1999年9月26日



暑さ寒さも彼岸までとは言うものの、本当に残暑厳しい夏でしたね。季節はすっかり秋にかわり、紅葉前線もまもなく北から降りてくるようです。本日の友達の輪には夕づる店主の小室良平さんからご紹介いただきました金子自動車代表の金子松美さんにお話を伺ってまいりました。

金子自動車
代表 金子 松美さん
本紙取材 高木 康夫

【高木】小室さんより、車のことで二十年近くお世話になっている方で、幸手山岳会のリーダーもされていますと伺ってまいりました。

【金子 (敬称略)】小室さんとは「こういう車を買ったのだけれど、見てくれないだろうか?」と現在お持ちのクラシックカーの整備を依頼されてからの友人です。独立してから二十年近くになりますから、それ以上の長い付き合いになります。

【高木】クラシックカー専門ですか?

古い車も
  整備が得意に

【金子】そんなことはありませんよ。(笑い)当社の業務は自動車の販売と整備、そして鈑金修理です。トヨタ、ホンダ、日産など全ての国産車を取り扱ってますが、小室さんのクラシックカーや古い車の再生、整備、鈑金なども得意分野です。ただ、古い車はほとんどパーツがない状態ですので、パーツ探しからはじめる事が多いのです。一ヶ月も二ヶ月も探すことが普通で、時には部品を造ることもあります。クラシックカーの部品をみつけてはストックしたり、部品番号をカルテのように記録して、メインテナンスにはずいぶん気を使ってます。古い車をお持ちでお困りのようでしたら、どうぞ、お気軽にご相談下さい。

【高木】幸手山岳会のリーダーとも伺いましたが、登山はいつ頃から?

休みはすべて
  山のとりこに

【金子】二十二才ぐらいまではハイキングや軽登山はやっていたのですが、本格的にやってみたいと思ったのは結婚した頃ですね。よく『山のとりこ』などと言いますが、本当にそんな状態でした。休みといえば必ず山に出掛けていましたね。冬の正月休み、五月の連休、お盆休みはアルプスと名のつくところばかり登っていました。結婚したばかりで、『山のとりこ』になってしまった訳ですから、家族にはずいぶん心配をかけました。その頃は山の遭難事故が現在よりも多かったのです。テレビで遭難のニュースが流れるたびに、子どもたちが心配してくれていたようです。

【高木】山の魅力ってなんですか?

リーダーは
   命預かる羅針盤

【金子】そうですね。真剣に登っている自分の姿でしょうかね。山というのは五月頃でも時として冬山と同じ状態になることがあります。そんな時でも冷静な判断で計画を実行するのですが、危険がいっぱいですし、リーダーという立場ではひとつひとつの行動がメンバーの命を左右するケースもあります。ですから、人と人との友情を深め合いながら、信頼関係を尊重し、登りきったときに達成感も味わえるものです。また、冬山に登ったときなどは、テントの上の空を見上げて、雪割の酒を飲み交わすなんてことも魅力のひとつでしょうか。(笑い)今年の三月に幸手山岳会永沼会長ご夫妻を含めた十二名で、那須の三斗小屋温泉に登りました。ところが翌日、峠道でわずか三〇分前に発った人たちの足跡が消えてしまうほどの、強い雪と風の荒れた天候になってしまったのです。永沼さんご夫妻は六十代で、経験も豊かですが、なにしろ風が強く立っていられない状態で、特に奥さんは体が軽いこともあって、這いつくばっても浮いてしまうほどでした。メンバーでカバーしながら、ピッケルで体を支え、全員ちょうど、ほふく前進のように這いつくばって、一時間くらいかけて非難小屋にたどり着きました。先頭にはサブリーダーがつき、私は一番後方から進みましたが、非難小屋で全員の無事を確認でき、ほっとしたものです。同日、残念ながら他のパーティでは遭難者を出してしまったようでしたが、改めて、登山は経験を持った人と一緒に行ってほしいと感じたものです。幸手山岳会では四十年以上の歴史があり、経験豊富なOB会員を含めると三十数名にもなります。歓迎いたしますので、どうぞお気軽にお声がけ下さい。

達成したくない百名山   でも、あと十一山

【高木】大変でしたね。ところで、百名山にあと少しと伺いましたが?

【金子】三十年近く登ってきましたので、残すところ十一山となりました。でも、自分としては達成したくないなあと思っています。まわりからも言われるのですが、達成してしまうと登山を止めてしまうのではと思うからです。それでも、地元秩父の「雲取山」を百番目の山にしようと決めているのですがね。(笑い)

【高木】夢などは?

【金子】夢といわれても、そうですね。実は家内とは軽井沢のスケートリンクで出会ったのですが、当時はスケートが手軽に出来るウインタースポーツで、マフラーを首に巻いて、靴紐で結わいたスケート靴を肩から下げた格好が流行っていました。その後、二人でホンダのS600という真っ赤なスポーツカーで軽井沢へドライブに行った思い出があるのですが、子どもたちも一人前になったので、もう一度S600を駆って夫婦で軽井沢に行けたらと思っています。もちろん、旧碓氷峠をゆったりと走りながらですがね。

【高木】素敵な夢ですね。それではお友達をご紹介ください。

【金子】先ほどお話しました幸手山岳会永沼勇会長を紹介いたします。


高木】
ありがとうございました。これからも幸手山岳会でリーダーとしてもご活躍下さい。

(息子さんに生まれた年の車をプレゼントしようと、車両置き場に昭和四十二年製のマツダキャロルが保管されていました。ずいぶん痛んでいましたが、専門の鈑金技術と整備技術で時間をかけて再生されるそうです。来年のクラシックカーフェスティバルには完成させたいとおっしゃっていました。ご夫婦仲良く、家族も大切にされるやさしい方でした。)

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