今年は雨の少ない空梅雨が続きますが、あとわずかで本格的な夏に突入ですね。今日の友達の輪には日本民家再生リサイクル協会会員である和田勝利さんよりご紹介いただきました、幸手市北にお住まいの巻島功司さんにお話を伺ってまいりました。巻島さんは和田さんに永い歴史ある建物を現代風に再生依頼された最初の方だそうです。
権現堂堤下
巻島功司さん
本紙取材 高木 康夫
【高木】古民家リサイクルに取り組んでいる和田さんが最初に手掛けたお宅が巻島さんと伺いました。お話ですと巻島さんのお住まいはずいぶん古い歴史があるそうですね?
【巻島(敬称略)】「友達の輪」は以前から読んでおりましたので知っていましたが、私などに声が掛かるとは思ってもいませんでした。とても恐縮しております。和田さんには現在の住まいを改築していただきました。現在の住まいは明治二十一年に建てられた納屋を改築したものです。
【高木】百年以上にもなる建物ですね。
【巻島】戦後の農地改革時にやむなく母屋を壊すことになり、同じ敷地内にあった納屋を三〇mほど移動させて住まいにしたそうです。当時は一階が養蚕室で二階だけが住まいだったのですが、私の両親の結婚を機に一階を改築し、その後も家族構成や生活様式の変化にともなって部屋を増築してきました。今回の増改築も二人の子供たちに自室が必要となったため新築しようかどうか考えた末、本家でもあり、お正月やお盆には親戚が集まるものですから、なんとか思い出を残したいと考えたのです。たまたま、親戚のひとりに子供の頃から遊びに来ていた設計士がおりましたので、昔のイメージを残しながら現代風にアレンジ出来ないか相談したのです。
【高木】歴史を感じさせる太い梁や柱ですね。
【巻島】基本的に三間×六間の百年以上経っている納屋だけを残そうということになり、皮肉にも増改築された部分は価値がないと判断されすべて解体されました。(笑い)また、納屋に置いてある茶箪笥や仏壇といった家具類や調度品類もそのまま残せるように寸法をとった上で設計されました。両親の老後も考慮してバリアフリーを目指し、部屋自体はすべて段差をなくしました。工事は、住まいとして改築された納屋を解体して骨組みだけにするのですが、その姿を見たときは「本当に大丈夫なのだろうか。壊した方が早いのでは。」と思いました。設計士でさえ、ここまで解体したのは初めてだったので不安を感じたようです。(笑い)でも、歴史を綴ったものを残したいという思いで、平成六年十二月に工事着工し、平成七年八月に完成しました。
【高木】新築以上に費用がかかるそうですね。また、解体の際に古いものが出てきたそうですね。
【巻島】費用の面ではそうかも知れませんね。解体の時、骨組みだけになった屋根裏の太い梁に『明治二十一年、吉田半平、大工、當村(地元の)』と書かれており、地元の大工の吉田半平さんが作ってくれたものとわかりました。また、お猪口がいくつか出てきまして、船問屋開店記念の『権現堂、同岸、白石出店』と書かれ高瀬舟の絵が入ったものや、『北葛飾郡長歓送迎会、大正八年十一月十四日』と書かれたものもあり、北葛飾郡長という首長の存在を残すものなど、古いものに興味を感じさせる多くの品が出てまいりました。家を直すことがきっかけとなり、今では自分の先祖に深く興味を持ち始めております。
【高木】何かわかりましたか?