桜でにぎわった権現堂では先週末からあじさい祭がはじまりました。梅雨時に美しいあじさい鑑賞で、幸手に訪れる人たちが増えてくれるといいのですが。さて、本日の友達の輪にはセンチュリー21フレンドホームの岸田千子さんからご紹介いただいた中川光子さんに登場いただきます。中川さんは浜田ガス水道設備鰍フ四代目としてご活躍されている方です。
浜田ガス水道設備
代表取締役 中川 光子さん
本誌取材 木 康夫
【木】こんにちは。岸田さんから不動産管理を依頼されていてる方とご紹介いただきました。本日はよろしくお願いいたします。
【中川(敬称略)】こんにちは。紹介されてから「さて、困った」と会社を振り返ってみましたら、今年が創業五十年目なんですね。大きな節目に気づかせていただいたようです。よろしくお願いいたします。
【木】五十年の歴史ですか。すごいですね。
鍛冶屋から
エンジンの部品製造
【中川】私は長女ですが、当社は私で四代目になります。創業は大正時代で曽祖父が興した仕事で、最初は鍛冶屋でした。いわゆる鉄工所で鍬や刃物を製造していたようです。代々、鉄を扱う技術を継承していたようで、祖父から聞いた話しですが、先代は日光東照宮を建てるためにこの地に集まったとも聞いています。濱田鉄工所という名称で現在の場所に創業しました。主に富士重工の直の下請けとして、エンジンの中に入るリングギアという金属部品を製造していました。富士重工の直の下請けというのはとても珍しく当社の技術が高く評価されてとても名誉なことでした。その後、久喜の工業団地に移り叶^砂という社名になりましたが、業態転換して現在は不動産賃貸業を行っています。
【木】現在のガス関係とは違いますね。
【中川】そうですね。私の父はよく言えば、アンテナが高いというのでしょうか、新しいもの好きで、たとえば初めてのテレビや冷蔵庫が出るとすぐに買ってしまい、届いてから母が驚くといった感じでした。(笑)鉄工所でしたからアセチレンガスや酸素などを仕入れていましたので埼玉酸素(現在のサイサン)と取引があったのです。父もサイサンの社長さんたちと親しくお付き合いさせていただいていましたが、ある時、社長さんが「これからのエネルギーはプロパンだ」と、ベンチャービジネスを提案されたのです。それで、共鳴した父がこのプロパン事業に濱田鉄工所のガス部門として参入したのです。この事業は燃料店さんなどがほとんどでしたら異色だったようです。新しいものに敏感な父らしい判断でした。
【木】決断力と行動力あふれる方ですね。
ミスプロパンから
都市ガスまで
【中川】しかし、プロパンガスは危険、爆発するなどの風評もあり安全性が疑問視される時代でした。それで、安心・安全・信頼をPRするために昭和三十三年には埼玉県プロパンガス協議会が「ミスプロパン」を選考し、日本初のプロパン祭りを開催し、ミスプロパンを招いてのイベントが当社前でも開かれました。古い写真ですが店頭のにぎわいが記録されています。昭和四十七年頃には全国各地で都市ガス導入が始まり、外部資本の都市ガスが幸手に入ってきたら幸手のLPガス事業者は苦境に追い込まれると感じ、LPガスの販売店さんや地域の資本家に声を掛けて幸手都市ガスの設立に関わりました。当時二十数件の販売店のほとんどが現在でも営業しています。先見により共存が図れたと思います。昭和五十一年には濱田鉄工所のガス事業部門から独立して浜田ガス水道設備鰍ェ立ち上がりました。
【木】これからのエネルギーはいかがですか?
エネルギー変遷の時代へ
【中川】そうですね。石油が高騰しガスも高騰していますので厳しい時代です。そして、LPガスも規制緩和で自由販売となりました。ガスの供給のために一戸一戸に配管設備などの投資をして十年くらいかけて償却をしていくのですが、自分たちでは設備投資をしないでガスの販売店を切り替えさせるというアウトローな販売店も外部から参入してトラブルになるケースもあり困っています。また、オール電化という家庭も増え始めこれからのエネルギーにも選択肢が広がっています。ガスで給湯と発電をし、余った電力を売電するシステム(エコウィル)や太陽光発電など新しいエネルギーがありますがまだまだ勉強中です。
【木】女性社長ですが後継者などは?
卓球とゴルフ
夫婦で共通のスポーツ
【中川】経理担当の母が、突然くも膜下で倒れて専業主婦の私が、母に代わり経理と母の介護と自分の家庭と、精神的にも肉体的にもストレスが重なりました。過呼吸症候群にもなり自分で救急車を呼んだこともありました。父も療養生活のため幸手を離れ、いよいよ自分が背負わなければならなくなったときに、やはり女性としてのハンデを感じましたね。二人の娘に恵まれて孫もおりますが、この仕事は娘たちにはやらせたくないですね。女性ではなかなか大変だと身をもって感じています。でも、娘たちの伴侶が後継者としてやりたいというのであれば頑張ってほしいとは思いますが。
【木】ご趣味などは?
【中川】ゴルフですね。元々は卓球が趣味なんです。高校、大学とやっていました。幸手市の大会に参加したこともあります。卓球をやっている友人のご主人がゴルフのレッスンプロだったので、卓球やりながらゴルフも始めてしまいました。20年になりますね。主人もゴルフをしますから夫婦で楽しんでいます。これからも健康に留意して末永く続けていきたいですね。
【木】では、お友達をご紹介下さい。
【中川】私のゴルフ仲間のお嬢さんで、先日久喜総合文化会館で「オーストリア留学帰国記念チャリティーコンサート」を終えられたソプラノ歌手の武井優希さんをご紹介します。
【木】本日はお忙しい中ありがとうございました。益々のご繁栄お祈りいたします。
(中川さんは自分たち団塊の世代のためにお茶をしながら語らえる場所が作れたらと次の夢を持っておられました。実現するといいですね。)