1997年6月1日発行


衣替えの季節を迎え、初夏の陽射しを肌に感じる頃となりました。今回の友達の輪には幸手市・市民課長の谷口一恵さんからご紹介いただきました幸手市中3丁目の遠藤医院さん院長遠藤幹夫さんにご登場いただきます。

遠藤医院 院長 遠藤 幹夫さん
本紙取材 高木康夫

【高木】こんにちは。谷口さんより、遠藤先生はしっかりした生き方を持ってらっしゃる方と伺ってまいりましたが。

【遠藤(敬称略)】自分では表立ってやる事が好きではないのですが、5年ほど前に医師会長という役柄を頂き、医師会として行政との関わりが多くなりました。谷口さんとは3年ほど前、幸手保険センターで保健婦をされていた頃に存じ上げました。非常に熱心な仕事ぶりと一生懸命取り組む姿勢が印象的な方で、それ以来のお付き合いです。

【高木】医師会長さんと院長さんの兼務はお忙しいですね。

【遠藤】私は昭和18年生まれで、今年54才になるのですが、病院の方も私の父親が昭和30年に開業して、私の代で15年になります。医師会も若い世代が育ってますので会長職もそろそろバトンタッチをと思っています。

 祖父は慶応の1期生
1万円札と卒業写真

【高木】遠藤先生は二代目ですか。

【遠藤】当家は昔、お米屋だったそうです。代々お米を扱う商家で、昔は「米遠藤(こめえんどう)」と呼ばれていたそうです。私が「米遠藤」で言えば十五代目になりますが、祖父が向学心の高い人で、米屋の道を歩まず廃業したようです。祖父は慶応義塾大学の第一期生で明治28年に撮影された卒業写真が我が家に現存しますが、学長の福沢諭吉さんと一緒に写ってますよ。過日も親戚が集まった際に、この話題が出て、「おじいちゃんは1万円札の人と一緒に時代を生きていたんだね」とみんなで話していたんです。(笑い)

【高木】すごいですね。福沢諭吉さんは、今では歴史上の人になってますが、身近に共に生きた人がいたなんて驚きです。(見せて頂きましたが、新聞を広げた位の大きな集合写真でセピアカラーが時代を感じさせてくれました。)遠藤先生は父親に習い医者の道を選択したのですか?

 絵が好きだった少年時代
夢は医者でなく建築家

【遠藤】私は小さい頃から絵が好きで、成績も高校まで美術だけは(笑い)ずーっと5だったんです。そして、将来の夢は建築家になることで、本当は医者にはなりたくなかったのです。浦高時代の同級生に建築家になった友人がいますが、あいつがなっているんだから自分もなれたなと思ってます。(笑い)でも、母を想うと父の後を歩まなければという義務感があり医者になりました。

【高木】建築家を夢見た遠藤先生らしく、病院は特徴ある外観をされてますね。

【遠藤】ピラミッドのように見えるらしく、何か意味があるのですかとよく質問されますが、自然の光を取り入れるための明かり取りなんです。12年前に建設したのですが、設計士と毎週1、2時間打ち合わせ、1年間かけて設計しました。駐車場も以前は四台しか駐車できなかったのですが、設計士から50台くらい置けるようにしたほうがいいと奨められ、患者さんが来ないと恥ずかしいので10台位のスペースでいいとも思いましたが、今になれば患者さんのためにも広くしておいてよかったと感じています。

 田舎で育った感性が
緑を意識した開放感

【高木】毎週打ち合せし、1年かけた設計ですか?

【遠藤】住宅専門の設計士で、このような建物は初めての設計ということもあり、とても熱心に考えて頂きました。患者さんや私たち病院スタッフがどう動くのかという導線をシュミレーションし、病院という空気を和らげ心が安らぐよう、常に緑が見える環境を考慮しました。幸手という田舎で育った感性が開放的な空間を求めているのでしょうね。話は飛びますが青果市場の付近に北川という川がありますが、私たちが小さい頃はそこで泳げたものです。今ではどぶ川になってしまいましたが。

【高木】そんな川が幸手にあったのですね。伺った後ですと、なおさら窓から入る緑がとても心地よいですね。ところで診察時間は?

【遠藤】平日月曜から金曜までは午前九時から午後1時までと午後4時半から午後七時まで診察しています。第2、第4土曜日と日曜祭日は休診日ですが、それ以外の土曜日は午前中のみ診察しています。

 趣味は夫婦で
ラジコン飛行機から陶芸まで

【高木】お休みには何か趣味を?

【遠藤】色々な趣味をしてきましたが、いつも夫婦で楽しんでいます。日曜になると製作したラジコン飛行機を飛ばしに行ったり、一番良い肥料の牛糞を買い求めてバラ栽培(セントポーリア)もしました。最近ではイタリア料理を夫婦で習っています。でも、陶芸が一番時間をかけたものだと思います。15年ほど前ですが、御茶ノ水文化学院の陶磁科が近くの庄和町に出来、土日だけ一般を受け入れ指導をしてくれました。私もその中で陶芸の基礎を学び、それからというもの時間があれば、作品創りに夢中でした。趣味はだいたい夫婦でやりますが、陶芸は自宅に窯を作り、那須に工房まで作りました。那須の工房の台所には夫婦で作った陶板の作品を張り巡らし楽しんでいます。以前ですがロビンソン百貨店でグループ展を開き、販売もしたのですが、たくさん売れたので驚きました。県展などにも出品し、二度ほど入選しましたが、出品するための手続きなどが不便なので最近はほとんど出品してません。でも、陶芸をしていた縁で多くの人たちと出会い、旅する折りに訪ねる窯では著名な陶芸家が気楽に話しをしてくれ、とても充実した趣味と感じてます。また、海外旅行も趣味のひとつで、夫婦で年四、五回出かけますが、やはり焼物などに目が行きますね。当然、我が家の食器や花器には自分の作品が多くなりますね。

【高木】先ほどおっしゃっていたイタリア料理をご自分の作品に盛り付ける日も、そう遠くはありませんね。それでは、お友達をご紹介ください。

【遠藤】同級生で家族ぐるみのお付き合いをしている小栗隆義さんを紹介します。小栗さんは北2丁目でオグリ家具店を経営しており、幸手市商業協同組合で理事長をされ、ロータリークラブでも活躍しています。ロータリーの交換留学生なども小栗さんを通じて我が家に受け入れたりしています。

【高木】ありがとうございます。これからも、ご夫婦揃って仕事に趣味に活躍頂きたいと思います。

(お二人のお子さんはお医者さんとコンピューター関係のお仕事で、すでに活躍されており、収納された棚から、花器などのたくさんの作品を見せて頂きました。オブジェのような大きな作品もあり、先生の陶芸の歴史が伝わってきました。)