梅雨も近づいてきましたが、夏日を記録する暑さがあったり、季節感を忘れてしまいそうな今日この頃です。あじさい祭りもはじまり幸手市内にも観光客の姿が目立つ季節です。さて、本日の友達の輪は益山材木店の益山貴司さんからご紹介いただきました佐々木英夫さんに登場していただきます。佐々木さんは区長さんをされている方です。
区長
佐々木 英夫さん
本誌取材 木 康夫
【木】こんにちは。益山さんからソフトボールで大変お世話になっている方と紹介いただきました。よろしくお願いいたします。
【佐々木(敬称略)】あまりこういう取材は得意ではないのですがよろしくお願いいたします。益山さんは幸手小学校の同期生です。
【木】区長さんをされているようですが、子どもたちへのスクールボランティアもされ防犯面に力を入れているようですね。
誘拐殺人事件から
【佐々木】区長は今年で十二年目になります。当地区は二百二十世帯ありますが少子化で子どもたちも少なくなってしまいました。毎日防犯のスクールボランティアをやっていますが、きっかけは、今市の吉田有希ちゃん誘拐殺人事件(平成十七年十二月一日)を契機に幸小児童の巡視活動を始めました。あの事件が起こって、即座に各地域の区長に召集がかかり要請がありました。希望者のみでしたが、私は立候補してやることになりました。この防犯ジャケットはその時にいただきました。一年も着てるとよれよれになってしまうのですがそれ以降は、幸手警察の安全協会から提供していただいてます。
【木】朝夕と防犯パトロールをされているのですか?
朝夕夜の巡回
【佐々木】防犯ジャケットを着用し、平日の朝は七時半くらいに小学生の集団登校の子どもたちを見送ります。幸手小学校への登校を見守って、子どもたちに「元気?」など声をかけるようにしてます。そして午後になると、今度は下校の時間に合わせて、幸手小学校まで行って門のところで出迎えます。そして、大体二十人くらいの子どもたちと一緒に帰ります。一人で見るのはとても大変ですが、事故がないように一緒に歩いて帰ってきます。年々子どもの数が減ってきているので、安全を確保するためにスクールバスを出したほうが良いのではないかと思っています。なかなか難しいことでしょうが。また、毎日夜は七時くらいにも巡回しています。街路灯が切れているかどうかの点検です。それと、塾帰りの子どもたちを見守るためです。たまに卒業生の子どもたちから「佐々木さん」とか「おじちゃん」とか声をかけてもらい私からも「元気か!」とか会話する楽しさもあります。こんなコミュニケーションが地域の安心、安全につながっているように思います。
【木】多くの方たちが防犯ボランティアをされていますが、小さな子どもを持つ親としてはうれしい事ですね。頭が下がります。ゴミのパトロールもされているようですね。
ゴミステーション
【佐々木】各区には衛生委員さんが存在しますが、区長としてもゴミステーションのチェックは大切な役目と思っています。ゴミの収集がある日はその時間に合わせて、ゴミステーションが十五箇所あるのですが、そこをくまなく見に行きます。百世帯ごとに見回りの人員が一人必要になりますので結構大変です。現場確認をちゃんとしていないと、行政に対して改善して下さいという要望も出来ないですから欠かさず見に行きます。ゴミの分別収集がスタートした時は分別をきちんとしてもらうのが大変でした。最近はだいぶ良くなってきたと思います。きちんとやってくれるといいのですが、通行人にゴミを捨てられてしまったりしますし、なかなか百%にというのは難しいですね。ゴミの収集が来たあとには、ゴミ捨て場の掃除もしなくてはなりません。そういったことをいろいろやっていると午前中はあわただしく終わりますね。また、地域のみなさんにも役割を担ってもらって住みやすい街づくりを進めています。一人暮らしのお年寄りも増えてきましたが、色々な役をお願いして地域に参加していただき地域の輪を作っています。
【木】ソフトボールにはずいぶん関わっていらしたようですね?
ソフトばかりの社会人
【佐々木】そうですね。社会人となって、日曜日は一日中ソフト、月曜から土曜までは仕事で、一週間の中で仕事かソフトボールという毎日でした。私が四十歳くらいのときに「幸小クラブ(幸小PTA)」を益山貴司さんと一緒に作ったのです。彼とは小・中・高・大学と学生時代は机を並べることもなく意外と疎遠な関係だったのですが、親交を深めたのは子どもが小学生になり、PTAや子ども会活動に顔を出すようになってからです。お父さん同士の親睦会が発展し、ソフトボールクラブが誕生したのです。初代監督に益山さんが就任しました。今も益山さんは監督さんとして頑張っていますよ。以後三十八年の長きにわたりチームが存続できた事は、監督の抜群の手腕と結束もさることながらチームワークの良さがあったと思っています。個人的には「生粋の商人とサラリーマン」という水と油のアンバランスな人間関係が良かったと思います。ソフトボールだけはずっと続いていっています。当時のメンバーもシニアのチームで現役で活躍していますよ。
【木】皆さんお元気ですね。ムツゴロウさんとお知り合いとか?
【佐々木】社会人時代は仕事で映画を撮っていました。教育映画を専門にやっていまして、理科の映画を撮ったときに職場仲間にムツゴロウ博士こと畑正憲氏がいました。まさに風貌そのもので、自由奔放な人でした。その後、四十年振りに幸手北公民館で再会したムツゴロウ博士は少しも進化していなかったのが嬉しかったです。「何があっても失敗を恐れない人」で失敗は成功のもとを身をもって教えてくれた科学者ですね。
【木】では、お友だちをご紹介下さい。
【佐々木】あじさいの季節ですが、権現堂堤保存会で活躍されている川又貢さんをご紹介します。
【木】本日はお忙しい中ありがとうございました。
(佐々木さんが理科の教材として撮影した「地学」という映画があるそうです。娘さんが小学校の理科の時間にこの映画を観た時、そのクレジットに佐々木さんの名前を見つけ、下校してきてから嬉しそうに話したそうです。子どもたちとずっと関わってきた佐々木さんを感じるエピソードでした。益々のご活躍を祈念いたします。)