2009年2月22日


各地で梅まつりも開かれ、桃の節句も間近な今日この頃、春が待ち遠しいですね。
さて、今回の友達の輪は(有)高徳冷熱の高徳久子さんよりご紹介いただきました峯下満義さんに登場していただきます。峯下さんは幸手市スポーツ少年団本部長として永年に渡り活躍されている方です。

幸手市スポーツ少年団
本部長 峯下 満義さん
本誌取材 木 康夫

【木】こんにちは。お忙しい中編集部にお越しいただき恐縮です。高徳さんからスポーツ少年団でお世話になった方とご紹介いただきました。早速ですが、スポーツ少年団の指導者としてご活躍だそうですね?

少年団は全国組織

【峯下(敬称略)】少年団というのは「日本体育協会日本スポーツ少年団」というのが正式名称でして、管轄は文部省で全国組織です。その下に、都道府県単位、市区町村単位、地区の単位団という組織になっています。現在、幸手には十七の少年団があります。指導者も幸手では認定員として二百三十人の登録があり、みなさんボランティアでやっていただいております。

【木】息子さんも同じ仕事をされているようですね?峯下満義さん

三代目が楽しみ

高徳現在、二人の息子が跡取りとして、同じ業界の別の会社で働いています。名古屋と久喜にそれぞれ家庭を持っておりますが、十年で一人前という世界です。すぐに主人の元に入ると甘えが出てしまうので、外の世界で技術を習得してやっとお客様のお役に立てるといった具合です。技術も進みエアコンや冷蔵機なども以前より壊れなくなりました。さらに、修理をして大事に長く使おうというところも増えています。主人も父親からあとを任されもう十四年になります。この仕事は経験がとても大切です。息子たちにはあと五、六年しっかり勉強してきて帰ってきて欲しいと今から楽しみにしています。と言ってもいくつになっても子どもは心配ですね。(笑)

【木】スポーツ少年団とかかわったきっかけは?

峯下以前は草加に住んでいたのですが、次男が幼稚園の時にサッカーをやりたいということになり、地域のサッカークラブに行ったところ、小さかったのと指導者がいないということで入れなかったのです。でも、次男がどうしてもやりたいというので、「私が面倒も見るからやらせてほしい」と申し出て、他の子どもたちも一緒に始めたのがきっかけです。私自身はサッカーの経験はほとんどなかったのですが。その後、長男が高校に入るくらいになって、幸手に越して来て幸手市スポーツ少年団に参加したのです。少年団は草加からですと三十数年になります。

【木】スポーツ少年団はどんな活動をされているのですか?

峯下野球、サッカー、バドミントン、バレーボール、ミニバスケットがあります。一年を通してそれぞれに活動をしていますが、一番のビッグイベントは毎年十一月三日開催の親子スポーツレクリエーション大会です。ひばりが丘のグランドで開催します。千人以上の参加で朝から夕方までフル活動の一日です。スポーツに触れる良い機会だと思いますので、ぜひ、みなさんに来ていただきたいと思います。私は現在バドミントンの指導者として関わっていますが、子どもたちとは、教えたり教えられたり、和気あいあいの関係で楽しくやっています。

【木】ドイツと国際交流が続けられているそうですね?

ドイツと国際交流

峯下少年団の活動の一環として、日独の子供たちとで継続して交流会を行っています。1991年に第十八回の日独青少年同時交流を埼玉県スポーツ少年団から委託を受けたのが始まりです。ドイツから子どもたちが来日したあと、帰国してからも、単独で交流しないかとお誘いがあり、翌年に子どもたちを連れてドイツへ行きました。その時に、今後は、二年に一回ずつお互いの国を行き来して、交流を深めましょうということで、去年は七月〜八月にかけて二週間子どもたち六人を連れて行ってきました。基本的に勉強する気持ち、交流する気持ちのある中学生、高校生を引率して連れていきます。場所はヘッセン州プフングシュタットを中心にいろいろな所に行きます。フランクフルト市内見学やライン川下りを楽しんだりはしますが、ヘッセン州議会、フランスのEU議会など、普通は見られないような場所も見学します。子どもたちはホー峯下満義さんムステイで各家庭に入りますが、英語と日本語とでなんとかコミュニケーションをとっております。

【木】二週間も時間を作るのも大変ですね。行ってみたいですね。

家族のバックアップ

峯下ドイツやヨーロッパの人たちは、休日もまとめてとる習慣がありますし、私も幸いなことに二週間仕事の休みをとることができました。私としては若い人たちが国際的に羽ばたいてほしいという思いでやっています。飛行機代は自前ですから年齢や経済的な面では永くはできませんが、家族には理解とバックアップをしてもらっており感謝しています。今までに5回ドイツに行っています。南ドイツから、ベルリン、ドレスデンなど北の方も行きました。様々な風景を見てきましたが、建物などみていると東ドイツ、西ドイツ時代の歴史を感じられますね。ぜひドイツに行く機会があれば見てほしいのですが、幸手市の道路標識がドイツのホッフ市フェルンベーパークにあります。ここは芸術家が作った世界の看板が集まった公園です。ドイツの交流先の団長から漢字の看板がないので送ってくれと言われ、幸手の標識を送ったものです。

【木】ドイツの子どもたちはどうですか?

未来に繋がる交流

峯下日本では大学を卒業しても自分が何をしていいか分からないという子どもたちが多いですね。でも、ドイツでは、小学校四年の段階で本人、親、学校とで話し合いをして将来の方向性をだいたい決めていくんです。ドイツ交流をして帰ってきて、子どもたちの中には将来の進みたい方向性が見えてきたりする子もいました。また、ドイツ訪問をした子の中には日本で大学を卒業し、現在ドイツで就職している人もいます。交流会をきっかけに、自分の夢を見つけてくれているんだと思います。幸手の子どもたちには、「自分のやりたいことは早く決めなさい。」ということをいつも言っています。それによって方向性がきまっていき、目的意識を持って学校にも行けるわけですから。「何ができますか」といわれたときに、きちんと答えられるような勉強をしてほしいなと思っています。ここの大学を出た、とかそういう経歴ではなく、自分の良さを延ばせるよう準備してもらいたいと思っています。

【木】では、お友だちをご紹介下さい。

峯下幸手市野球連盟の会長である関口徳壽さんをご紹介します。

【木】本日はお忙しい中ありがとうございました。益々のご活躍をお祈りいたします。
(峯下さんはもうすぐ六十八歳だそうですが、年齢よりずっと若く見えました。スポーツを継続して行っているというのも若さの秘訣のようですね。そして何より子どもたちから若いパワーをもらえることが元気の源とお話下さいました。)




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