2008年8月17日


お盆休みも今日までというかたが多いのではないでしょうか。帰省から戻る車で道路渋滞も心配されますが、暑い夏も後半に突入しました。さて、本日の友達の輪には「アンサンブル 花」の藤元和枝さんからご紹介いただいた那須豊徳さんに登場いただきます。那須さんは幸手市緑台にある那須歯科医院の院長先生です。

那須歯科医院
院長 那須 豊徳さん
本誌取材 木 康夫

【木】こんにちは。診察時間のお忙しい中お邪魔します。よろしくお願いいたします。先生は東京下町で生まれ育った江戸っ子と伺いましたが?


【那須(敬称略)】こんにちは。読売新聞さんというとすぐ近くの方ですか。よろしくお願いいたします。私の生家は葛飾区にあり私は次男として生まれました。歴史的には三百年ほどあるようですが、父を戦争で失い家も焼かれてしまいました。ですから、系図などの資料もすべて焼失してしまったのです。私は神田の中学に通っていましたが、卒業したらサラリーマンになろうと決めていました。それで、卒業前の就職活動をしていましたら信じられないような事があったのです。就職の書類を企業に提出しても、片親だと願書すら受け付けてもらえず門前払いなんです。今の時代なら人権差別ですよね。ですから、片親では希望するところへ就職することも駄目なんだと、茫然自失の状態でした。

【木】大変な時代でしたね。それでどうされたのですか?那須豊徳さん

夜間高校から
国立大学へ

那須就職するつもりでしたから進学の予定はまったくありません。駄目と解かった時には高校受験も終わっていました。それで、それから入れる高校を探したら都立の夜間高校だけでした。そこで将来の道を考えることになったのです。大企業のサラリーマンになりたいという思いが強く、先生に相談したら大学に進学して就職活動をしたほうがいいと指導され、大学進学も夜間部では厳しいから昼間部に編入するように示唆されました。そして、一年で昼間部に編入したのです。ところが大学受験を考えるときに精神医療に興味を持ち、国立で精神科のある大学を探したのです。国立一期では東京大学と他に一校しかなく、どちらを受験するか考えて第一志望を東京大学としました。合格するつもりでいたのでしょうね。(笑)国立二期校は病気あがりで体力に自信がなく、滑り止めで東京医科歯科大学の歯学部を受験しました。ところが受験の一番大事な時期である八月に体を壊してしまい十一月まで入院することになってしまったのです。勉強不足でしたが「強行突破だ」の気持ちで受験しました。結果は第一志望は駄目で滑り止めに合格です。正直うれしくなかったですね。でも、不思議なもので大学に入ってしまうと、歯学の魅力にはまるのです。私は夢中になると没頭するタイプなんです。まさに私にとっての歯学部はそんなところで卒業まで本当に楽しく学びました。(笑)

【木】進路もずいぶん変わってきましたね。

学生運動の責任は
無医村への派遣

那須ところが、当時大学では学生運動が盛んで、大学の催事に関して学生たちがストライキを「行うか否か」といった決議がされていました。結局、多数決で催事をボイコットするようなストライキが行われてしまいました。おかげで医学部は卒業が半年延期、歯学部は私が学年委員長でしたのでその責任を取った形で無事四月に卒業しましたが卒業式は行われませんでした。さらに大学病院に残れずに神奈川の無医村に派遣されてしまいました。三年位勤務しましたが、東京に帰ることも出来なかったので、この際、独立しようと越谷市蒲生に開業したのです。三十才代でしたからバリバリ頑張れましたね。毎日百人位の治療を行っていました。しかし、息子が交通事故にあってしまったのです。幸い大事には至りませんでしたが、当時の越谷は人口流入が激しく道路環境も悪くて危険でした。そんな時に、たまたま車で幸手を通過することがあったのですが、「緑台分譲中」という看板が目に付きました。田んぼしかないところでしたが、子どもたちにとっての環境がよさそうでした。その分譲地に偶然にも知り合いの植木屋さんがいて、話がとんとん拍子で進んでしまい、昭和五十三年に越谷から現在の地に移ってきたのです。

【木】今年三十年目ですね。那須先生の歯科医院ではご家族で診察にあたられ審美歯科も古くからされているそうですね?

審美歯科は
三十年以上の実績

那須豊徳さん

那須開業時から審美歯科を手がけておりますから三十年以上の実績があります。審美歯科とは、白くて美しい歯にするために行う治療分野です。もちろん見た目だけではなく、かみ合わせも良くて健康な歯にしなければ意味がありません。審美歯科での治療により美しい笑顔や自信も手に入れるという効果もありますね。レーザー治療もやっておりますが、今まで審美歯科だけでも何千人という患者さんを治療してきました。結婚式が控えているので一週間で治療した方もいらっしゃいます。うれしいことには越谷から通っていただいてる方もおりますし、京都から新幹線を使って日帰りで来られる方もいらっしゃいます。現在、息子も娘も歯科医として勤務し、息子のお嫁さんも歯科医ですから私を含めて四名の歯科医でローテーションを組んで診察しています。

【木】チームワークもいいですね。では、お友達をご紹介下さい。

那須古くからの友人で、家族などでよく伺う「レストランかをり」のオーナーシェフである藤倉保さんをご紹介します。おいしいお店です。

【木】本日はお忙しい中ありがとうございました。益々のご活躍をお祈りいたします。
(那須さんは夢中になると徹底的に研究されたり没頭されたりするようです。趣味で船の模型を作られているようですが、木を削って舟艇を作ったり、ロープもタコ糸で忠実に再現したり、錨などは鋳造するほどのこだわりで、歯科医としての細かい技術を活かして精巧な模型を楽しんでいるようです。また、週末や休みを使って日光から京都までの全区間を十年がかりで歩いたそうです。ご夫婦だったり家族全員で歩かれたようですが、那須さんの家族に対する思いが伝わってきます。ご家族全員そろって文字通りアットホームな歯科医院さんでした。)




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