1998年6月21日



 ワールドカップで日本中が盛り上がり、一瞬のチャンスに多くの視線が注がれて、ゴール両サイドにはスポーツカメラマンたちの熱い戦いも繰り広げられています。まさに、ワールドワイドな一瞬を感じさせるフランス大会ですが、今回の友達の輪には写真を通じた友人同志ということで、カメラの秀栄オーナーの石川光行さんからご紹介いただいた五霞町にお住まいの鈴木理一さんに登場いただきます。鈴木さんは前五霞町長さんだそうです。

五霞町前町長
五霞町社会福祉協議会
会長 鈴木 理一さん
本紙取材 高木 康夫

【高木】石川さんから写真仲間のお一人と伺ってまいりましたが。

【鈴木(敬称略)】石川さんとは写真を通じて知り合い、現在でも一緒に北海道などに撮影に出掛ける間柄です。今年も北海道のクッチャロ湖に行ってまいりました。白銀の中に二万羽の白鳥が飛来しており、撮影もしましたがとても感動しました。

【高木】いつごろから写真は始められたのですか?

車中に泊って
  シャッターチャンス

【鈴木】写真歴は古いのですが、本格的に始めたのは平成五年ですね。本年一月十二日まで五霞町長を努めさせて頂きましたので、現職中は公務の合間をぬって撮影に出掛けました。夜、飛来地に車で出掛け車中に泊って翌朝から撮影をしたり、野鳥を追いかけて出掛けて行きました。

【高木】どういう所に出掛けるのですか?

【鈴木】白鳥がメインですが、北海道は枝幸、浜頓別のクッチャロ湖、宮城県では伊豆沼に若柳町、福島県は猪苗代湖、表郷村の大池、そして、新潟県の標湖や長野県梓川と関東以北が多いのですが、この近くにも茨城県岩井市の菅生沼や埼玉県川本町の荒川など白鳥の飛来する地域があります。また、白鳥の他にも野鳥全般を撮影しますが、環境の変化で鳥たちも住みにくくなってきています。

【高木】開発の影響ですか?

鳥たちの環境
   どんどん悪化

【鈴木】影響していますね。一昨年まで岩井市にシラサギのコロニーとして千羽位繁殖していた場所があったのですが、宅地開発が進んで一羽も居なくなりました。でも、昨年は何とか一km先にコロニーを形成し始めたのですが、残念ながら今年は一羽も来ていません。シラサギは梅雨どきが繁殖期ですが、どんどん住む場所に追われています。この近辺では、栃木県小山に一ヵ所だけのコロニーとなってしまいました。また、白鳥もブラックバス釣りが盛んになって、釣り糸の放置による被害が数多く見られるようになりました。白鳥のクチバシから釣り糸がたれている姿はとても痛々しくて見ていられません。

【高木】ファインダー越しに感じるものがあるのでしょうね。

【鈴木】そうですね。根本的には自然が好きなんですね、オオルリやカワセミ、ミミズクなどを撮影に時には渓谷にも入って行きます。出会えないこともありますが、もっといいものをという満足感を求めて、自分の時間を大切にしています。

稀少種の撮影と
   仲間からの情報

【高木】ミミズクやオオルリを捜すのは大変でしょうね。

【鈴木】茨城県にもまだミミズクは棲息していますよ。それと、日本全国に写真仲間がいますから、電話で現地の情報をもらうのです。「ミミズクが孵ったよ」なんて情報があれば、すぐに飛んでいって撮影するのです。ミミズクのひなはとても可愛いですよ。また、オオルリなどは自分のなわばり意識が強いので、木の一番高いところにとまっています。ですから写真撮影はとても難しいのですが、テープにオオルリの声を録音しておき、さえずりを流すのです。すると、威嚇するためにテープの音がするところまで寄ってくるのです。その瞬間を撮影するのです。

【高木】そうですか。写真集を出版されたとか。

4万kmの撮影行脚
    写真集として出版

【鈴木】昨年九月に「ハクチョウ」という写真集を自費出版しました。平成五年から七年にかけて車中に寝泊まりし、約四万kmの距離を撮影行脚したもので、白鳥だけの写真一八四九点の中から一〇六点に絞り込んだものです。偶然にも知人を介して世界的に名高い写真家の津田洋甫先生を紹介されました。津田先生はメトロポリタン美術館に日本人として初めて作品が収蔵され、世界の六人の写真家の一人として世界に紹介されている方です。その津田先生から写真集の推薦をいただき、編集、レイアウトには日本写真学会、芸術学会の会員でもある日大助教授の濱中照夫先生が担当して下さいました。両先生のご協力もあり、私にとっては満足のいく写真集が刊行できました。早速、撮影地のひとつであります浜頓別町の図書館などに寄贈させていただきましたが、大変喜んでいただき私もうれしく思っております。

【高木】現職のお忙しい中、発刊されたのですね。

パソコンを駆使し
    書道では同人

【鈴木】そうですね。でも、振り返ると現職の町長であったほうが、忙しくてもやれたように感じますね。今ではかえってゆとりがあって「今日やらなくても明日やれる」という気持ちが常に働いていますから。これからの長寿社会を迎えて、職を退いてどう余生を生きるかというテーマを改めて感じますね。昨年のことですが、自宅に写真の編集や管理用にパソコンを購入したのです。六十四才でしたから、回りからは「粗大ゴミになるのでは」と笑われましたが、私の性格はこれをやるんだと決めたら徹底的にやってしまうというところがあるのです。趣味が多くなってしまったのも性格的なものでしょうね。昭和五十六年当時、村議会の議長を務めておりとても忙しかったのですが、精神的に静を求めて写経を始めたのです。昔から書が好きだったことと、晩酌をしませんのでその時間と早朝を書道に充てました。それがきっかけで現在でも号雲山として茨城書道一元会同人、書道一元会準同人として書道に係わらせて頂いています。もちろん、パソコンの方も今では手慣れたものになりました。(笑い)

【高木】素晴らしいですね。では、お友達をご紹介下さい。

【鈴木】私の古くからの友人で、趣味も通じるものがあり、特にらんについては国内でも名高い福島四郎さんを紹介します。

【高木】ありがとうございました。これからも、野鳥を通じて自然環境保護にもご活躍頂きたいと思います。

(「ハクチョウ」という写真集を見せて頂き、飛翔、着水、戯れ、争い、離水、群翔という視点を変えた躍動感あふれる姿が印象的でした。四万kmの撮影範囲と厳冬の写真を見ると、鈴木さんの白鳥に対する思いの一辺を感じることができました。)

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