十月は収穫祭や秋祭りと全国各地で催し物が盛んに開かれるようです。また、陰暦十月は神がいなくなるといわれる神無月と呼びますが、出雲大社では全国の神が集まってくるので神在月(かみありづき)と呼ぶそうです。秋の薫り高い今日この頃ですが、本日の友達の輪には佐伯シート(株)代表取締役佐伯克己さんよりご紹介いただきました峰岸登一さんに登場いただきます。
(株)東武自動車
代表取締役 峰岸登一さん
本紙取材 高木 康夫
【高木】佐伯さんから車好きで車の事はすべて峰岸さんの言いなりと伺ってきましたが?
【峰岸(敬称略)】当社は古くから自動車販売と修理工場をしており、私が幼い頃は車も現在のように普及しておらず、佐伯さんは当社に置いてある車に乗りたくて遊びに来ては車に触れていたらしいのです。ですから、佐伯さんは幼い頃から面倒を見ていただいた間柄です。
【高木】なるほど。創業はいつ頃ですか。
【峰岸】昭和元年と聞いてます。父の兄が創業したものでダットサンの販売を主に行なっていました。ですから、当時当社は通称「ダットサン」と呼ばれていました。また、県内には現在五千社の修理工場がありますが、当社は県内六十五番目の修理工場として認定されました。当時は幸手市内に同業はなかったようで、修理工場も数多くありませんから商圏範囲も茨城県の筑波の方まであったそうです。
【高木】このあたりでは一番古い訳ですね。
【峰岸】そうですね。昔、大水が出て御成街道のこの辺もずいぶん被害を受けました。その時の写真にも写っております。街並みも今と同じような雰囲気ですよ。
【高木】峰岸さんはそのまま家業へ?
【峰岸】「蛙の子は蛙」ではありませんが、自動車屋の子供として後を継ぐことは考えていましたが、大学卒業後の昭和四十七年、「いつかはクラウン」というコマーシャルがあり、そのクラウンに乗りたくて東京トヨペットに入社しました。入社の動機は車が大好きという事で、入社した年に中古車でしたが、当時一番グレードの高い、パワーステアリングでフル装備という真っ赤なハードトップのクラウンを購入しました。今思うとかなり進んでいたような気がしますね。(笑い)実は東京トヨペットで最初の配属は中古車販売の部門でした。自分で言うのもおこがましいですが、まじめさもあったのでしょう、新人としては記録的な毎月15台位の販売を続けていました。石油ショックの2年ほど前で景気も良かった時代でした。そして、昭和五十年の八月に家業に戻りました。
【高木】高かったでしょうね。
【峰岸】当時新車のクラウンが百八十万円位でした。一年落ちの中古でも百三十万円しましたね。今でもそうなんですが、私は中古車が好きなのです。佐伯さんは車を磨くのが得意ですが、私は掃除が嫌いなので中古車の方が、気が楽なのです。それと、自己満足なんですね。持っているだけで満足してしまうのです。アウトドアという言葉が流行しましたが、友人達と共有でキャンピングカーも購入しました。昭和五十年でしたから、本格的なキャンピングカーは、まだ珍しく夏は海や山へ、冬はスキーへと良く出かけました。独身時代のことですが、結婚してからも家族でアウトドア生活は楽しんでいます。週末を利用して四週連続で中禅寺湖にキャンプへ行ったこともありました。(笑い)大型バスがありましたので、以前所属していた青年会議所のメンバーや子供たちを連れてスキーにも良く行きました。
【高木】PTAや消防団などの地域活動も積極的とか?
【峰岸】子供が上高野小にお世話になって以来、小学、中学校でPTA会長と市P連の会長を務めさせていただき、現在は高校で支部長を務めております。足掛け十一年になりますが、昨今のPTAはどこでもそうなのでしょうが、なかなか役員の引き受け手がなく、特に市P連の会長のときにはその事を痛切に感じました。任期中に会長職を地域別にローテーションさせられるよう何度も協議したのですが、結局果たせず大変だった思い出のひとつとしてなつかしく思います。それと、いろいろな方々とPTAを通じて出会えたことは私の財産と思うと同時にとても感謝しています。なにしろ、みんなに支えられて務められた役職ですから。消防団は上高野三分団第一部という東武線以東から前田製粉さんの所までをエリアとした管轄の副部長を務めています。私の職務は職業がら消防車の日常メインテナンスと災害時の機械操作です。わずかな手当てをいただいていますが、ほとんどボランテイアで多くの方々が消防団に協力をしています。地元で商売もしており、「自分に出来る事はなんでも協力しよう」という気持ちでいます。
【高木】峰岸さんのような方がいる地域は心強いですね。趣味などは?
【峰岸】最近夫婦で山歩きを始めました。電車で出掛け、山などを散策し温泉に入り、季節のものを食べて、そして日帰りで戻ってくるのですが、なかなか良いものです。日常は女房が販売のメインで私は整備とパソコンによる業務処理が中心ですから、夫婦そろって気分もリフレッシュ出来ます。また、仲間達と「蕎麦打ち」をしようと思っています。蕎麦の実から粉をひき、自分の好みの蕎麦を打ってみたいのです。実は八月の下旬に畑に植えた「そば」が今白い花を咲かせています。十月〜十一月には収穫できますので、その実でどんな蕎麦が打てるか今から楽しみです。「割り箸みたいな蕎麦の完成?!」という事になるかも知れませんが。(笑い)
【高木】ぜひ、試食させてください。では、お友達をご紹介下さい。
【峰岸】親子二代にわたりお付き合いさせていただいている中三丁目の東内科小児科医院
東 秀昭院長先生を紹介いたします。東さんは高齢者をはじめとする地域医療にご尽力されております。
【高木】ありがとうございました。ご夫婦仲良く、ますますご活躍のことお祈りいたします。
(とてもおおらかな方で、ご自分の信念をしっかりと持った経営者でした。「他で直らない車でも直しますよ」という自信は、車の販売と共に整備工場での修理実績の表れと感じました。また、パソコン処理も独学で十五年だそうで、チャレンジ心でおいしい蕎麦を期待したいと思います。)