2009年11月8日


北の国では冬支度もそろそろはじまる今日この頃ですが、本日の友達の輪には北町櫻會・お囃子保存会会長の上野公廣さんからご紹介いただきました秋葉博さんに登場いただきます。

明治座アカデミー
5期生 秋葉 博さん
本誌取材 木 康夫

【木】こんにちは。上野さんから阿波踊りでお世話になっている方とご紹介いただきました。秋葉さんは、明治座アカデミーの五期生だということですが、どういったところなのですか?

明治座アカデミー

【秋葉(敬称略)】明治座アカデミーとは、日本橋の浜町にある明治座の俳優養成機関です。私は定年になるまで会社員として勤めていたのですが、定年を迎えるにあたって、最初は毎日が休日でいいなぁなんて思っていました。また「もう仕事に行く必要がないのだなぁ」と感慨にふけることもありました。そして、「これから何をしようか」と自問自答の毎日でもありました。そんな時に新聞で明治座アカデミー三期生募集の記事をみて、興味がわき応募しました。入学するには試験があるのですが、運よく合格したのです。明治座アカデミーでの授業内容は、一年間役者になるためにさまざまな授業を受けます。昼間週一回通う必要があり、先生は、現役の役者さんだったり元俳優の方がやってくださったりで、生徒にとってはいい先生がそろっているのではないかと思います。主に時代劇の所作とセリフなどの勉強をしました。サムライになって立ち回りや、かつらを着けたりということをやってきました。

【木】本格的ですね。秋葉博さん

頸椎骨化症に!

秋葉それで、入学してから一年後からは、半年間にわたり集大成を披露する「卒業公演」に向けて練習するのです。しかし、その卒業公演の練習をしているときに首が痛くて病院へいったところ、頸椎が変形してしまっていることが判明したのです。頸椎が脊髄を圧迫してしまうという頸椎骨化症(難病のひとつです)という病気です。医者には、動いてはいけないと、きつく言われ、残念でしたが卒業公演を前にアカデミーを辞めることになってしまいました。そして翌年には首にセラミックを入れ、骨部分を入れ替えるというかなり大がかりな手術です。でも、術後の経過も良く舞台に立てるくらいに回復しましたので、明治座アカデミーの事務局にいって、「卒業できなくて残念です」なんて話をしたところ、「復帰したら?」というお誘いがあったので今度は五期生として、卒業公演に入れてもらうことになり、念願の卒業公演に出演することができたのです。うれしかったですね。

【木】役者デビューですね。その後は?

主役にも挑戦

秋葉アカデミー卒業後は仲間同士が集まって、何かをやっていこうということで、手はじめに子どもたちに読み聞かせをする会を作りました。でも、舞台に立ち役者をやりたいという気持ちが強く、本格的に芝居をやるようになったのです。そのうちの一つとして、明治座アカデミーOBとしての発表会があり、「金つぼおやじの恋の駆け引き」というお芝居をやりました。そこでは主役だったんですよ。ちょんまげで、きらびやかな衣装を着ていましたね。一回のお芝居の公演でセリフ量が相当ありますが、この主役だったときにはセリフは全部で五十くらいあり、覚えるのが大変でした。若い人は、自分の役以外のセリフもきちんと頭に入れているのですが、私たちは覚えているつもりでもいざとなると出てこないんです。そのうち「セリフ少なくていいよー」なんて思うときもありました。(笑)

【木】現在でも定期的に公演があるのですか?

秋葉博さん

十二月公演にむけ

秋葉そうですね。十二月の公演は日本橋劇場でやります。「善の快(いいのかい)」という劇団に所属して、時代劇を専門にやっています。今度の役は老中で江戸城を舞台にしたお芝居です。日本舞踊の場面もあったりと、華やかで楽しめる舞台になると思います。日本橋劇場は照明、音響も立派な施設で役者三十人、スタッフ三十人に、お金はかかりますが小道具にもこだわり、かつらや着物も本物を使います。私達は一回きりの公演ですからいつでも真剣勝負です。その日に合わせて、体調管理もしっかり行います。役者としての大事な心構えのひとつですね。芸能界は本当に厳しいです。その世界の隅にいると思うと趣味とはいえ、矜持を持ってきちんと取り組みます、たかがエキストラかもしれませんが、明治座アカデミーに入った時に、「親が死んでも舞台があると休めないぞ」と強く言われました。公演に出ると決まったら「具合悪いから」とか「子どもがちょっと」という事情は一切通用しません。もちろんサラリーマンの世界も厳しいと思いますが、芸能界はまた違った厳しさがありますね。

【木】本当ですね。サラリーマン時代と比べてどうですか?

日常が全部役者

秋葉私は役者道約六年ですが、日常が全部役者になってきました。時代劇の役を演じるということで、普段から歩き方もなりきって歩きます。日常からその役どころになりきることが必要です。気分はすっかり役者ですね。逆にそれができないと、役者にはなれないというようにアカデミーにいたころに先生に言われました。本当は着物を着て電車に乗りたいんです。役者として、常に他人から見られていることでモチベーションが高まり、背筋もピシっと伸びて舞台での立ち振る舞いと同じように日常から成りきれるのです。役者をやっていると、そういう面も楽しいですね。ですから、定年を迎えて「こんな人生もあるのか!」といった感じで人生が変わりました。何もせずにいるより、役者として精進していけることを楽しみながら生活しています。特に役者の世界ではいくつになっても勉強熱心でいる人たちがたくさんいて、生き生きしている人たちに刺激をもらっています。いつも舞台は新しい発見の連続ですから、飽きることがありません。日々稽古に一生懸命取り組むだけです。ぜひ、皆さまに舞台を見ていただきたいですね。

【木】私も見てみたいです。では、お友達をご紹介下さい。

秋葉堀中病院で婦長をされた榎本孝代さんをご紹介します。

【木】
ありがとうございました。十二月の公演にむけて頑張って下さい。
(秋葉さんはお囃子で阿波踊りに参加されたり、民謡もされているようです。すべての芸が役者道につながるのでしょうね。十二月楽しみですね。)




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