1998年1月11日



 新年明けましておめでとうございます。今年も読者の皆様と共に友達の輪を広げていきたいと思います。どうぞ、よろしくお願い致します。さて、今年のトップバッターは昨年、栗田靴下工業(株)代表取締役であります古賀冨美江さんよりご紹介いただきました、元幸手高校校長の高木秀雄さんにお話を伺って参りました。

元幸手高校校長
高木 秀雄さん
本紙取材 高木 康夫

【高木(本紙】友達の輪始まって以来、初めての同姓対談になりました。よろしくお願い致します。高木さんは古賀さんの弟さんと大変親しかったと伺っていますが、どんなご関係で?

【高木秀雄(敬称略)】私の人生は古賀さんの弟である栗田邦夫君から啓発されたものが多いと思います。その栗田君と出会いましたのは、旧制粕壁中学の時で、戦後、旧制中学から現在の高等学校へと学制改革が行われ、私は6年間通うことになるのですが、優秀な彼は名門と言われた日比谷高校へ進み、東大に進学するのです。彼の父親の会社が都内にもあり、そこから日比谷高校へ通うことになったようです。粕壁中学時代は戦時中で、軍事教練で「勇往邁進」の精神を教えられたものでした。何があっても前に進むというもので、彼と親しくなるきっかけも、この勇往邁進でした。

【高木(本紙)】それは?

多感無垢な少年期
   笑顔で勇往邁進だね!

【高木】ある日、2人で帰る道すがら、軍事教練の真似をして、勇往邁進の精神で両手を大きく振り、足を高々と上げながら真っ直ぐに歩いたのです。茶目っ気を出し、水溜まりも真っ直ぐに歩きました。そうしたら、彼の洋服に水が跳ねて汚してしまいました。私は「しまった」と同時に怒られるかなと思いました。ところが、彼は「勇往邁進だね」と言って微笑んでくれました。その瞬間、2人で大きな声で笑った覚えがあり、それ以来親しさが深まっていきました。また、昭和20年6月のこと、空襲警報の最中で電車はストップ。線路づたいに幸手に帰るときに宮代駅付近で、岩槻方面から米軍機が飛来、とっさに身を隠したのですが、彼は首を出して空を見上げ、米軍機の高度と方向を確認した後、「ここは大丈夫、杉戸の方向を狙っている」と冷静に分析していました。後で、杉戸農業高校付近で犠牲者が出たことを知り、彼の冷静な判断力には驚いたものです。振り返ると少年期というものは多感無垢なもので、深い友情を育む時期でもあるのですね。自らが体験したこの時期の過ごし方は、後々教師としての自分に大いに役立ちました。

【高木(本紙)】栗田さんとはずーっと親しい仲だったのですね。

洋書を原書で読む!
      知恵ある友

【高木】彼と親しかったおかげで色々なことを学びました。本を読むことで自分の世界が広くなったり、手紙を通じて文章の勉強をしたり、洋書を読むために辞書をひくことの重要性を学んだり、活き活きとした青春だったように思えます。彼から「日比谷高校の生徒はとても読書欲旺盛な人が多く、外国文学は原書で読んでいるし、時の政治家や教師を『○○の作品に登場する○○のようだ』と評して話題にしている」と聞かされ、また、高校1年のときには「これなら辞書をひきながら読めるよ」と、ある洋書を贈られた時にはカルチャーショックでしたが、今思えば、彼の啓発で国文学指向になった気がします。私の父も教員でしたが、私は絵が好きでしたから美術の教師になろうと思いましたが、両親の反対もあり、国語教師への道を歩むことになりました。多分に彼の影響と思っています。徒然草の第147段の中によき友のことが書いてあります。「良き友3つあり、1つは物くるる友、2つには医師、3つには知恵ある友。」まさに、私にとって彼は3つ目の知恵ある友でした。

【高木(本紙)】その後、高校の先生になられたのですね。

多様な生徒
   百人百様の「公平」

【高木】早稲田の国文科を卒業し、行田高校を皮切りに久喜女、浦和一女、岩槻北稜、栗橋高、浦高と勤め、最後に地元の幸手高校で学校長としてお世話になりました。初めての行田高校は夢中でしたが、時の校長から教育は「公平」だよと教えられたことがとても印象に残っています。栗田君の話になりますが、彼は勉学において大変優秀であり、またスポーツにも長けており、野球部では名キャッチャーでした。マルチな彼をみて人間には多様なチャンネルがあるもんだと思ったものです。実際、教師としても同様な生徒に出会いましたが、多様なチャンネルを持っているほど学習には短時間に集中しているのです。教育は長さではなく質が大切ということなんです。また、「公平」とは皆同じに対することでなく、百人百様の対応があるものだと気付いていったのです。

【高木(本紙)】人に教えるというのは大変でしょうね。

人間尊重社会に必要な
   コミュニケーション志向

【高木】教職経験で特に重要に感じられたのは「コミュニケーション志向」でした。これも、栗田君の人柄から学んだものですが、彼は人をコントロールしようとしないのです。大なり小なり人間は人をコントロールしたくなるものですが。現在、人権擁護委員を務めておりますが、相談の多くは人間関係のトラブルに起因するものです。十分なコミュニケーション志向があればトラブルは少なくなると思われます。特に学校はコミュニケーションが大切です。学校も組織であり、管理職になればともすれば、管理型に偏しやすいものです教育とはどういうものなのか、何を誰にどう教えていくのか、という考え方がきちんとしていないと、教師も学校もその役割が十分果たせなくなってしまいます。また、学校はマネジメントよりもリードが最重要だと思います。

【高木(本紙)】ご趣味などは?

【高木】昔から絵を描くことが好きでしたので、現在も続けています。また、ガーデニングではありませんが、庭作りを楽しんでいます。小学校3年の孫娘の学習相手を時々しますが、厳しく出来ない自分を見ると、孫を教えるのが1番難しいなと思います。(笑い)

【高木(本紙)】なるほど。それではお友達をご紹介下さい。

【高木】高校の同級生で、浦和職安を退職され、保護司として、選挙管理委員として活躍されている南にお住まいの尾崎憲司さんを紹介します。

【高木(本紙)】ありがとうございました。これからも地域においてのご活躍お祈りいたします。

(高木秀雄さんのお話は、今は亡き栗田邦夫さんとの思い出を縦糸にお話頂きました。勇往邁進に2人で歩いた少年の姿が微笑ましく思えます。「栗田君は今でも心の中に生きている」という高木さんの言葉が印象的でした。素晴らしき友情を感じさせていただきました。)

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