お盆に入り全国各地のふるさとではお祭りなどで帰省した人々をあたたかく迎えてくれます。酷暑といえるこの夏もやすらぎのあるふるさとで満喫されているご家族も多いことでしょう。本日の友達の輪にはおちあい化粧品店オーナー落合晃さんにご紹介いただいた元幸手中学校校の柳田恭三さんにお話を伺ってまいりました。
柳の会
代表 柳田 恭三さん
本紙取材 高木 康夫
【高木】落合さんが幸手中学校PTA会長をされていた時の学校長で、とても尊敬できる方と伺ってまいりました。以前は先生だったのですね。
【柳田(敬称略)】教員になって足掛け二年目の昭和二十二年四月一日に幸手中学校が開校し、幸運にも創設期の十一年間幸手中に務めることが出来ました。当時の幸手中は現在の幸手保健所に所在して、高等小学校からの編入組みと一期生と呼ばれる新一年生とが混在しておりました。一期生には現教育委員長の高浜さんなどがおりましたね。九月十五日にはカスリン台風がやってきて、サイレンが鳴ってとても騒がしかった記憶があります。偶然にも当日は宿直で泊っており、栗橋の利根川が切れたという情報もあり、遠いので大丈夫だろうなんて思っておりましたら、大変なことになってしまい自然の脅威を感じたものです。その後、栗橋西中に教頭として十年、鷲宮中に四年、吉田中に新任校長として四年、越谷北中に二年、その後、幸手東中の創設に校長として関わり、最後は幸手中で五年間校長として責務を果たさせて頂きました。学校をやめてから十三年にもなりますが、その間、教育委員会や、北公民館などでお手伝いをさせていただきました。
【高木】現在は陶芸を指導されているとか。先生時代からなさっていたのですか?
【柳田】先生時代は専門が理科で、二十代の頃幸手の地層に興味を持っておりました。当時は井戸を掘る家庭も多く、八幡様のところに木村井戸店さんがあったのですが、木村さんの協力で井戸を掘る時に一緒に連れていって頂き地層を調べることが出来ました。そして、生徒たちにも関心をもってもらおうと、地層の勉強と幸手の土をからめて、その土で「やきもの」をやったのです。ですから、陶芸については地層の土から派生して「やきもの」をやった程度です。でも、幸手の土は耐熱性に弱く、瓦ぐらいまでしか焼けませんね。カルメ焼きみたいに「どろっ」て溶けてしまいます。道具もなければ知識もありませんでしたから、本格的にやろうと思ったのは六十才を過ぎてからです。かれこれ十三年くらいになりますね。
【高木】生徒さんたちはいい経験をされましたね。基礎はどこかで学ばれたのですか?
【柳田】埼玉県に「生きがい財団」というのがありまして、老人大学というものを主宰しております。しかし、「老人ではないよ」という声があがり名称が「生きがい大学」に変わりました。(笑い)伊奈の県民活動センターで開校しており、入学式から卒業式まで二年間のカリキュラムがあります。開校してからすでに一〇年くらいになりますが、私は二期目の卒業生です。そこの美術工芸科で陶芸の基礎からすべてを学び、おかげで、柳の会という陶芸を通じて地域で活動できる場が生れました。生きがいとは自分が満足できることによる幸せであり、私にとっては人生の経験を地域にお返しすることで自己満足出来るものと感じています。自分の老いを忘れてついつい出掛けてしまいますね。(笑い)
【高木】柳の会では幸手市の物産品も製作されているとか?
【柳田】先にもお話しましたように、幸手の土だけで陶芸をしたいのですが、無理がありますので信楽の土と権現堂堤北側地下2〜3mの幸手の粘土を混ぜて土鈴を作っています。幸手には権現堂の桜堤がありますが、そこに順礼母子の供養碑があります。言い伝えによると、二百年ほど前に起こった洪水をしずめるために、名も知れぬ母と子が、幸手を通りかかった縁で、人のためとは云え、人柱となった順礼母子を供養するために、母子の姿は明治の有名な画家結城素明の筆により建立されたものです。この姿を象がんにより現し、母の左手に持つ鈴を土鈴に、権現堂堤の桜の灰を釉薬に本焼きで仕上げたものです。人のため、国のために、尊い命を捧げた方々も忘るることなく、幸手市商工会を通じて1個1000円で販売しております。地味な作品ですが、昔を偲び、素朴な土鈴の音を耳にしていただければこの上なく幸せです。
【高木】素朴な音色が魅力的ですね。夢などは?
【柳田】柳の会では月に三回くらい北公民館を拠点に土をこね、手ロクロを回し、北公民館にある窯で焼き物を行なっております。物産品としての土鈴販売を始めて五年目になります。商業的に大量に製造しているものでもなく、11名のメンバーがひとつひとつ手作りで製作しております。会ではその売上すべてを貯金しており、五十万円になったら順礼さんの慰霊祭を開催出来ればと思っています。大きなことは出来ませんが、順礼碑の回りをきれいにしたりして、戦争で命を落とした人も同じように、この世の中に命を捨ててもという人がいたということを忘れないような慰霊祭を行なえればと思っています。個人的には、絵もやっておりますので市の行事などで役立つことがあればお手伝いは進んでやりたいと思っております。
【高木】素晴らしいですね。では、お友達をご紹介下さい。
【柳田】私が幸手中学校で校長をさせていただいた二代後の校長で、現在幸手市教育長を務めている千葉金二さんを紹介致します。
【高木】ありがとうございました。来年の桜が咲く頃には念願の慰霊祭が開催されますことをご期待いたします。
(取材させて頂いた日はちょうど北公民館の陶芸窯に火入れを行なう時で、窯の中には柳の会メンバーさんたちの作品がぎっしり詰まっておりました。先月にはご自宅にも窯が入ったそうで「生きがい大学」を通じてその存在を知った全国規模の「ねんりんピック」には今年美術部門で参加されるとのこと、毎年秋に開催されるこの祭典は高齢者のスポーツと美術のオリンピックのようなもので、今年は福井で開催されているそうです。自分の老いを忘れてしまう元気さがなにより大切と感じさせて頂きました。)