2009年5月24日


新緑の季節に夏のような暑さが続きますね。梅雨の季節も到来間近ですから体調管理には十分気をつけていただきたいですね。さて、本日の友達の輪は「関口金物店」の関口光宏さんからご紹介いただきました益山貴司さんに登場していただきます。益山さんは益山材木店を経営されています。

益山材木店
代表取締役 益山 貴司さん
本誌取材 木 康夫

【木】こんにちは。関口さんから「大先輩である益山さんに」ということで、ご紹介いただきました。本日はよろしくお願いいたします。

【益山(敬称略)】こんにちは。関口さんから連絡をいただき驚いていますが、よろしくお願いいたします。

【木】関口さんのお店は古くからやられているお店なんですか?開店時間も早いようですね?益山貴司さん

益山大正時代に 商店という材木商がありました。私どものご先祖にあたる増山利八が材木商の権利を譲っていただき、この地で商売が始まったと聞いております。当時の「ます山」のますの字は「増」だったそうですが、古い話ですが役場で台帳の記載ミスがあって、現在の「益山」になったようです。私は五代目にあたりますが、大学に通っていた時から材木を担ぎ仕事をしていました。自分の中では、「この地域で一番の材木屋になろう」と夢を持ち努力をしました。朝は、誰よりも早く起きて、昼間は材木の配達をして、夜は空時間に建具のガラス入れをしていました。

【木】すごいパワーでしたね。地域一番への方策などあったのですか?

材木の産地直送

益山そうですね。販売と言う商売ですが、当社では営業などの御用聞きはせずに、欲しいものを欲しいときに提供できるという材木店を目指しました。商品である材木もたくさんの種類を揃えました。材木は同じ種類でも産地によって品質が違いますし、それは直接見ないとわかりません。ですから、仕入れは全部自分の目で見て、確かなものだけを扱うようにしました。今ではいろいろなものに「産地直送」という言葉も聞くことが多くなりましたが、当社では山をまるごと購入して現地の工場で製材して貰い販売まで行う材木の「産地直送販売」を行ったことがあった。材木の品質は、環境や土壌によって随分変わります。それで、良い木を育てるために、山の手入れを行なうのです。これにはずいぶん費用がかかりました。当時は、一箇所でたくさんの材木などを扱っているお店は少なかったので多くのお客様に喜んでいただけました。日曜大工の姿もだいぶ変わってきましたが、DIYの原点は、当店のような材木屋だと思います。

【木】時代の先取りでしたね。現在はどうされているのですか?

残務整理に五年

益山貴司さん

益山最盛期は社員が十二名ほどいましたが、私も歳をとってきて後継者がいないもので、寂しいですが現在は閉業に向けての残務整理を行っています。材木商としての第一線から退いてから、かれこれ五年くらいになります。しかし、永いお取引関係の大工さんや工務店さんから材料の発注を頼まれ、なかなか閉業することが出来ませんね。昔からそうなのですが、私は断ることを知らなくて、何でも引受けてしまうところがあります。誰かの役に立ちたいという気持ちが強いのでしょうね。人とのつながりを大事にしていますから、良い人たちが周りにいてくれていると思っています。人の上に立って色々指示をするのは余り好きではありません。「和気あいあいと助け合いながら」のほうが好きですね。現在も最後の仕事として幸手中学校近くの納材をやらせていただいています。

【木】地域コミュニティも楽しまれているようですね。

人柄が繋ぐ地域の輪

益山古くはこの地域の子ども会を創設しましたが、PTAや体協などをはじめいろいろな団体にもお世話になりました。十年前までは幸手ロータリークラブにも在籍して、奉仕活動にも参加していました。最近ではうちの庭とテニスコートに、グランドゴルフのコースを十六ホール造りました。これから仲間を呼んで楽しもうと思います。年は重ねてもいろいろやりたいことがたくさんあります。また、一緒に楽しむ仲間がいるので、その時間を大切にしていきたいと思っています。

【木】では、お友だちをご紹介下さい。

益山幸手町ソフトボール連盟の時代からお世話になっている佐々木英夫さんをご紹介します。

【木】本日はお忙しい中ありがとうございました。
(益山さんは若い頃から行動派だったようで、古くは幸手町内駅伝大会で区間一位などの成績を収めるスポーツマンでした。また、子どもたちの健全育成では幸手市で市子連会長やP連会長などとして尽力され、ソフトボールなどのスポーツにおいても幸手市体協などで活躍されました。益々のご活躍を祈念いたします。)




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