1997年12月14日



 ジングルベルの音が街に活気を与え、子供たちも楽しみなクリスマスももうすぐです。今回の、友達の輪にご登場いただく方は、アーテイストの高橋千代子さんよりご紹介いただきました幸手市平須賀にお住まいの杉田郷子さんです。杉田さんは短歌の会を主宰されており、本年、文化ともしび賞を受賞されました。

幸手市文化団体連合会
副会長 杉田 郷子さん
本紙取材 高木 康夫

【高木】高橋さんから文化団体連合会(文連)で大変お世話になっている大先輩ということでご紹介いただきました。杉田さんは短歌をされていると伺っていますが?

夫婦同時に定年退職
   さあ、人生を楽しもう!

【杉田(敬称略)】短歌を始めたのは60才の時、教員生活を退職してからです。縁ありまして、八代小で20年、幸手小で11年、行幸小で5年、のべ36年間教員を務めさせていただきました。東大病院で放射線技師長を勤めてました主人も同年65才を迎え、夫婦同時に定年退職し、私は幼稚園の園長のお話をいただき、主人は自適な生活をという予定だったのですが、主人にポリープが見つかり大手術を行うことになったのです。無事、東大病院にて手術を終えましたが、看病についていた関係で幼稚園の方へは行けなくなりました。そこで、せっかく生まれてきたのだから、これからの人生も楽しもうということで、主人と共に海外旅行に出かけることが多くなったのです。今思えば足腰が丈夫な内に夫婦で海外旅行をしておいて良かったと思っています。

【高木】短歌へのきっかけは?

北海道まで通信教育
   十年たったら誰でも歌集

【杉田】母校が久喜女なんですが、当時の国語の先生が北見恂吉先生というペンネームの歌人だったのです。私が定年退職した当時も、故郷の北海道余市町で短歌指導をされており、「海鳴の会」という短歌の会を主宰されていたのです。私も先生にお願いして、通信教育で短歌を本格的に始めたのです。10年間通信教育でお世話になりましたころ、先生が「10年たったら、誰でも歌集を出すんだよ」と言われたのです。私も先生の言われるままに、歌集を出すことにしたのですが、出し方が解らないものですから、歌った年代順に綴っていきました。ですから、1番最初に作った短歌が昭和56年の車輪梅というものなのですが、主人がポリープの手術から退院を迎える日に東大病院の三四郎池の周りを夫婦で歩いたときのものなんです。 「退院の夫の記念に拾い来し車輪梅の芽今朝見出でたり」 歌集の巻頭に載せるにはあまりにも個人的過ぎるかも知れないのですが、初めての作品への思いが強かったのでしょうね。(笑い)

【高木】歌集「草紅葉」ですか。平成元年までの三八六首を掲載したものですね。短歌の会も会長をされてますよね。

短歌を通じて
   子供みたいな競争心

【杉田】燎原(りょうげん)短歌会と公民館の講座がきっかけで出来た若竹短歌会という会で月2回公民館に集まっています。燎原歌会では、それぞれが一首づつ持ちよって歌評をし合うのですが、時間に集まって時間にきちっと終わるという体質が、皆さんに受けているようで毎回楽しみにされているようです。また、年に一度歌誌を発行していますので、それぞれに張り合いがあるようです。NHK主催による友の会という短歌の勉強の会があるのですが、作品を提出すると、入選したりしなかったりと、結果に各人子供みたいに一喜一憂しています。(笑い)良い意味で、意識し合っているのでしょうね。歌集もそうなんですが、会の先輩が出版していくと後の人達も出していくのです。自費出版ですからすごい事なんですが、目標を持つということが張り合いになっています。

ほどほどに頭と体を使い
     習う前にはまず予習

【高木】文化ともしび賞を受賞されたとか?

【杉田】とても光栄なことで、平成7年2月に燎原短歌会が会として受賞し、本年2月21日に個人として賞を頂きました。振り返ると60才から短歌を本格的にはじめ、70才のときに第一歌集を出し、77才で文化ともしび賞を頂きました。健康であるがゆえの事と、親が達者に生んでくれて良かったと感謝しています。実は、短歌をやっていますとかながき書道にも関心が高くなり学ぶようになり、また、歴史にも興味を持ち、「史談会」という歴史を訪ね歩く会にも所属してます。健康の為にも歩くことは良いことと思いますので、積極的に参加しています。そして、幸手の歴史を紐解いているうちに一色直朝(いっしきなおとも)氏という和歌をこよなく愛した城主に出会ったりして、今度は市史編纂室で幸手の古文書を解読したりしているのです。余談ですが、NHKの通信講座も受講していますよ。昔から復習をしないで、習う前にはまず予習という人間でしたから、常に前向きでないと落ち着かないのかも知れませんね。(笑い)

野菜つくりも
   短歌の素材

【高木】文連の副会長などの他、ずいぶん忙しそうですね。

【杉田】昔の話ですが、先生を目指して女子美を出た娘が「お母さんの仕事を見ていると忙しいそうだから、先生は辞めるよ」と言われたことがあります。(笑い)今思えば昔から忙しい傾向はあったのでしょうね。でも、忙しい中にも趣味のひとつとして主人と旅行はしています。主人は写真が趣味ですから、旅先の風景等を撮ることが目的で、私はその季節の景色や草花から短歌を創作するのです。最近では娘が計画を立ててくれ、車を運転して連れていってくれます。楽しみを目の前に置いて、生活に張りを持たせてくれているようです。また、近くで畑を借りて、季節の野菜を栽培しています。1年間食べる野菜はほとんど自家製です。ですから、やることや行くところがたくさんあって死んでる暇がありませんね。(笑い)朝起きると、今日は何々をやらねばといった先のほうを向いているんです。短歌では、80才を目指して第二歌集を出版出来たらと思っています。

【高木】本当にお元気ですね。それでは、お友達をご紹介下さい。

【杉田】短歌を通じて知り合ったのですが、幸手市中3丁目で栗田メリヤスという会社を経営されている女性社長の古河冨美江さんを紹介致します。古河さんは短歌と習字をされており経営者としても素晴らしい女性です。

【高木】どうも、ありがとうございました。これからも、短歌を核として、各方面でのご活躍心よりご期待申し上げます。

(ご主人の杉田正雄さんは勲章を受賞され、ご子息は国際派で世界を飛びまわっており、明るく元気な源は杉田家の伝統とも見受けられました。)

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