1999年 5月23日



さつきの花がきれいな季節です。また、今月は浅草の三社祭りに代表されるようなお祭りが全国で開催されており、歴史と文化を感じる季節でもあります。今日の友達の輪には書家である染谷四良さんに紹介いただいた、料亭・かさ家」のおかみである高塚ワカさんに登場頂きます。

料亭 かさ家
おかみ 高塚 ワカさん
本紙取材 高木 康夫

【高木】書家の染谷さんのところで書道を習ってるそうですね。染谷さんから「とても熱心な方」と伺ってまいりました。

【高塚(敬称略)】 職業柄、来客やら電話やらと、趣味の時間に没頭することが難しく、お店から一歩出掛けてしまえば、と、茶道などもしばらくやっていたのですが、車の免許で言えばペーパードライバーみたいなもので、あんまり上達しませんでした。三年ほど前の事ですが、ボケ防止ではありませんが何かをやってみたくなり、近所の婦人会長さんから染谷先生を紹介頂き書道をはじめました。染谷先生には月に一回ですが、書道を指導していただいております。この年になると、なかなか上達しませんから染谷先生には本当によく面倒を見て頂き、感謝しております。

八十才まで
  現役で活躍
 

【高木】昨年末で「かさ家」さんを閉められたそうですね。

【高塚】昨年十月で八十才と年令が高くなってきたこともあり、生涯現役も無理ですので区切りをつけて閉めさせて頂きました。

【高木】現在、八十才ですか?しかも、昨年末まで現役で調理場もされていたのですか?

【高塚】父がこの仕事をはじめまして私は二代目なんです。私の代では四十五〜四十六年になるでしょうか、私は一人娘として育ちましたが、父はとてもいい親で、東京へ勤めて自分のやりたい洋裁を習ったりと、私に店の事などさせずに自由にさせてくれました。ですから、包丁も握った事がありませんでした。ところが、昭和十七年に父が突然亡くなって、それを追うように一年後には母も亡くなってしまいました。突然のことでしたから、何も準備がなく、従業員さんたちが何名か居りましたので、とにかく右も左もわからないまま昭和十八年に後を引継ぎました。でも、いい時代だったのでしょうね、なんといっても私みたいな素人がやっていけたのですから。

幸手版
   細腕繁盛記

【高木】ずっとお一人で経営されてきたのですか?

【高塚】後を継ぐと言う事は責任重大なことで、従業員さんがいたといっても独身の私には精神的につらい時もありました。しかし、私の仕事に理解を示してくれた主人と結婚をし、主人が陰で支えてくれましたので細腕ながら続ける事が出来ました。でも、主人は地方公務員でしたから、相変わらずお店のことは自分一人で切り盛りしていましたね。(笑い)その主人も二十七年前に亡くなり、私たちには後継者となる子供も居りませんでしたから、最後の十年はお座敷だけの営業になってしまいました。でも、こんなに永く営業できたのも良いお客さんに恵まれたことと、多くのお客さんに親しんでもらったこととうれしく思っております。今年になってからも、「法事が決まったからお願いします」なんて電話をいただき、事情をお話すると惜しんでいただけるお客様がいて、改めて感謝しております。

昔は傘屋
   その名をとって「かさ家」

【高木】「かさ家」さんというのは由来があるのですか?

【高塚】私どもの祖父は鷲宮の出身なんです。祖父が鷲宮で傘屋を開いておりました関係で、父親がこの仕事をはじめる時にその名をとって「かさ家」と名付けました。父親にとっては鷲宮からこの幸手に移ってきた訳ですね。当時の幸手のこの当りは今でこそ駅前になっておりますが、駅もなくずいぶん高台でした。「馬の背にそのまま乗れるくらい」と言われてましたから、ずいぶん高かったのでしょうね。畑で小高い丘のようでした。でも、駅が出来る時に、駅舎を高くする計画のため、すぐ近くのこの辺の土を運んでいったらしいのです。おそらく、運搬の関係で遠くから土を運ぶと高くついたのでしょうね。夏祭に山車が駅舎に向かって一気に駆け上がって行きますが、丘を削って一段高くなった駅なんですね。

駅前通りの歩道に
  自転車がビュンビュン

【高木】なるほど。昔の景色とはずいぶん違うのでしょうね。

【高塚】そうですね。ずいぶん、のんびりしていましたね。田園風景の中で煉瓦や瓦を焼いていた工場が四、五軒あったように記憶していますが、瓦などに適した土などが採れたのでしょうかね?それに比べると、駅前通もずいぶん変わりましたね。ちょうど店の前が歩道になっているのですが、そこに学生さんたちの自転車がビュンビュン通るのです。四年前に歩道に足を一歩踏み入れた瞬間に若い方の自転車にぶつかりまして、歳ですからそれ以来右足が悪くなる一方です。ベルも鳴らさないで歩道に自転車を走らせる人たちには充分注意して欲しいものです。

【高木】本当ですね。当たり所が悪ければ人の命にも関りますからね。道路も広ければ歩行者と区分出来るのでしょうが?

【高塚】駅を降りてきた人が、「ここは変わりませんね。いつまでも同じですね。」と言われますが、本当に私もそう感じます。この間の市議選でも公約で駅前環境の再開発を訴えていた方はほとんどいませんでした。商業環境もどんどん厳しくなってまいりましたし、街の玄関とすればこのままではいかがなものでしょうか?

【高木】そうですね。これからのまちづくりに期待したいですね。では、お友達をご紹介下さい。

【高塚】古くからの旧家で、親しくさせて頂いてる岸本則生さんを紹介致します。岸本さんは現在、都庁にお勤めです。

【高木】
ありがとうございます。これからも、お元気にご活躍されることをご祈念いたします。

(お能が好きだそうで、歩く事はボケ防止や健康に良い事と、時間があれば電車に乗って水道橋の小石川にある古い能楽堂まで通われるそうです。八十才とは思えないお元気な方でした。)

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