1999年6月6日



今日は鳥越祭り。下町の心意気を感じさせる千貫(四t)の大神輿が、二百人余りに担がれて颯爽と練り歩きます。呼び物は夜の宮入、神輿の上にある金色の鳳凰が林立する高張提灯に照らされて一段と輝きを増し、祭りは最高潮に達します。歴史が裏打ちする夏祭りもこれから多くなってまいりますね。今日の友達の輪には高塚ワカさんよりご紹介頂いた幸手市の歴史を感じさせる中二丁目の旧家、岸本規生さんにお話を伺ってまいりました。

岸本家十代目
岸本規生さん
本紙取材 高木 康夫

【高木】「かさ家」の高塚さんから、「歴史ある旧家でお母さんの嘉鶴子さんにはとても親しくさせて頂いております。規生さんは都庁にお勤めですよ。」と伺ってまいりました。

江戸末期に創業
   醤油の製造業

【岸本(敬称略)】 母が高塚さんと親しい友人で、本来、母がこの企画に登場するのでしょうが、私も知人ということでバトンを引き継ぎました。当家は醤油製造業として、江戸時代末期に創業し、関東大震災で建物や工場が全壊するまで営業をしておりました。記録によれば、明治五年には初代岸本庄兵衛が上埜屋(うえのや)という屋号で醤油製造業として確立されていたようです。その後の明治三十三年(一九〇〇年)に開催されたパリ万博では当家の醤油が銅賞を戴くまでになったようです。ちなみにその時の金賞はヤマサ醤油さんだったそうです。

【高木】ずいぶん長い歴史ですね。岸本さんで十代目とか?

【岸本】現在は御成街道に面して、昔の面影を残す建物が一棟あるだけです。言い伝えによると私で十二代目らしいのですが、以前、幸手市の市史編纂の中で、旧家として取り上げられ自宅にある資料のすべてを調査していただきましたところ、私で十代目ということらしいのです。まあ、私にとってはどちらでも良いことですが。古いこともあって、現在まで代々継承しているものに成田講というものがあります。

地元から新勝寺の
      僧侶が誕生

【高木】勉強不足ですみません。成田講ってなんですか?

【岸本】成田講というものは今流に言えば「成田山詣の旅行会」のようなものですね。文化初年に幸手領桜田村八甫の渡辺本家の次男が利根川水害、五穀豊穣祈願の為に、成田山新勝寺の僧侶となったそうです。当時の成田は山林で遠隔地であった為、信徒も少なく本堂や堂塔、山門の破損も甚だしく修理もままならない程の経営難だったそうです。そこで、岸本庄兵衛らが中心となって八十数名の参拝団体を作り、特別寄付金を募ったそうです。これが講の始まりですね。そして、当時の本堂(現在の光明堂)を、幸手領の大工、左官、鳶職などの手によって坂の上に引き上げ、その跡地に新本堂(現在の釈迦堂)が安政五年(一八五八年)に建立されたそうです。旅行というものが今のようではなかった時代でしたから成田講は楽しみのひとつだったのでしょう。当時の成田詣は徒歩で三十六里、三泊四日の旅だったようです。明治十二年には野田に運河が出来て、権現堂から高瀬舟を利用し、明治三十四年に東武鉄道が和戸まで来ましたので、次第に鉄道やバスといった交通手段で日帰りや一泊になってきました。

【高木】今でも続いているとは凄いですね。現在は都庁にお勤めと伺いましたが?

今とは違う
   大変だった学生時代

【岸本】私達は団塊の世代で、今の学生さん達には考えられないことですが、大学時代は学生運動が盛んで、一部の過激な学生達により授業は妨害され、大学自体が閉鎖されたり、とても卒業など出来る状況ではありませんでした。大学側も分散授業などを行い、卒業間近になっては単位取得の試験が集中して行われました。卒業できないと思っていましたので、就職活動も進まずに大学を出てしまった感じでした。しかたなく、寿司屋でアルバイトをしていましたら、後輩が来年度の都職員採用試験の話を持ってきまして、二人で受験したのです。こういうものは誘った方が落ちて、誘われた方が合格というケースが多いのですが、私たちの場合もそうで、(笑い)図らずも都庁に就職となりました。

【高木】知事も変わりなにかと話題ですね。

【岸本】東京都は人口をはじめ行政規模は全国の約1/10というとても大きな自治体です。予算合計も平成十年度で十二兆七六〇〇億円、都庁の職員においては警察、消防を含めると約十九万人もいます。青島前知事はその人柄でしょうか庁内はとても穏やかな雰囲気が作られましたね。また、四年間にごみ処理の問題等を始めずいぶん手掛けられました。石原知事になってからは日が浅いので解りませんが、期待感は高いですね。

都民のゆりかごから
       墓場まで担当

【高木】現在の担当は?

【岸本】都庁は事業的なものを担当する企業局と、行政を担当する知事部局に分かれ、私は知事部局内の衛生局にいます。衛生局は都民にとっての「ゆりかごから墓場まで」とも言える保健所や病院などの業務を担う部署です。本年からは衛生局管轄である都立保健科学大学に勤務が移りました。この大学は放射線技師や理学療法士などを育成する大学で、一昨年まで都立医療技術短大だったものが昨年度より四年制の大学になったものです。新しい職場で若い世代に期待しながら勤務しています。

【高木】楽しそうですね。ではお友達をご紹介ください。

【岸本】日本民家再生リサイクル協会の会員で和風建築に熱心な和田勝利さんを紹介いたします。和田さんは古い民家のリサイクルを行っているとともに、久喜市にお住まいですがこの地域を中心として「ひともうけ(人儲け)」という異業種交流の会を作っており、人と人との出会いとビジネスチャンスを提供しております。

【高木】
ありがとうございます。

(とても穏やかな楽しい方で、拝見させていただいた資料には岸本家の歴史を感じさせていただきました。趣味は東洋らんの栽培と長い間続けているバドミントンだそうで、可愛いお孫さんの写真がリビングに飾られておりました。)

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