1998年9月13日



 稲刈りも終わり、秋の香りが漂う季節になりました。本日の友達の輪には有現会社伏見屋の土屋ひで子さんよりご紹介いただきました東さくら通り入口で佐伯シート(株)を経営される佐伯克己さんにお話を伺いました。

佐伯シート(株)
代表取締役 佐伯 克己さん
本紙取材 高木 康夫

【高木】こんにちは。伏見屋さんの奥様から家族ぐるみの友人と伺ってまいりましたが。

【佐伯】(敬称略)そうですね。突然、指名をされてびっくりしています。土屋さんとはいろいろとお付き合いが永く、とても親しくさせていただいていますが、「友達の輪」に出るとは思いもしませんでした。

【高木】昔からシート屋さんだったのですか。

幸手に鉄道が!
乾物屋から合羽屋へ

【佐伯】昔は家業が乾物屋だったらしく、父は雨具(レインコート)の修行に行き昭和四年に幸手にもどり開業しました。そして、幸手に東武鉄道が開通し、鉄道を利用する人たちが急に増えたのです。今のように自動車が普及している訳ではありませんから、通勤通学には自転車がほとんどだったようです。もちろん、雨の日もありますから雨具は必需品で、当時は合羽に人気があったようです。父はこの合羽需要に目をつけ、乾物屋から合羽屋さんになったのです。私が小さいころは、近所では「合羽屋、合羽屋」と呼ばれていましたから合羽専門店だったのでしょう。

【高木】なるほど。合羽を作っていたのですか?

【佐伯】生地を裁断し、縫製して合羽を作っていました。昔のことですから今のような既製品がなかったのでしょうね。また、公的機関からの需要もありましたので仕事も忙しかったようです。私も小学校の頃は父の仕事を手伝ったりしました。当時の小学校はのんびりしていて「商売の手伝いに行くから」といって早退も平気でした。(笑い)

【高木】本格的にお仕事を継がれたのは。

十六才で兄と共に
   合羽屋からシート業へ

【佐伯】九つ離れた兄がいるのですが、兄が二十才の時にテントやシートの生地問屋で修行をし、私は十六才から兄と共にシート業の道に入りました。兄が修行していたテントやシートは後でトラックの幌の製作や商店などの巻き上げシートなどの仕事に生かされ、シート業としての基盤が確立出来たように思います。ですから、私は十六才からこの仕事一筋です。

【高木】テントやシートも最近はカラフルですね。

【佐伯】大阪で開催された万博でテント・シート業界は変貌しました。万博のパビリオンには奇抜なデザインのテントやシートで作られたものが多く見られました。つまり建設物の新しい素材としてテントやシートが用いられたのです。今までは機能優先のものが、機能と共に存在感を持ったようなものです。

【高木】言われてみると立体的ですよね。

テントはアート
  好きなデザインを自分で設計

【佐伯】合羽も立体的でしたが、テントやシートも型紙から生地を裁断し、骨組みになる鉄骨に被せます。ですから、デザインから骨組みの設計や、型紙、縫製までと、完成させるまでにはずいぶん手間がかかります。見かけによらず、私もミシンをかけます。(笑い)労働大臣が認可する資格の中に帆布製品の技能士があり、その一級試験にはデザインから作品を完成させる実技試験があるのです。骨組みにぴったりフィットしていないといけませんから、テント生地の伸びや引っ張りまで考え、型紙を裁断した覚えが今でもあります。奇抜なデザインで作品を作りましたがなつかしい思い出のひとつです。もちろん、合格しました。(笑い)

【高木】まさにアートですね。緞帳なども手がけられたとか。

二人の息子も
それぞれ手に職を

【佐伯】アスカル幸手や北公民館の緞帳を手掛けさせていただきました。京都の織物工場で毎日二十人近くの織り子さんたちが横に並んで、約一年かけて完成したものがアスカルの緞帳です。ちょうど長男がその織物会社で勉強をしており、デザインどおりに糸を織っていく過程を見ていたのですが、本当に人の手と時間をかけた作品で価値あるものと感じたようです。なんといっても一日に織れる長さが本当に限られているのですから。

【高木】ご子息もお仕事を継がれているのですか?

【佐伯】二十六才の長男と二十才になる次男がおりますが、長男は高校を卒業後、東京町田市にある大谷テントという老舗のテント店で修行し、先ほどお話した京都の川島織物マイスタースクールで一年勉強をし、現在一緒に仕事をしています。息子なりに織物などの新しい分野を学び、これからの仕事に活かして行きたいようです。次男も手に職をと、調理師の資格をとり現在レストランで仕事をしています。

【高木】皆さん自立されているのですね。趣味などは?

趣味は
人との出会いとふれあい

【佐伯】聞かれると困るのですが、熱中しているものはほとんどありません。お酒は好きですが歌いませんし、車が好きで磨いているのですが、ドライブが好きなわけでもありません。趣味とは違いますが、いろんな事に参加して、いろんな人に出会うことでしょうか。仕事を始め、地域の集まりでも時間が許せば参加しますね。じゃぱん亭というお弁当やさんのチェーングループにテント業者として参画してます。とても有意義なグループで、出会いと広がりはいろんな所にあるもんだなと感じました。

【高木】お仲間がたくさんいらっしゃるようですね。

【佐伯】そうですね。私がPTAの会長をさせていただいた時の校長先生や役員さんとは今でも「まこもの会」という集まりを開いていますよ。次男が幸手小学校六年生の時にPTAで「たなばたの馬」を作ろうとその材料の「まこも」という草を探しに北川辺の土手まで行ったのです。この共通の思い出が現在までつながり、毎年一回ですが今年で十一年目になります。

【高木】それはすごいですね。佐伯さんのお人柄でしょうか。では、お友達をご紹介下さい。

【佐伯】南で東武自動車商会という自動車販売業をされている峰岸登一さんを紹介します。私の車好きを知っていて、新古車や出物の車があったり、新型でお薦めの車があったりすると「克っちゃん、この車どう?」と持ってくるのです。ほとんど峰岸さんの言いなりで車の入れ替えをしている感じですね。(笑い)PTAでも一緒に活動もしましたが、とても思いやりのあるいい人です。

【高木】ありがとうございました。これからも地域でのご活躍ご期待致します。

(とても、おおらかな奥行きの深い方でした。出会いとふれあいを大切に、ご家族一緒に仕事を楽しんでいる方と感じました。)

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