2008年7月13日


祭り太鼓の練習音が各町内に響いています。七月は夏祭りの季節ですね。昨日と十八日には久喜市内で天王様の堤燈祭りが開かれ、幸手市内では大神輿渡御が午後二時に幸宮神社から宮出しされます。さて、本日の友達の輪には寿司割烹「三代」の小栗圭一さんにご紹介いただいた佐々木稔さんに登場いただきます。佐々木さんはデザイナーでもあり幸手市でプリンテックという美術デザイン及びDTPを基本にした会社を経営されている方です。

(有)プリンテック
代表取締役 佐々木 稔さん
本誌取材 木 康夫

【木】こんにちは。小栗さんから「常連のお客さまでもあり、同年代でもあって親しくさせていただいている方」とご紹介いただきました。本日はよろしくお願いいたします。


【佐々木(敬称略)】こんにちは。当社は以前三代さんの前のビルで営業していましたが、六年ほど前に緑台に移転しました。三代さんとはご近所付き合いから始まりました。家族で良くお邪魔いたしますし、マスターとは意気投合してゴルフなどもご一緒させていただき楽しくお付き合いさせていただいてます。

【木】脱サラで起業されたと伺いましたが?佐々木稔さん

サラリーマン26年
脱サラして起業

佐々木サラリーマン歴は二十六年です。前の会社は主にカメラ関連と情報機器を生産販売する一部上場企業でした。今から四十年以上前になりますが、ソニーがカセット式録音再生機の生産開始に伴い量産ラインを前の会社で受け持つ事となり、私も営業担当としてチームに配属になりました。当時の音響業界はオープンリールの最盛期でしたが、カセットデッキの登場によりセパレート式ステレオが爆発的なブームを呼びました。この商品の原型となるメカ部分は当時私の勤務していた会社で開発協力したものです。ソニーとは10年以上お取引を頂いておりましたが、営業職にいた私にとっては人生の中でもっとも勉強になった時期で、幅広い人脈が生まれました。ソニーには今でも深く感謝しております。しかし、その会社も主力である情報機器が先行大手メーカーにおされ時代の流れには勝てず昭和六十年代には販売不振になってしまいました。そして、会社の事業縮小や本社移転などがあり、それなら、独立して自分で仕事を興そうと考えたのです。子どもたち三人がまだ学生でしたから大きな冒険でしたが家族の協力が大きな力となりました。幸いにして仕事上DTP(コンピューターによる文書レイアウト等)などを手がけておりましたので美術デザイン、DTP、写真撮影をベースにデザイン業をスタート致しました。

【木】美術デザインですか?独立は勇気がいることですね。

イメージを
デザインする

佐々木今まで培ってきた情報機器などの商品カタログやパンフレット、ポスターなどのデザインと取扱説明書のDTPを請け負う仕事に取り組んだのです。幸いにも自宅をアトリエとするSOHO的なデザイナーやカメラマンなどが協力してくれましたので私は営業専門で動けました。その頃の印刷業界は技術もプロセスもコンピューターが入り込み、アナログからデジタルへと大きな変革の時期でした。私はDTPをやっていましたのでタイミングもよかったのだと思います。それに先輩や友人などの協力が大きかったですね。元の上司が同時期に転職し大手の露出計メーカーにいました。その会社の製品カタログから始まり、取扱説明書などもデザインしました。今では海外向け取説も五ヶ国語に翻訳して生産しています。このような商品のイメージを伝えるカタログやパンフレットなどは全体のデザインがとても重要です。クライアントとはラフなデザインから始まるのですが、イメージの共有も難しいですね。でも、作品が完成したときの喜びは格別です。独立したのが昭和六十三年のことですから、振り返れば夫婦で起業して二十年にもなりました。

【木】クリエイトなお仕事ですね。デザインというお仕事柄でしょうか、お若く見えますが何かやっておられるのですか?

奥様の手料理が
若さと健康の秘訣

佐々木若く見えますか?今年で六十八才になりますよ。(笑)私にとっては食生活が元気の源ですね。これもすべて妻のおかげです。私は両親に大変感謝しております。妻と出会えた事も先祖や両親から頂いた幸運のお蔭と思っております。妻も同じ会社に勤務してましたのでそれで、結婚のきっかけが生まれたのですからこれも幸運でしたね。それで、結婚して食生活が変わったからだと思います。独身時代は野球をしていました。佐々木稔さん体を動かしますからよく食べましたね。元々、魚が嫌いで若いときは生物を食べた事がありませんでした。どちらかというと洋食系を好んで食べてました。当時は薄給でしたのでとんかつなどはなかなか食べられませんでしたが、たまに食べられてもお肉の半分以上は脂味の多いものでしたね。それに、サラリーマン時代は営業部署に長くいましたから、接待も多くて自宅に十二時までに帰ったことはほとんどありませんでした。私の母方は糖尿病の家系で兄も糖尿病でした。自分も同じ血が流れてますので気を付けてますが妻が作るバランスのとれた食生活のおかげで健康でいられます。お酒を少し慎みたいと思ってますが…。

【木】趣味はゴルフと伺いましたが?

佐々木そうですね。今は月に二、三回ですが、楽しくプレイしています。ピークには80台で回っていましたが、現在は90台ですね。ゴルフを終えた後は必ずといっていいほど反省会といって飲む機会があります。これがまた楽しいですね。(笑)

【木】お仲間が沢山いらして楽しそうですね。では、お友達をご紹介下さい。

佐々木紹介先が行ったり来たりとなってしまいますが、三代のマスターのお姉さんの藤本和枝さんをご紹介します。藤本さんは長く看護士として活躍され、リタイアされてからはボランティアとして社会奉仕に活躍されています。妻も大変お世話になっております。

【木】本日はお忙しい中ありがとうございました。益々のご繁盛をお祈りいたします。
(佐々木さんは年齢には見えない活力あふれる方で、コンピューターを駆使したデザイナーさんです。お仕事では感性あふれるセンスのよさをうかがうことができました。)




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