1998年7月12日



五霞町商工会会長
ファミリーショップ福島
オーナー福島 四郎さん
本紙取材 高木 康夫

【高木】鈴木さんより古くからの友人で、特に東洋らんでは国内でも名高い方と伺ってまいりましたが。

【福島(敬称略)】私は62才ですが、鈴木さんとは人生の半分の31年間、友人としてお付き合いをさせて頂いています。そして、鈴木さんは書をされていますが、私は書を見る方が好きで、書くと見るでは正反対ですが、書を通じては合い通じるものがあります。実は書に関心を持ったのも東洋らんがきっかけなんですよ。

【高木】東洋らんとの出会いは?

ふと、開いた雑誌が
    春らんとの出会い

【福島】私は花が好きで、バラ、キク、などいろいろと育てました。ある日、五霞村役場の産業課を訪ねたとき、ふと、職員の机の上に置かれた雑誌に目がいき、なにげなく開いたのです。すると、その中に埼玉県飯能市日進堂病院増嶋院長先生が「春らん20年」というコラムを書かれておりました。文中には患者を診察して疲れていても、春らんを見ると疲れが飛んでしまうといった内容が書かれており、春らんを育てたことのない私は、その魅力をこの先生のコラムから感じとったのです。早速、先生に感じたままを手紙にしたため投函すると、へんたいがなで書かれたとても達筆な返事を頂いたのです。また、春らんは成長するまでに5〜7年くらいかかり、高価な品でもあり、いい加減なものを掴まされることもあるので、らんを買うなら人を買いなさいと教えて頂きました。そして、信頼できる「らん商」が居ないのならば紹介しますよと付け加えて頂いたのです。初めての私に、とても親切に指導してくれる先生に感激して、早速「らん商」を紹介頂き春らんを育てるようになったのです。

【高木】初めての春らんはどうでしたか?

万年青を育てて
   東洋らんに移行

【福島】実はその頃、夢は日本一のオモト(万年青)を作ることと、オモトに入れ込んで栽培しており、自分で言うのも変ですが成績もなかなかのものだったのです。34年も前のことで、全国大会こそありませんでしたが、オモトの展覧会が地域別に開催され、その中で、私のともう一つの株が決勝に残って、審査員が悩んでいる様子なのです。審査の結果、残念ながら私のは1位になれませんでしたが、その理由を聞くと、オモトだけでは日本一だが、オモト造りは鉢とのバランスも大切な要素で、トータルするともう一つの方が優っているとのことでした。ショックを受けましたが、形はどうあれ審査員から日本一のオモトと賞賛されましたので満足感があり、これを機会にオモトから春らんに移ったのです。

【高木】なるほど、東洋らんと洋らんはどう違うのですか?

東洋らんから
   日本のわび・さび

【福島】産地の緯度で分類されており、洋らんは暖かい地域で主に花を観葉するものです。東洋らんは花も小さく地味なもので、どちらかというと日本的な「わび、さび」を持った植物だと思います。それと、東洋らんを栽培している人たちでよく集まっては東洋らん談義に花が咲くのですが、同好の集いでも肩書きなどは必要なく、フィフテイ・フィフテイのお付き合いができるのです。議長職をやっていた時期もあり、精神面のストレスも多く、東洋らんでは気遣いもなくストレス発散と共に楽しめる、そういう意味でも自然に入り込んで行ったような感じです。

【高木】なるほど、相性が良いのでしょうね。

ゴミの中から
   歴史ある骨董品

【福島】オモトや東洋らんもそうですが、日本的なものや精神的に落ち着くものには興味があります。また、東洋らんやオモトも鉢自体が大切な表現力を持っており、絵付けされた焼き物などに書かれた文字などを解釈するために、書に興味を持ったのです。特に日常生活での食器や陶器などの骨董には「通称・みじんこ」と言って後の「通称・たこ唐草」の前身にあたるデザインがほどこされているものもあり、今でもコレクションしているものには30年ほど前、ゴミ捨て場から拾った湯飲みや小皿などがあります。現在、こんなことはないと思いますが、当時は結構な品が捨てられていましたね。不思議なもので、捨てられなくなると骨董ブームになったりするものです。それと、書画や彫刻、絵画も好きで、大変気に入っている品ですが宮本理三郎作の「あまのうずめのみこと」という彫刻があります。これは、茨城県立美術館がオープンの時、美術館から借りに来られた品でもあり、非常に綺麗な作品です。ビユッフェの版画もありますが、ビュッフェがあまり知られていない時期に、印象的なタッチに曳かれて購入したものです。その他、こだわりを持って集めたものがあります。

【高木】(作品を見せてもらう)本当に綺麗な彫刻ですね。骨董品以外の趣味は?

チノパンとラルフのシャツ
     いい年寄りになろう!

【福島】ジャズやスイングを聞くことが大好きで、トランペットからサックス、そしてピアノへと聞き込んできました。現在でもスイングのハリー・ジェイムスやデキシーのアームストロング、モダンジャズのチェットベーカー、サックスのイリノイ・ジャケットなどが気に入っています。ジャズなどの洋楽からはその地域の文化を感じることが出来ますが、同様に演歌からは日本文化を伝えなければと感じますね。

【高木】なるほど。東洋らんと書画骨董とジャズですか。

【福島】よく外出する時は、ラルフローレンのシャツとチノパンで出掛けるのですが、自分のアイデンテテイを大切にしながら、精神的にも常に若さを保ちたいと心がけております。自分自身は地域に世話になって地域で育った訳であり、地域に還元しなければという思いがあります。つまり、「いい年寄りになろう」ということが、私の夢のひとつなのです。

【高木】いい響きですね。ではお友達をご紹介下さい。

【福島】私の古くからの友人で、地域では五霞診療所所長の柴田佳三さんを紹介いたします。柴田先生は五霞町で古くから医療に尽力され、私も現在でも患者としてお世話になっております。

【高木】ありがとうございました。これからもそれぞれの立場でのご活躍を期待いたします。本日は、誠にありがとうございました。

(福島さんのご自宅には所狭しと書画骨董が保存されていました。議員職31年の歴史と茨城県議長会では副会長も歴任されたらしく、商工会会長をはじめとする幅広い方面でご活躍の方でした。今後の活躍に期待いたします。)

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