1998年4月5日



 桜の花と共にもうすぐ新学期も始まり、次代を担う若者からわんぱくざかりのちびっこまで夢あふれる季節がやって参りました。本日の友達の輪には読書会を開かれている宇賀神時子さんよりご紹介いただきました幸手ひがし幼稚園理事長の印田博秀さんにご登場願います。

学校法人 東萌学園
幸手ひがし幼稚園
理事長 印田 博秀さん
本紙取材 高木 康夫

【高木】こんにちは。宇賀神さんからあすなろ文庫以来のお付き合いと伺って参りました。

【印田(敬称略)】宇賀神さんは私が20才の頃、本を通じて知り合った方で、ご夫婦共若い人たちと波長が合い、「おじさん、おばさん」と親しみながら、食事をごちそうになったり、本の話はもちろん、結婚観や人生の事など幅広い話を朝まで語り合ったなんてこともあったんですよ。その後私たちも青年読書会という読書会を発足させました。

【高木】なるほど。青年読書会での思い出は。

合同読書会と
     文学散歩

【印田】毎月同じ本を一冊読んで感想を持ちよって、いろんな話をしているうち、図書館の他の読書会の人たちと、交流しようということになり合同読書会をすることになったのです。青年読書会は、現在はありませんが合同読書会は最近まで続いていたようです。第1回目は、確か、森鴎外の「高瀬舟」だったと思います。その後、本を読むにつれ小説の舞台になった地を訪ねてみようということになり、こんどは「文学散歩」が発足したのです。ずいぶんいろいろな所を訪ね歩きました。千葉県市川市の伊東左千夫の「野菊の墓」の舞台になった地や、田山花袋の「田舎教師」の羽生市など、読書会のおかげで充実した青年時代でした。

【高木】多感な青春時代を文学青年として過ごされたのですね。

ベストセラー作家を
       幸手に招く

【印田】それほど大げさなものではありませんよ。とにかく本というより人と人のコミュニケーションが楽しかったということですね。ですから、こんどはさらに、読んだ本の作者と話がしたいという気持ちが、強くなったわけです。当時の読売新聞文化事業部のYBC(読売ブッククラブ)にご協力をいただいて、宮尾登美子さんや畑山博さん、三浦哲郎さん、田中澄江さん等の豪華な著者を幸手にお迎えしました。今思えば、当時のベストセラー作家の前で、40〜50名が作家自身に直接感想を述べてしまうというパフォーマンスはとてもすごいことをしたものです。

【高木】すごいですね。現在のお仕事にも活きていますね。

幼稚園という職業を
          選択

【印田】昭和44年にこの園がスタートし、当時大学生だった私は、最初から関って、卒業後幼稚園という職業を選択したわけです。父が理事長で、姉が園長でした。開園当初の場所から見えたものといえば、幸手病院と現在の市役所ぐらいで、国道四号線まで見通しが良かったことを思い出します。あれから27年目に、道路の拡幅に伴い現在の場所に移転し、おかげさまで、当園は今年30年目を迎えることになりました。

【高木】当時園児は何名ぐらいだったのですか?

【印田】60名くらいでしたね。当時はまだ男の先生は珍しく、これでも昔は「お兄さん先生」と呼ばれていましてね。園のイベントやお祭りごとなど、子どもたちと楽しくふれ合った思い出がたくさんあります。幼稚園児の感性はとっても豊かですので、それをどう伸ばしていこうかと、幼児教育を実践しながら、自分自身も成長することが出来ました。

【高木】現在の園舎は白を基本とした木の温もりが伝わる建物ですね。

旧交を温めたぶらり旅が
         新しい園舎へ

【印田】そうですね。 先ずは安全面と衛生面を第一に考えました。設計の上で一番基本になったのは、旧園舎です。ですから同じように平屋で建て替えられたのが良かったと思います。そして、自然ということを十分配慮して、子どもたちが、太陽や風と遊べる園にしたいと思いました。園舎の色調を白にした理由は、格好良く言えば青は空の青に、緑は木々の緑に、そして赤や黄色は、四季の花々の色に絶対かなわないと思うからです。そして、それらの自然を園内に取り込んで、その自然が一番映えるように、園舎を白にしました。実は、設計施工に関してはエピソードがあるのです。私は1988年に(社)幸手青年会議所の理事長を務めさせていただきましたが、同時期の理事長に本庄市の八木君という友人がいて、彼は建築設計の仕事をしていました。ある時、春日部の新しく建て替えをした幼稚園に見学に行った際、偶然にも、それが八木君の会社で建てたことを知り、久しぶりに会った友人の活躍ぶりに驚いたのです。そこで、久々に旅行でもしてゆっくり話をしようということになり、昔のことやら、園舎の構想やらを話し合い旧交を温めそして、彼に新しい園舎を託したのです。

【高木】青年会議所ですか?

「明日のために今日」
     という言葉が好き

【印田】青年会議所は40才で卒業なのでそれまでは、40才を意識して人間的な幅を広げようと思いました。そして40才を過ぎたら深さを求めようと思ったのです。いつの間にか、今では50才を意識する年になってしまいました。「明日のために今日」という言葉が好きなので現実に一歩ずつ進み、そして、目の前の自分の仕事を一生懸命することが、社会的使命と思っています。さらに、年令を増すごとに自然体になっていきたいですね。

【高木】自然体ですか。いい言葉ですね。ではお友達をご紹介下さい。

【印田】幸手市図書館協議会で一緒に委員をさせていただいている朝倉セツさんを紹介します。朝倉さんは「のらぎ文庫」もされていて、当園の貸出文庫「絵本の家」の方でもお世話になっています。また、民生委員もされていて、多方面でご活躍されています。

【高木】ありがとうございました。これからも、自然体で地域社会にご活躍下さい。

(印田さんは大学生を長男とする五人家族、お子さんと接する時も親と子という意識でなくふれあっているとか、そして、おしゃべり大好き家族と言われるほどコミュニケーションが絶えないご一家だそうで、これが印田流自然体と感じました。コミュニケーションばんざい!)

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