2009年10月18日


本日の友達の輪には石太菓子店さんの中村和彦さんご紹介いただきました北町櫻會会長でもあり、お囃子保存会の会長も務められている上野公廣さんに登場いただきます。

北町櫻會・お囃子保存会
会長 上野 公廣さん
本誌取材 木 康夫

【木】こんにちは。中村さんからお祭りでお世話になっている方とご紹介いただきました。よろしくお願いいたします。上野さんは北町櫻會の会長とお囃子保存会の会長を兼ねていらっしゃるそうですね。今日はお囃子保存会についてお話を聞かせて下さい。

北町櫻會の歴史

【上野(敬称略)】はじめまして。北町櫻會は、平成元年に出来ました。前身として、北青会(ほくせいかい)という団体があり、そこでは、夏祭りに盆踊り(流し踊り)をやったり、提灯を飾って子供神輿をやっていました。その北青会という団体が、北町櫻會となるのですが、当時市内には六機の山車があり、北町でも山車を作ろうということになりました。費用は当時で約三千万円掛かりました。多くのかたに寄付をいただき、宮大工さんに頼み三年かかりました。それで、山車が完成する間にお囃子の練習を始めたのです。発足当時には、近隣の子どもたち六十人くらいが集まってくれましたね。山車は現在神社の境内に山車庫があってそちらに保存してあります。夏祭りにはぜひ見ていただきたいですね。

【木】地元の協力があっての山車ですね。上野さんがお囃子の指導をされたのですか?上野公廣さん

お囃子を習う

上野私はお囃子は全く素人でした。お囃子にかかわるきっかけは、当時サラリーマンで、土日が休みだったので、お囃子の指導に来られる先生の送り迎えをするようになったことでした。久喜から先生を招き教わっていました。私ももともと音楽が好きで、中学のときにクラリネットをやっていたこともあり、先生のそばで覚えていきました。皆練習を続けてはいたのですが、はじめは、小太鼓しかできず(お囃子は、五つの楽器すべて出来るようにならないといけないそうで、難易度が低いのが小太鼓だそうで、大太鼓はリズムをとるのが難しく、笛は一番難しいそうです)、先生にはお祭りの助っ人として笛を吹いていただいていた時期もありました。でも、いつまでも助っ人を頼んでいるようでは駄目だと思い、仕事の合間を縫って、本格的に東京のプロの先生について江戸囃子も十年くらい習いました。(江戸囃子とは浅草等のお祭りで使われているメジャーなお囃子です)。私が教えてもらっていた先生は、お囃子を何種類もできる方で見聞が広まりました。そうした経緯で指導する立場になりました。

【木】保存会の活動などはどうされているのですか?

お囃子保存会

上野今現在練習に参加している子は小学生六人、中学生が五人です。高校生、大学生は習いにきてはいませんが、お祭りのときに山車や神輿に参加するメンバーには、私が以前にお囃子を教えていたという方が多いですね。保存会の練習は毎週土曜日の夜七時から九時です。一年を通してやっています。私達の活動のメインは七月の夏祭りですが、それ以外に一月の初詣と、礼大祭にも参加します。このときは夏祭りとは違った曲をやりますから一年を通して練習が欠かせないのです。また、桜祭りなどのイベントにも出演することもあります。お囃子の基本の形は、五人囃子。笛、鉦(かね)、小太鼓二つ、大太鼓です。リズムは決まっています。お囃子には、ばか囃子(ばかっぱやし)や破矢(はや)といった名前がついています。

【木】伝承されるのも大変ですね。

伝統を守る上野公廣さん

上野お囃子は決まった形というのはなく地域それぞれに、特徴があって楽譜などもなく伝承されています。私もきちんと次の代に伝えていきたいと思って教えています。そこで、すべての楽器の楽譜を作りました。楽譜といっても、「テレツク、テレスケ天、テレスケ天」などという書き方です。お囃子はすべて八拍子です。分かりやすいようにアレンジして教えるのに使用しています。笛は「ひゃららひゃらら」といった具合で、口で伝えられているのと同じように、オリジナルで楽譜として見やすいように作りました。保存会では、オリジナルのCDと楽譜を作りましたので、これから習う人にも分かりやすくなっていると思います。ただ、私たちの保存会の曲はちょっと一般的なお囃子よりも難しく、組曲になっています。曲も長いので練習量も必要になりますね。おかげさまで保存会の後継者も女性の方ですが、一人いますのでなんとか伝統を守ることが出来そうです。もし、お囃子やお祭りに参加されたい方がいらっしゃいましたら、地区外の方でも性別年齢問わず、だれでも参加できます。出来れば大人の男の人に参加してもらえればと思っています。山車を動かすまでにはやはり相当人数が必要になってきますので、どなたかやってみたい方いらっしゃいましたらお気軽にどうぞ。

【木】他にも趣味が豊富なようですが?

テニスも一生懸命

上野中学生の時から、テニスをずっとやっています。中途半端が嫌いなので、一生懸命やりましたね。中学、高校とクラブに入り、大学でも同好会に所属していましたね。中学のときに埼玉県で二位になりました。そのとき負けた相手が、春日部高校に入学したら同じクラスに偶然いてびっくりしました。高校時代は県でベスト十くらいでしたね。家内と知り合ったのもテニスです。埼玉県選手権などにも参加していましたが選手生活は三十五歳で卒業しました。二年前に定年を迎え、今は無理のない範囲で市内の大会などに出ています。この間は市民大会のソフトテニス一般の部で優勝しましたよ。幸手にはソフトテニス連盟がありますがそちらの理事長もやっています。今でも仲間とテニスを楽しんでいます。

【木】では、お友達をご紹介下さい。

上野阿波踊りでご一緒させていただいている秋葉博さんをご紹介します。演劇などもされている方ですよ。

【木】
ありがとうございます。これからも北町櫻會とお囃子保存会のご隆盛をお祈りいたします。
(上野さんは阿波踊りでも笛を吹いてくれと頼まれ、南越谷の阿波踊りや市民祭りにも参加されたそうです。お囃子の音のように何事にもポジティブな元気あふれる方でした。




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