1997年6月29日発行


梅雨は日本の季節を感じる大切な節目。長雨でなければ感性に任せて許せる気持ちもありますが、今回の友達の輪には株式会社小栗・代表取締役小栗隆義さんにご紹介いただきました幸手駅に程近く、感性をファッションに創造する東京クロージング株式会社代表取締役社長鈴木啓介さんと対談して参りました。

東京クロージング株式会社代表取締役社長
鈴木 啓介さん
本紙取材 高木康夫

カルバンクラインや
 ラルフローレンを作ってる

【高木】こんにちは。小栗さんから尊敬する方と伺ってまいりましたが。

【鈴木(敬称略)】小栗さんとは古くから親しくさせて頂いてます。せっかくお越しいただいたので工場内をご案内しますのでご覧下さい。

【高木】コンピューターがたくさんありますね。

【鈴木】当社は洋服の工場ですから、依頼先である高島屋などの百貨店ブランドやカルバン・クライン、ラルフローレン、ファイブフォックス、ジュン、ロペ、コムサデモードなどから注文を受け、生地から製品までにする会社です。ですから、それぞれの設計図ともいうべき型紙がこのコンピューターで管理されています。次にコンピューター管理された裁断機で百枚の生地を型紙通り裁断します。ワインで有名なボルドーの精密機械メーカーが作っている裁断機ですが、ジェット戦闘機のミラージュなどを作ってる人達が、この機械も作っているのですよ。(笑い)昔は、裁断だけでも相当の技術を必要としていましたが、この機械は一億円ほどしますが、一人で管理出来ます。当社ではコスト管理の上でこの機械が五台程稼動しています。

【高木】社員さんはどの位いらっしゃるのですか。

【鈴木】当社はここを含め全国に八ヶ所の工場があり、従業員総数では約千百名になります。ここだけで約四百名が勤務しています。次はミシンを使って縫製をする部門です。裁断された生地が洋服に仕上がっていくようにラインが流れています。当社は昭和三十五年にこの工場を設置したのですが、当時、幸手にでは工場の誘致が積極的に行われました。失礼な話ですが、都心で人を採用するエリアは電車の本数も少なかった関係でしょうが、春日部くらいまでだったのです。ですから、幸手を始めとする春日部以北の人達には職場として大変歓迎されました。

【高木】そうだったのですか。

地域に密着し年間五十万着
 日本で一位、二位の生産量

【鈴木】地域に密着した企業を意識し、なるべく多くの人材を地元から採用しました。以前働いていた人達で、結婚退職し、子育てを終え、技術を活かし、再度パートさんとして働いている人達もいます。次に出来上がった製品をプレスして品質チェックをした製品をブランドやサイズ、そして発注先に仕分けして管理します。シーズンによって生産する製品も違いますが、現在、紳士物は冬物を生産し、レデイス物は夏物の最後に入ってます。日本の洋服の生産量は年間約一千万着ですが、当社はその5%の年間五十万着の製品を作っていますので、日本の洋服工場としては一位か二位の生産量と思います。

【高木】オリジナルブランドも扱っているのですか。

アトランタオリンピック公式ユニフォームも手掛ける

【鈴木】基本的に販売に関しては、百貨店などが専門職と考えおり、当社はスケールメリットを活かして生産専門の工場で歩んできました。それでも、全生産量の一割程度ですが、百貨店などにイージーオーダーとしてオリジナルブランドもあります。また、変わった受注もあり、昨年開催されたアトランタオリンピックの日本選手団公式ユニフォームは当社が一着一着選手やコーチ、監督などのサイズに合わせて縫製しました。メダリストの有森裕子さんや田村亮子さんなど五百四十着のユニフォームを作り、今年はアジア大会日本選手団の公式ユニフォームを作りました。

【高木】それは知りませんでした。最近のデザインは?

グローバルな時代デザインは
 クイックレスポンス

【鈴木】以前のファッション業界は、専門デザイナーが製品をデザインし、どの位売れるだろうという予測をマーケットからはじき出していたのですが、現在は若い世代がマスコミやファッション雑誌などから流行を感じ取り、販売する側としては企画と同時進行で生産するクイックレスポンスが求められてきています。

【高木】なるほど。インポートや価格破壊による激安商品も市場に多くなってますね?

【鈴木】商圏もグローバルになり、ニューヨークの流行を、世界の素材を使い、労働力の安い地域で生産する公式が主流です。また、低価格戦略で販売する青木さんや青山さんなどのアウトレット系では日本の洋服の40%を販売していますし、ヨーカドーさんやダイエーさんなどのスーパーでは日本で企画管理をして、アジア圏で生産された商品が並び、私たちの同業には工場が空洞化し労働力の安いアジアへ生産工場を移転する所もあります。

【高木】海外に工場ですか?

国内工場の空洞化工夫と
 日本経営の良さで克服

【鈴木】とても、厳しい時代ですが、業績が悪くなったからといってアメリカのように簡単にレイオフ出来る国ではありませんし、それが日本の経営のいいところだと思います。千百人の従業員の生活を考えると、厳しさをばねに工夫をして、生産性を高める努力をしなければと思います。例えば、幸手で裁断したパーツ生地を夕方佐川急便で秋田工場に送ると翌日の十時に届きます。秋田工場ではパーツを袖や襟などに縫製し、夕方幸手に返送します。幸手では生地を裁断してから翌々日の十時には袖や襟を縫合し、完成させられますので生産性はとても高くなります。パーツによって縫製技術にもレベルが求められますので、技術の工場別集約と地域によって違う国内労働力の有効活用により、純国産の工場としてこれからもがんばりたいと思っています。

【高木】ありがとうございました。それではお友達をご紹介いただけますか。

【鈴木】昭和三十五年に幸手で工場を創業した時、同様の企業が毎月情報交換をしようと集まり、その日が十三日だったので「十三日会」なる会が発足したのです。その時以来のお付き合いをさせて頂いてる野間アスレチック社長の野間貞男さんを紹介いたします。

【高木】これからも、幸手に根差した地域の企業として、また、世界に向けたファッションの発進基地としてご活躍いただきたいと思います。

(本当にお忙しい中、工場内を社長自ら案内していただき、コンピューターと多くの人達が創り出すハーモニーを拝見させて頂きました。日本を代表する洋服の工場が幸手にあり、鈴木社長が日本の経営の良いところを活かし、地域を大切に純国産でがんばるという姿勢に感銘しました。)