いよいよ、梅雨に入りましたね。強い陽射しから癒されるように、雨にうたれた新緑がみずみずしく輝いています。さて、本日の友達の輪には浜田ガス水道設備鰍フ中川光子さんからご紹介いただいたソプラノ歌手である声楽家の武井優希さんに登場いただきます。
声楽家
武井 優希さん
本誌取材 木 康夫
【木】こんにちは。中川さんから「ゴルフ仲間のお嬢さん」とご紹介いただきました。先月末に久喜総合文化会館にてチャリティーコンサートを開かれましたね。本日はよろしくお願いいたします。
【武井(敬称略)】こんにちは。中川さんと母がゴルフを通じて親しくさせていただいており、この企画にご紹介をいただきました。よろしくお願いいたします。コンサートはロータリークラブを通じた奨学生としてのご恩返しと、帰国発表のような形で企画いただきました。入場料はチャリティーとして財団に寄付させていただきました。ウィーンには奨学生として一年間、個人的に前後して四年間程の留学をしてまいりました。
【木】ロータリーの奨学生ですか?
ロータリークラブの
奨学生として
【武井】ロータリークラブは世界的な団体ですが、国際ロータリーには世界のロータリーメンバーの寄付による財団があります。この財団では国際親善のための奨学金を集め、大学生や大学院生などに提供し、海外留学の支援等をしています。目的は、奨学生を通じて異なる国や地域の人々の間に理解と友好関係を推進することです。留学中、奨学生は親善使節としてロータリークラブやその他の団体で、母国等に関するスピーチを行います。そして帰国後、奨学生は留学中の親善使節としての体験談をロータリーメンバーやその他の人々に話します。国際親善奨学生が地域社会と世界のリーダーへと育っていく、という信念をもったプログラムだそうです。この奨学生公募に地元の久喜菖蒲ロータリークラブを通じて応募しました。そして、選考試験に合格して一年間の勉強にご支援いただきました。
【木】声楽の勉強ですね。声楽家になろうと思われたきっかけなどは?
【武井】幼いときから音楽には強い関心があったようです。三歳のときからピアノを習い始めました。楽しかったのでしょうね、ピアノが欲しくて祖父には「いつピアノ買ってくれるの?」と毎日のようにせがんでいたようです。(笑)現在もそのピアノは健在です。私が最初に音楽に接したなつかしい思い出です。ピアノは小学校高学年まで続けていましたが、都心の私立中学への受験が控えていたのでピアノから一時期離れていました。そして、中学受験も終わり勉強も落ち着いてきた中二の頃、母の友人であるピアノの先生に指導していただくようになったのです。声楽科をご卒業された先生でした。中学ではクラス対抗の合唱大会が盛んで、朝練習をはじめ合唱の練習をよくしました。みんなでひとつの曲を創り上げていくという合唱にとても魅力を感じたのです。声楽への進路を考えるようになったきっかけかもしれませんね。
【木】その後、どうされたのですか?
経営学部から
音楽学部へ編入試験
【武井】高校へはそのまま進学したのですが、二年生の頃に本格的に声楽を習い音大に進学したいと考えるようになったのです。両親に相談したのですが、音楽という厳しい道を目指すことを心配、また反対もされ、本意ではありませんでしたが、経営学部に入学しました。いったんは税理士を目指して、簿記2級までは勉強して取得しました。しかしやはり、心から望んだ進路ではないので、打ち込めませんでした。それで、両親に打ち明けたのです。音楽学部への編入試験を調べるとフェリス女学院がありました。両親も理解してくれ、大学二年生の終わりから三年生まで夢中で受験勉強をしました。試験に合格してフェリス女学院音楽学部の三年生へ編入学しました。音楽だけを勉強できるなんて夢のようで、とてもうれしかったです。でも、だんだんと慣れてしまってその感動もいつの間にか消えてしまいました。(笑)
【木】まったく違う学部ですね。いよいよ声楽への道ですね。
歌は体が楽器
自然なスタイルで
【武井】大学院に進学したのですが、指導下さった教授の一言がきっかけでした。大学院一年のときに「ヨーロッパで講習会を受けてみたら」と示唆されたのです。声楽をやっている方ならわかるのですが、歌は体が楽器なのです。まず、楽器としての体を作り上げることから始まります。楽器として出来上がっていないと無理があったり、苦しかったりします。そんな悩みもあった時期でしたので、その一言が私の心を動かしました。そして、たまたまウィーンの先生の所へ講習会を受けにいってきました。たった30分のレッスンわずか8回でしたが、歌うときに、どういう風に体を自分でコントロールするかということでなく、体を自然な動きのなかに任すということを学びました。そうしたら本当に、声も自由に伸びていき、体も軽くなり、とても解放感を感じました。その先生との出会いが私の人生の大きな分岐点でした。そうでなければきっと留学していなかったでしょうね。
【木】これからやってみたいことなどありますか?
【武井】自分が勉強してきたことを地域に活かせたらと思います。声楽の指導もそのひとつですが、自宅でサロンコンサートや年に一、二回はホールでのコンサートを開きたいですね。ロータリーから学んだ、奉仕の精神という、社会貢献の意識を持って望みたいと思います。
【木】では、お友達をご紹介下さい。
【武井】家族ぐるみでとても親しくお付き合いをさせて頂いております、寿司割烹「三代」の小栗圭一さんをご紹介します。小栗さんはとても面倒見のよい熱い方です。
【木】本日はお忙しい中ありがとうございました。益々のご活躍をお祈りいたします。
(武井さんは自分の夢に向かってまっすぐに歩んできた素敵な方でした。ウィーンはヨーロッパの中でもっとも安全な街でワインがとてもおいしいところだそうです。ウィーンのお薦めを伺ったらワインの作り酒屋が自家製ワインを飲ませるお店のことを「ホイリゲ」と言うそうですが、そこで旬のものにチーズとワインとソーセージがあればもう最高とのことです。)