1999年8月29日



夏休みも残すところあと三日、宿題の追い込みに追われているお子さんもいらっしゃることかと思います。楽しい夏の思い出はつくれましたでしょうか。本日の友達の輪には柳の会の柳田恭三さんにご紹介いただきました幸手市教育長千葉金二さんにお話を伺ってまいりました。

幸手市教育長
千葉 金二さん
本紙取材 高木 康夫

【高木】幸手中学校では柳田さんの二代後の校長先生を務められ、現在では教育長をされ尊敬できる方と伺ってまいりました。

【千葉(敬称略)】幸手中には平成元年四月一日から五年三月三十一日まで校長として務めさせて頂きました。四年間でしたが約1200名の卒業生を送ることが出来ました。赴任当時の幸手中は荒れていて、学校を建て直そうと地域の方々にはずいぶんご協力をいただきました。

【高木】以前拝見しましたが、学校だよりのようなものを毎日発行されていたようですが。

雨の日も晴れの日も
    毎日発行『幸手中だより』

【千葉】『幸手中だより』のことですね。赴任したばかりの平成元年度は学校が休みの日以外は毎日発行していました。二年目からは三日に一回くらいの発行ペースにはなりましたが、荒れた学校を建て直すためには、どうしても、学校の状況や考え方を地域や保護者にわかっていただき、保護者の皆さんにも後押ししてもらわないと出来るものではありません。私は県の教育局にいたころ、国立社会教育研修所というところで四十日間かけて社会教育主事資格を取得したことがあります。この資格は一般市民への教育をつかさどるところで、子どもへの教育は学校教育が担うところと区分されるものです。そこで、学んだことが『幸手中だより』に役立ったのかなと思うことがあります。大人は、子どもと違って頭からこういうことが正しいと言っても、自分が納得しない限り理解してくれません。また、誇りや自尊心を持っていますから解っていても気が向かないと行動しません。相手から言われたりすると逆に止めてしまったりするものです。ですから、大人のそうした本性が解からないと大人に動いてもらうのは難しいのです。『幸手中だより』では、まず、自分が裸になることに始まり、決してお説教じみたことは書かない。体験や見たり聞いたりしたことを書く中で、読んでいる保護者に自由に私の願いを汲み取ってもらおうと考えたのです。毎日千枚近く教頭先生が刷ってくれ、夜中の二時頃までかかって原稿を書いていました。四年間で530号まで書き綴りましたが、愛読して下さった方々には感謝しております。

【高木】クラッシクカーの趣味があるとか?

いつかは乗りたい
    ニッサン・オースチン

【千葉】私は書道が趣味なのですが、教員になったばかりの頃、東京の日本書道美術院というところで書道の勉強をしていました。書道をしながら二階の窓から見下ろすといつも階下の車庫の車が目に入り、「いつか自分もこういう車に乗れるだろうか」とあこがれていたものでした。その車がニッサン・オースチン・サマーセットというもので、平成二年に手に入れることが出来たものです。以前から車やオートバイは好きで、昭和四十五年に輸出専用車であったホンダN600という車が本田自動車の社員向け販売で日本国内にあることを知って、持っている社員の方に譲っていただき毎年少しづつ輸出仕様に直していったのです。ところが、本当のクラッシックカーはオリジナルでないと価値が半減するのですね、がっかりしていましたところに、親しくさせていただいている日本クラッシックカー協会の理事さんからオースチンを手放したいという人がいるという情報があって、さっそく譲っていただくことになったのです。その時、N600の方は他の人に譲ってしまったのですが、今思えばもったいないことをしたと思っております。

【高木】どんな車なんですか?

日本に一台の
    現存実動車

【千葉】正式名称はニッサン・オースチンA40サマーセットサルーンというのですが、戦後日本の技術が劣っていて、部品を外国から輸入し、組み立てを日本で行なうノックダウン方式で生産、販売された車です。ノックダウン方式では他にいすずヒルマン、日野ルノーがありました。オースチンは昭和二十八年から二十九年に生産された初代サマーセット、昭和三十年から作られた二代目のA50ケンブリッジとすべてイギリスの地名が付けられていました。後から知ったことですが、サマーセットは1447台生産され、現存はわずか四台しかなく、一台は日産本社に、もう二台は「日本自動車博物館」と「九州自動車博物館」に、そして、唯一今でも走行している車が私の車になるようです。

【高木】そうですか。子どものように可愛いものでしょうね。ところで、 地域の教育についてはどうお考えですか?

三十年後の
    子どもたちの幸せを求めて

【千葉】二つの柱を持っております。ひとつは『人間を大事にする教育』ですね。クラシックカーでも何でもそうなんですが、結局は、人間と人間の関係に行き着くんですね。人間関係というと、多人数のことと考えがちですが、実は一瞬、一瞬の一対一の関係をどう大切にして行くかが重要なんです、時に手紙を書き、時に電話をする、そういうひとつひとつの人間関係を大事にするような教育の推進をしていきたいと思っております。もうひとつは『去年と同じでいいという発想をなくす』ことです。戦後五十年経った今の教育は硬直しています。戦後で苦労した親の気持ちが、子どもに対して満ち足りた生活を与え、そのひずみが現在の教育につながっております。ある学校で修学旅行に行きたくないというつっぱりの子どもたちをどうするかと聞かれて「なんとしても連れて行きなさい、今は行きたくないと言っていても、大人になった時にきっと修学旅行の思い出が輝いてくる日がくるはずだから」とその学校の先生方に指導したことがあります。いつも『三十年後の子どものことを考えて教育するように』と子どもたちの将来に目を向けた教育を推し進めているところです。

【高木】おっしゃるとおりですね。では、お友達をご紹介下さい。

【千葉】私のクラシックカー仲間の小室良平さんを紹介します。小室さんは手打ちそば「夕づる」のご主人でもあり、また、幸手市の山歩きの指導などもしておられるんですよ。

【高木】ありがとうございました。これからも、地域の教育環境の健全な推進にご尽力下さい。

(子どもたちのこともクラッシックカーのことも、それぞれに、目に輝きを持ってお話いただきました。本気でなんでも取り組む姿に熱いものを感じさせる素敵な方でした。)

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