1997年7月27日発行

梅雨も明けて、子供たちも夏休みに入り、夏まっさかりの今日このごろです。さて、今回の友達の輪には野間アスレチッククラブ(株)代表取締役野間貞男さんよりご紹介いただきました権現堂堤にほど近い幸手市北3丁目の滝原材木店(株)代表取締役滝原征一郎さんにご登場いただきます。

滝原材木店(株) 代表取締役
滝原 征一郎さん

本紙取材 高木康夫

【高木】野間さんからゴルフ仲間であり、街づくりに関心を持たれている友人と伺ってきましたが。

【滝原(敬称略)】野間さんは同年代で立教大学野球部で活躍され、私は明治大学の陸上部で、ゴルフもそうですがスポーツを通じての友人です。また、街づくりに関しては幸手市の商工業に危機感を持っているひとりとして、紹介されたものと思います。

箱根駅伝でアンカーを
GCチャンプに3度

【高木】学生時代は陸上を?

【滝原】陸上部で1年の時から3年まで箱根駅伝を走りました。1人最低22kmは走るのですが、1年の部員だけでも96名いたのですが優秀な選手が多く、私を含めて5人の1年生が箱根を走りました。私は復路で10区の大手町読売新聞社前のゴールまでアンカーを努めました。まあ箱根の山より比較的楽な平坦な場所を走ったということですが。(笑い)それでも、名を馳せる神奈川大学に8分近く差をつけ、14位でゴールした思い出があります。昭和32年当時でしたので食べるものも充分でなく、選手はさつまいもを食べてがんばっていましたね。(笑い)

【高木】それは凄いですね。ゴルフも上手とか。

【滝原】ゴルフ歴はもう30年くらいになります。現在59才ですが15年前頃がピークで、3ヶ所のクラブ選手権でチャンピオンになりました。クラブ選手権はホールマッチで行われ、予選を通過してきた32名が毎週日曜日の4日間をかけ対戦するのですが、2週目のベスト8を目指すあたりからは8割が気力で、2割が運でした。私は2割の方の運が強かったのですが、(笑い)何ホールで勝つというイメージを頭に描き自己暗示にかけゲームをしていました。陸上でもそうですが、常にイメージを大切にしていました。

在学中に引き継ぐ
運河物流の中継点

【高木】材木問屋さんは家業ですか?

【滝原】大学3年の時に父親が脳溢血で倒れ、言語障害をわずらったので20才の時でしたが、右も左も解らない状態で後を継ぎました。でも、門前の小僧とはよく言ったもので、中学生の頃、当時7円50銭した森永のキャラメル買いたさに材木の配達をリヤカーでしました。アルバイト代として5円貰いましたが、それでは買えないので2日間したものです。今思えば、金銭に対する父親の家庭教育だったのでしょう。本家は久喜にあり21代目になりますが、幸手で創業して私で四代目になります。この地域は幸手に吸収合併する以前は権現堂川村と呼ばれ江戸川や利根川を利用した物流の中継地になっていました。当時、江戸川、利根川は水量が多く、古い書物には、千石船や五百石船が往来していたと記されてます。一石は米俵二俵半の量ですから、とても大きな船が来ていたようです。また、徳川直轄の河川として多すぎる水量を思い川や鬼怒川、荒川、黒川へと分散させ運河物流を発展させた場所でもあり、水辺公園づくりや土地改修も日本最初の指定地だったようです。ですから、当社も材木をここで下ろし、久喜に運んでいたのですが、陸送は大変でしたのでここにも材木問屋を創業したのです。

手弁当で研究会
商工業の危機

【高木】随分詳しいですね。

【滝原】幸手に愛着があり、発展して欲しいという思いがあり調べたのです。20年前ですが、時の政治家であった三ツ林幸三さんや田口勝美さん、芝宏さん、津野実さんら10名で、手弁当の「経済研究会」というものを作りました。スーパーとは一体どんな商業施設なのか、流通革命が起こりインナーシティ問題が起きるという予想の基、学識経験者などを招いて勉強しました。インナーシテイとは都市の中の街という意味で、幸手で言えば幸手の中の市内商店街という意味です。スーパーなどは、ニーズに合った品揃えや価格設定が行われ、消費者は一度に欲しいものが購入出来るので、すべてが揃わない商店街で購入するより、スーパーなどに行ってしまうことです。これを回避するためには、自分の商売を徹底的に勉強して商店街のなんたるかを意識した商業が必要なのです。しかし、この20年間、残念ながら一部の地域で実践されているだけで、このままでは幸手の商業はゴーストタウン化してしまうのではないかと思うのです。悪い例ですが商店で跡継ぎが居ないから改装をしない、しないから客足が遠のく、遠のくから商売を辞めたくなる、土地を活かすのに駐車場にする、駐車場にぺんぺん草が生え、商業地の価値がなくなり、住宅地になる、そしてだんだん商店街が歯抜けになり商業がゴーストタウン化していくのです。

若い世代よ
「もっとがんばれ」
良い友人と情報の選択

【高木】ではどうしたら?

【滝原】怒られるかもしれませんが、住んでいる人が結束して危機意識を持ち、作る・売る・買うの立場で消費行動を考えなければならない気がします。極論ですが、商店街が駄目になると、地域の文化はすべて滅びます。文化は生活ですね。お祭りや、御輿、石投げ踊りのような郷土文化など、とても市の税金だけでは継承出来ません。みんな商店などの商工業者が地域への還元として昔から支援しているのです。地域文化がなくなれば、郷土愛もなくなるでしょう。そうなると、この地域の生きる道はベッドタウンとして形成していく事になるのでしょうね。でも、「知ろうとする意識」は若い世代から少しづつ生まれているようです。もっと早く、そして徹底的に世代交代して勉強して欲しいと思います。情報があふれている世の中ですが、若い人達には必要な情報を取捨選択出来る能力と良い友人を持つことが大切です。尊敬する友人のひとりに昭和天皇の治療にあたられた原中医師や作曲家の船村徹さんなどがおりますが、それぞれ生きた情報を持って高い目線で活躍されています。どちらも自分を磨くということに対してとても前向きです。孫子の言葉で「汝を知って、己を知らず」に自分自身もならないようにしたいですね。

【高木】なるほど。それではお友達をご紹介ください。

【滝原】幸手市緑台で商店街活動にとても力を入れている酒屋の小島屋東店社長小島和夫さんを紹介します。

【高木】ありがとうございました。これからも街づくりのご意見番として高い視点からご示唆頂きたいと思います。

(ロータリークラブに所属しており、野球部で監督をされているそうです。先月甲子園行われた全国ロータリークラブ野球大会では創部5年でベスト16とのこと。今では何としても優勝して日本一になり、夢を現実化させたいとすべてに情熱的な方でした。)