1998年11月15日



 山々の木々も朽葉色に染まり、季節は冬へと少しずつ移っています。友達の輪もスタート以来三年目を終えようとしておりますが、いよいよ七十五回目を迎えます。今回はシトロンKARASAWA代表の唐澤清一さんから紹介いただきましたマーガレットというバドミントンクラブを主宰する吉岡梢さんにお話を伺いました。

バドミントン同好会
マーガレット主宰 吉岡 梢さん
本紙取材 高木 康夫

【高木】唐澤さんからバドミントン仲間と伺ってまいりましたが。

【吉岡(敬称略)】唐澤先生は高校時代のバドミントン部のコーチです。私は当時川口に住んでおり、川口女子高に通ってました。絵が好きで美術部に入部し、また、遊び半分に当時では珍しかったバドミントン部にも籍をおいていました。しかし、あまりにもバドミントン部が弱いので、強くしたいと考えた当時の先生が春日部高校でバドミントンの指導をされていた唐澤先生をコーチに招聘したのです。

【高木】先生と生徒の間柄なんですね。

一年間でビリから
     トップレベルへ

【吉岡】とにかく恐い先生でした。今は丸くなられたようですが「鬼の唐澤」と呼ばれてましたよ。シャトルノックではラケットに触れなければグランド一周なんて日常茶飯事で、「にくたらしい先生」という評判で、さぼっている部員はどんどん辞めさせられ、素質のある友人は本格的な指導を受けグングン伸びていきました。私はどちらかというとあまりやっていなかった組でしたので、辞めても残ってもどちらでもいいなと思っていたのですが、マネージャーという立場でクラブに残りました。つまり、私の高校時代のバドミントンは触れた程度でした。でも、クラブはどんどん強くなり一年間で埼玉県のトップレベルになりました。

【高木】指導によって変わるものですね。本格的に始めたのは?

国立市で
  バドミントンに目覚め

【吉岡】家庭夫人になってからです。私は結婚して国立市に住むことになり、子どもが小学生の頃ですが、保護者の同好会にバドミントンクラブがあって「昔とった杵柄」ではありませんが参加したのです。さすがに経験は活かされ国立市の大会などで上位の成績を残すようになったのです。高校時代は「本格的に」という気持ちが涌きませんでしたが、このときは何か自分でも出来るかなという思いがあって、「国立マックス」というハイレベルなクラブに移り、本格的な練習が始まったのです。主人もテニスを長くやっており、レベルも高かったので影響を受けたのかも知れませんね。おかげで国立ではAランクまでレベルアップできました。

【高木】幸手にはいつ来られたのですか。

協会は二つ
  社会人と家庭婦人

【吉岡】主人の仕事は転勤があり、その関係で今から十三年前ですが緑台に越してきました。しかし、バドミントンはもっと練習して、試合に出たいという思いが強かったのです。社会人のバドミントン協会には社会人と家庭婦人という二つの協会があってそれぞれ全国規模で試合が行なわれています。そこで同じ埼玉県ということで川口の高校時代の後輩たちと連絡をとり川口まで出掛けて練習したのです。そして、先輩が認めてくれたこともあって、地元の幸手でバドミントン仲間を増やそうと考えたのです。昭和六十一年の春でした。春だから可愛い名前がいいとマーガレットというバドミントン同好会がスタートしました。

【高木】いまでも続いているのですか?

地域の
  バドミントン普及に貢献

【吉岡】発足当時は初心者を募集し、十五〜十六名くらいで始まりました。現在も続いているクラブで、幸手で唯一家庭婦人バドミントン協会に登録してます。南公民館で週三日練習が原則ですが、忙しい方が多いものですから、なかなか思うようにはいきません。でも、バドミントンをしているとなにもかも忘れられ、試合という自分の目標に向かって集中できるんです。それと、汗をかいた後のビールは格別ですよ。(笑い)また、十一月二十九日には第一回幸手オープンバドミントン大会が開催されます。何かバドミントンの輪が広がってきたことに嬉しさを感じますね。それに、アスカル幸手では国際大会も多く開催されるようになりました。

【高木】保険のお仕事もされているとか。

人生は一度
   何事も楽しく

【吉岡】明治生命幸手営業所で勤務して十三年、支部長をさせていただいています。「人生は一度何事も楽しく」と思って入社しましたが、とても楽しい事ばかりか訪問する度に断り方にもいろいろな人間模様がありとても良い勉強をさせていただきました。知識、信用、熱意、常に目標に向かって前進するのみです。私が十三年前この仕事に誘われて決心した訳は二十年程前主人が急病(大動脈瘤破裂)で四ヶ月間の闘病生活を送った時の事が私の胸の奥に残っておりました。今、思うと悪夢のような毎日でした。幸い主人は手術も成功し後遺症もなく再起する事が出来ました。その時の脳外科病棟の気の毒な方をたくさん見て来ました。形のない商品を販売する保険の仕事、ライフプランナーとして誇りを持ってこれからも続けて行きたいですね。幸手に来て今の私があるのは幸手のあたたかい人達のおかげです。幸手に来て本当に良かったと思っております。

【高木】そうですか。ではお友達をご紹介下さい。

【吉岡】久喜にお住まいで幸手市役所にお勤めの藤河陽子さんを紹介致します。藤河さんは留学経験をお持ちで、今年結婚されたばかりの娘のお友達なんです。ご実家が近所でつい最近聞いた話ですが、私たちが幸手に越してきた日のこと、庭でごそごそしている犬がいまして、かわいそうなので一晩だけ泊めるつもりが、翌日は雨で、もう一晩、そして次の日も雨でもう一晩、以来、今でも我が家の家族になっているコロという犬がいるのです。実はその犬を我が家の庭に置いていったのが、陽子ちゃんだったそうです。陽子ちゃんも路上をさまよう捨てられた犬がかわいそうで道路では危険と庭に入れたのでしょう。でも、コロにとっても我が家にとっても素敵なプレゼントでした。そんな彼女を紹介致します。

【高木】ありがとうございました。オープンバドミントン大会ではご活躍下さい。

(四人家族で吉岡さんはバドミントン、ご主人はテニスとご夫婦で活躍され、飾り棚にはトロフィーや盾がたくさんありました。猫のチコちゃん、犬のコロちゃんがとても印象的でした。)

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