に戦った人たちとは今でも連絡を取り合っています。メキシコオリンピックの代表選手になった友人やプロになった友人もいます。トロフィーもたくさんありますが楽しい思い出ですね。
【木】中学生からボクシングをされていたとは凄いですね。本年七月から幸手ロータリークラブの会長を務められるそうですね。
歳をとると
体が回らない
【高橋】まだ、何にも計画が進んでいませんが、第四十二代会長になりますので責任重大です。会長としての一年をどうこなしていこうかと考えているところです。とは言っても五十五才過ぎた頃から物忘れが多くなり、六十過ぎたら体も無理がきかなくなってきます。(笑)会社もロータリーもそうですが若い人たちに任せておけば安心ですね。
【木】では、お友達をご紹介下さい。
【高橋】「友達の輪」にも以前登場された、岩手出身の鎌田清久さんという方がいらっしゃいますが、岩手県人会を作ろうという提案があり、最初は三人でしたが、現在は十名ほどになっている岩手県人会のおひとりである昆裕司さんを紹介します。昆さんは歯科医として開業されている方です。
【木】本日はありがとうございました。
(高橋さんはとてもシャイな方で、自らのことを多く語ろうとしないタイプと感じました。職場には奥様もいらっしゃってとてもアットホーム的な印象を受けました。益々のご盛業を祈念いたします。)